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二、カールロット公爵令嬢は魔女になる、ことにした
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動かなくなった泥に囲まれて蒼白となったクラリスを湖畔に残し、私はフラウリッツの背中について森を歩いていた。
その足取りはゆっくりだったが、歩き始めてから一度も振り返らないその背中からは、苛立ちが漂ってくる。
まだクラリスのことを考えているのか。意外と怒りを引きずる男なのか。
「……よく、湖にいるってわかったわね」
「わかんなかったよ。カラスになってめっちゃ探したよ」
何気なさを装って投げた球を、間髪いれずに打ち返される。
これは、もしかして。
「……私に怒ってる?」
尋ねると、フラウリッツは足を止めて振り返った。眉間に深い皺を寄せた顔に、私も息を飲んで立ち止まる。
魔法使いは不機嫌な顔のまま、腕を小さく振った。しゅん、と彼の顔の高さに現れた四つ折りの紙を指に挟んだかと思うと、こちらへ投げて寄越こしてきた。
『言い忘れたけど、僕の許可なしで城の外に出ないでね』
開いた紙面の文字に、見覚えがあった。
「…………ご、ごめん、なさい」
忘れていた。
いや存在を失念していたというより、これが原因で怒っているとは思わなかった。
「なんで破ったのレダリカ。クラリスに無理やり引きずり出されでもしたの」
冷静な口調だが、フラウリッツは明らかに、対クラリスよりも今の方がよほど、感情を露出させている。口先で誤魔化すのは事態を悪化させそうだ。
「……彼女に、声をかけられて。仲良くなれる機会なら嬉しかったし、私を見下して騙し討ちにしようとしているなら、……二度と同じことをされないよう、目にもの見せてやりたいと思ったのよ。クラリスが魔法陣を必要とする魔女なら、ロザロニアやあなたよりずっと私に近いだろうって、甘く見て……それがあの様よ」
まさか、呪文も魔法陣もなしにあんな強力な魔法が使えるなんて思わなかった。フラウリッツが来てくれなかったら、今頃泥の下敷きになっていただろう。
「気持ちはわからんくもないし、舐められた最初の一回が肝心ていうのも、確かにあるけどね」
目の前の相手がため息をつくのがわかった。恥ずかしくて、フラウリッツの顔をまともに見れない。
「……あれは大魔女と呼ばれた彼女の師匠が作り出したオリジナル魔法だから、きみが敵わなくて当然。魔女は一人前になるとき、師匠から門外不出の独自魔法を受け継ぐのが慣例になってるんだ。ベルティナも死ぬ前に、たったひとりの弟子を一人前と見なして、自身最高の魔法を受け継がせた。……過保護な母親みたいに、術者を守る魔法を」
ああ、だから弟子を取るのは高齢の魔女たちなのか。
自分の功績といえる独自の魔法を、後の世に残すために。
「今回、相手がクラリスだったからどうにかなったけどね。次に魔女の喧嘩を買うときは、事前に僕かロザロニアに根回しして、確実に勝てる準備をするんだよ」
私は無言でうなずいた。
しかし、なんだか妙な忠告だ。
「……揉め事を起こすなとか、勝てないんだから相手にするな、とは言わないのね」
「それは君が判断しろよ。仮にも十八年も人間やってりゃ、流していいものとそうでないものの判別は出来るだろ。魔女を相手どった勝算の有無は、経験が必要だけどさ」
人間やってりゃって、突き放すような言葉だ。
けれどその声に、内容ほどの冷たさを感じない。私は顔を上げた。フラウリッツはもう前を向いて歩みを再開していた。
「僕の弟子でいる間にレダリカが許せないと思うようなことが起きたときは、できるだけ力になるよ。絶対とは言えないけどさ。……魔法使いが弟子をとるのって、子どもを引き取るようなものだから。相談にも乗るし、肩入れもするし、『うちのかわいい弟子をバカにしやがって、どう落とし前つける気だ』って、大々的に揉め事起こしてやる覚悟だってできてるよ」
冗談みたいなことを言っているけれど、彼は自分のペースを崩さないから、こちらが立ち止まったままだとすぐに置いていかれてしまう。
でも、少し足を早めれば、距離はすぐに縮まった。こちらがその気になれば、逃げずに追い付かせてくれる。
「……だから本当は、なるべく味方でいてやりたいよ」
独り言のような呟きは、私の抱える報復に対する所感だろうか。
仕方ない。彼の弟子ではなかったときに決意した復讐だ。巻き込むつもりはないから、魔女になること以上の協力を要請する気はない。
けれどそれとは別に、ひとつ気になることがある。
「あの……あなたは、誰かを許せないと思ったこと、あるの」
フラウリッツは「あるよ」と頭を少し掻いた。
「でも結局、何もできなかった」
私は意外な答えに目を瞬かせた。
この人が、しなかったではなく、できなかった、とは、一体なぜ。
そう思っていると、フラウリッツの足がまた止まった。周囲はまだ見渡す限り木々に囲まれていて、城は影も形も見当たらない。
「それとね、城から出ないでって言ったのは、出ていったあと森で遭難してても獣に襲われてても、こっちは全く関知できないからなんだよ。勝手に入ってきて荒らされたら嫌だから、外から森に入ってきた場合は分かるし、城は入ることを許した魔女たちにしか見つけられないように魔法をかけてるけど、出ていきたい人を引き留めたり監視したりする魔法はかけてないから。あそこは家であって、牢じゃないからさ」
そうだったのか。
私は「わかった、気を付けるわ」と目を見て返した。外出禁止令は、私が父のもとへ行って城やフラウリッツたちのことを伝えるのを先に制しているのだと思っていた。
「ん、素直でよろしい」
フラウリッツがようやく表情を緩める。いつもの穏やかな笑みに、知らず知らずのうちにこわばっていた私の肩から力が抜けていった。
「じゃあ帰ってお茶にしよ」
そう言うと、彼は私の鼻先で両手の平を『パンッ』と打ち合わせた。
「……え」
その手拍子が合図だったかのように、フラウリッツの背後に城が現れた。最初から、ずっとそこに佇んでいたかのように。
「あーよかった。意地張るようならおうちに入れませんって言うはめにならなくて」
すたすたと歩いていく男の背中を呆然と見つめる。
“城は入ることを許した魔女たちにしか見つけられない”
「……もしかして、見習いの私ひとりで城から出ると、戻ってこられなかったりする?」
青ざめる私に、フラウリッツは悪びれもせず「そうだよ」と言って寄越した。
…………。
早く、魔女にならなくちゃ。
動かなくなった泥に囲まれて蒼白となったクラリスを湖畔に残し、私はフラウリッツの背中について森を歩いていた。
その足取りはゆっくりだったが、歩き始めてから一度も振り返らないその背中からは、苛立ちが漂ってくる。
まだクラリスのことを考えているのか。意外と怒りを引きずる男なのか。
「……よく、湖にいるってわかったわね」
「わかんなかったよ。カラスになってめっちゃ探したよ」
何気なさを装って投げた球を、間髪いれずに打ち返される。
これは、もしかして。
「……私に怒ってる?」
尋ねると、フラウリッツは足を止めて振り返った。眉間に深い皺を寄せた顔に、私も息を飲んで立ち止まる。
魔法使いは不機嫌な顔のまま、腕を小さく振った。しゅん、と彼の顔の高さに現れた四つ折りの紙を指に挟んだかと思うと、こちらへ投げて寄越こしてきた。
『言い忘れたけど、僕の許可なしで城の外に出ないでね』
開いた紙面の文字に、見覚えがあった。
「…………ご、ごめん、なさい」
忘れていた。
いや存在を失念していたというより、これが原因で怒っているとは思わなかった。
「なんで破ったのレダリカ。クラリスに無理やり引きずり出されでもしたの」
冷静な口調だが、フラウリッツは明らかに、対クラリスよりも今の方がよほど、感情を露出させている。口先で誤魔化すのは事態を悪化させそうだ。
「……彼女に、声をかけられて。仲良くなれる機会なら嬉しかったし、私を見下して騙し討ちにしようとしているなら、……二度と同じことをされないよう、目にもの見せてやりたいと思ったのよ。クラリスが魔法陣を必要とする魔女なら、ロザロニアやあなたよりずっと私に近いだろうって、甘く見て……それがあの様よ」
まさか、呪文も魔法陣もなしにあんな強力な魔法が使えるなんて思わなかった。フラウリッツが来てくれなかったら、今頃泥の下敷きになっていただろう。
「気持ちはわからんくもないし、舐められた最初の一回が肝心ていうのも、確かにあるけどね」
目の前の相手がため息をつくのがわかった。恥ずかしくて、フラウリッツの顔をまともに見れない。
「……あれは大魔女と呼ばれた彼女の師匠が作り出したオリジナル魔法だから、きみが敵わなくて当然。魔女は一人前になるとき、師匠から門外不出の独自魔法を受け継ぐのが慣例になってるんだ。ベルティナも死ぬ前に、たったひとりの弟子を一人前と見なして、自身最高の魔法を受け継がせた。……過保護な母親みたいに、術者を守る魔法を」
ああ、だから弟子を取るのは高齢の魔女たちなのか。
自分の功績といえる独自の魔法を、後の世に残すために。
「今回、相手がクラリスだったからどうにかなったけどね。次に魔女の喧嘩を買うときは、事前に僕かロザロニアに根回しして、確実に勝てる準備をするんだよ」
私は無言でうなずいた。
しかし、なんだか妙な忠告だ。
「……揉め事を起こすなとか、勝てないんだから相手にするな、とは言わないのね」
「それは君が判断しろよ。仮にも十八年も人間やってりゃ、流していいものとそうでないものの判別は出来るだろ。魔女を相手どった勝算の有無は、経験が必要だけどさ」
人間やってりゃって、突き放すような言葉だ。
けれどその声に、内容ほどの冷たさを感じない。私は顔を上げた。フラウリッツはもう前を向いて歩みを再開していた。
「僕の弟子でいる間にレダリカが許せないと思うようなことが起きたときは、できるだけ力になるよ。絶対とは言えないけどさ。……魔法使いが弟子をとるのって、子どもを引き取るようなものだから。相談にも乗るし、肩入れもするし、『うちのかわいい弟子をバカにしやがって、どう落とし前つける気だ』って、大々的に揉め事起こしてやる覚悟だってできてるよ」
冗談みたいなことを言っているけれど、彼は自分のペースを崩さないから、こちらが立ち止まったままだとすぐに置いていかれてしまう。
でも、少し足を早めれば、距離はすぐに縮まった。こちらがその気になれば、逃げずに追い付かせてくれる。
「……だから本当は、なるべく味方でいてやりたいよ」
独り言のような呟きは、私の抱える報復に対する所感だろうか。
仕方ない。彼の弟子ではなかったときに決意した復讐だ。巻き込むつもりはないから、魔女になること以上の協力を要請する気はない。
けれどそれとは別に、ひとつ気になることがある。
「あの……あなたは、誰かを許せないと思ったこと、あるの」
フラウリッツは「あるよ」と頭を少し掻いた。
「でも結局、何もできなかった」
私は意外な答えに目を瞬かせた。
この人が、しなかったではなく、できなかった、とは、一体なぜ。
そう思っていると、フラウリッツの足がまた止まった。周囲はまだ見渡す限り木々に囲まれていて、城は影も形も見当たらない。
「それとね、城から出ないでって言ったのは、出ていったあと森で遭難してても獣に襲われてても、こっちは全く関知できないからなんだよ。勝手に入ってきて荒らされたら嫌だから、外から森に入ってきた場合は分かるし、城は入ることを許した魔女たちにしか見つけられないように魔法をかけてるけど、出ていきたい人を引き留めたり監視したりする魔法はかけてないから。あそこは家であって、牢じゃないからさ」
そうだったのか。
私は「わかった、気を付けるわ」と目を見て返した。外出禁止令は、私が父のもとへ行って城やフラウリッツたちのことを伝えるのを先に制しているのだと思っていた。
「ん、素直でよろしい」
フラウリッツがようやく表情を緩める。いつもの穏やかな笑みに、知らず知らずのうちにこわばっていた私の肩から力が抜けていった。
「じゃあ帰ってお茶にしよ」
そう言うと、彼は私の鼻先で両手の平を『パンッ』と打ち合わせた。
「……え」
その手拍子が合図だったかのように、フラウリッツの背後に城が現れた。最初から、ずっとそこに佇んでいたかのように。
「あーよかった。意地張るようならおうちに入れませんって言うはめにならなくて」
すたすたと歩いていく男の背中を呆然と見つめる。
“城は入ることを許した魔女たちにしか見つけられない”
「……もしかして、見習いの私ひとりで城から出ると、戻ってこられなかったりする?」
青ざめる私に、フラウリッツは悪びれもせず「そうだよ」と言って寄越した。
…………。
早く、魔女にならなくちゃ。
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