『カールロット公爵令嬢は魔女である』~冤罪で追放されたので、本当に災厄の魔女になることにした~

あだち

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二、カールロット公爵令嬢は魔女になる、ことにした

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 湖面から飛び出してきたのは、泥の柱だった。水底に沈んでいたそれが、大樹の幹のような形を取って蛇のごとくうねっている。
 泥の大蛇は空中で何度かしなると、身動きのとれないクラリスへと向かった。

「あ、あぶなっ……」

 とっさに上衣の胸元を探る。常に持ち歩いている魔法陣に、なにか役立つものはあっただろうか。

 しかし、焦る私の目の前で、泥は赤毛の魔女を助けるようにその上体を支えた。同時に、巻き付く鎖の連結部分を滑っていく。
 もとより動揺して集中力が散り散りになっていた私の魔法の鎖は、あっけなく千切れた。そして、残った鎖を忌々しげに振り払うクラリスの暗い瞳が私へと向く。私はようやく悟った。

 この泥は、クラリスの味方だ。

 危険が迫っているのは自分だけだと気がついて、私は身を翻した。呪文を詠み上げている暇なんてない。
 
 しかし、数歩もいかないうちに私の頭上に影が被さってきた。泥は一瞬で雲のように私の真上に広がったのだ。

 湿った土のにおい。死の予感。背後から聞こえる、女の笑い声。泥が天涯のように目の前を覆いはじめて、指先が冷えた。恐怖に足が止まる。

 もうダメだと、目を閉じた。

「そこまでにしておけよクラリス」

 聞き覚えのある声。

 目を開けると、視界から泥は消えていた。頭上をあおぐと、まるで孔に吸い込まれる水のように、空中の泥は背後の湖の方へと収束していく。

 何事かと振り向けば、クラリスに手のひらを向けて相対するフラウリッツがいた。拘束からは完全に解かれたクラリスは、両膝を地面について首もとを押さえ、苦悶の表情を浮かべている。

 私から離れた泥はフラウリッツへと襲い掛かっては見えない盾に弾かれるか、またはもがくクラリスを心配するように回りを旋回していた。クラリスの方に泥を操る余裕はなさそうで、泥自体に意思があるかのようだ。

 ……とにかく、助かった。へたりこむ私の耳に、息も絶え絶えのクラリスの声が届いた。

「ふ、フラウ……さ……どうし、て、こんな、ひど……」
「ひどいったって仕方ないだろ。ベルティナが君を見捨てなかったように、僕も僕の弟子を守らないといけない」

 フラウリッツはそう言うと、ぱちっと指を鳴らした。その瞬間に見えない呪縛から解かれたように、クラリスは地面に手をついて荒く深呼吸し始めた。

「はっ……はぁっ……ゆ、許しませんからね、こんな、同胞を裏切るような真似、しかも、よりによってカールロットの娘のために……ま、魔女集会で、告発してやる! あなたに殺されそうになったって、戒律違反だって!」

 叩きつけるような非難の言葉も、フラウリッツは「どうぞ、ご勝手に」と涼しい顔で跳ね返した。

「どうぞって……ほ、本気ですからね、私!」
「だから勝手にしろよ。それよか僕は、弟子ひとり守れない師匠だなんて評判立つ方がずっと困るんだ」
「なっ……」
「そもそも魔女集会だなんて、お前こそいいのかい。戒律に反した行動をとっていたのは、そっちの方だと思うけど」

 そこでクラリスの顔色が変わった。さっきから飛び交う戒律という言葉の重みも、私には何のことだかわからない。
 以前にも、ロザロニアが“魔女の戒律”と言っていたけれど、そんなにも重要なことなのか。この、話の通じない赤毛の魔女を、震え上がらせるほど。

「こ、殺すつもりなんて、私にはありませんでした! ほらこのとおり、レダリカさんはぴんぴんしてる!」
「……は?」

 なんで急に私のことを。いえ、それよりも、明らかに殺そうとしていたじゃない。

「……なぁクラリス。お前を育てたベルティナは僕の師匠の姉弟子だし、僕自身も師匠の死後世話になったこともあった。今でも尊敬してるんだ。そのベルティナが遺した魔女だからこそ、今まではお前の甘えにも、僕は目をつむってたんだよ」

 フラウリッツの師匠が死んでいる。初耳だ。けれど今は、私が話の腰を折ってはいけない空気だった。
 私は跪く魔女とそれを見下ろす魔法使いを、端から見守ることに徹した。

「でも、今回ばっかりは見逃してやれない。はっきり言うよ、ベルティナは、弟子の育成にはかんっぜんに失敗したってな。自然物に術者を自発的に守らせるという特殊な魔法を編み出した大魔女の名誉を、死後に傷つけるわけだけど」

 クラリスがかたかたと震え始めていた。さっきの屈辱による震えとは違う、恐怖によるもの。フラウリッツにまとわりついていた土が、力を失っていくようにぼとぼとと地面に落ち始める。

 私にも、張りつめた空気に滲み出る、フラウリッツの怒りが痛いほど伝わってきた。

「魔女が超えちゃいけない一線、あの人は、お前に理解させられなかったんだ。……魔女集会、心して臨めよ」

 その声は、最後まで感情に任せて昂ることもなく、あくまで淡々としていた。
 そこにとりつく島もないことを、相手にわからせるには十分だった。


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