上 下
37 / 68
三、カールロット公爵令嬢は魔女になった

37

しおりを挟む
 私の言葉になるほど、と笑うロザロニアに笑みを返して、また視線をヤギに戻すと、白かった箱が黒く変わっていた。

「おや、黒ヤギ。誰からだ?」

 標準状態では“白ヤギ”。それは発送準備状態であり、逆に誰かからの手紙が届いたときには黒く塗り変わる。

 私がヤギを撫でて解錠すると、中には紫色の色紙でできた封筒が入っていた。

『親愛なるわが女神へ
 準備できたそうよ。いつでもどうぞ。
 あなたに跪く仕立て屋より

 追伸 気が変わったらいつでも言って。あなたにぴったりなドレスはいつでもお店に用意してあるんだから。』

「……べネスからだわ」
「あいつ、あんたに跪いてんの?」
「ええ、彼の見立てた靴を私が試着するときにはね」

 封を開けた途端ふわりと香水の立ち上った手紙を二人で覗きこんでいた。そのとき、コツコツと固い靴音が、今いる部屋へと近づいて来ているのに気がついた。

 互いに顔を見合わせた、その後の私達の行動は矢よりも早かった。

 ロザロニアが羽織っていた黒いウールのショールをさっと広げて手紙に被せ、抱え込むように自分のそばに寄せる。私はインク瓶や封蝋に蓋をして、あらかじめ用意しておいた籠の中に放り込む。籠は私の部屋の中にある籠に通じているので、今頃部屋の床に瓶がゴロゴロ転がっているだろう。構わず、私は机の端に無造作に置いていた編み針と毛糸を中央に引っ張り寄せた。

 ロザロニアのショールが、手紙もヤギも飲み込んで跡形もなく消し去るのと、部屋の入り口が開いて城主フラウリッツが顔を見せるのは同時だった。

「二人とも何してんの、こんなとこで」
「編み物っ!」

 ショールを大きくはためかせて羽織ったロザロニアが大声で答える。あんまりな誤魔化し方で、私は指と編み針に毛糸を絡ませながら心で唸った。この大根役者め。

「……なんで急に」
「え、っと、ほら、……なんだっけ」
「私の懐古に付き合ってもらってるの。昔はばあやがよくこうして小物を作ってくれたから」

 一秒もうまく嘘がつけないロザロニアに代わって、私が応答を引き受ける。その間にロザロニアは椅子に座って、私が教えた通りに編み針に毛糸を引っかけ始めた。

「ほら見て、かわいいでしょ?」

 フラウリッツの視線をロザロニアから逸らすために、編みかけのタペストリーを手にずいっと男の目の前まで進み出る。

「ああ、うん、かわいいかわいい」
「……“みてみて私かわいいでしょ”って話じゃないわ」

 しれっと頭を撫でてきたフラウリッツの手をはたく。
 
「ああ、こっち。うん、かわいいんじゃない。黒い糸は蛇になるのかな」

 フラウリッツは私が示した作りかけの作品を指でつまみ、どこか面白くなさそうに言った。
 しまった、明らかに内緒にされたもんだから、へそを曲げている。そう感じさせる彼らしくない嫌みに、私は笑顔をひきつらせながら訂正した。

「いやね、黒鳥よ」

 するとフラウリッツは目を大きくして私とタペストリーを見比べて、「あっ、ほんとだごめん、鳥だねこれ」と早口で言った。毛糸でなぜか手首を拘束してしまったロザロニアも『そうだったのっ?』という顔でこちらを見てくる。

「……」

 嫌みじゃなかったのか。

 その晩、私はカモフラージュのためだけに作りかけのままにしておいたタペストリーを躍起になって完成させた。
 ようやく、内職と写本がどんな形であれ一段落したのに、また寝不足。
 





 そんな冬の日々が、温もりを取り戻し始めた陽光で雪とともに溶け始めた早春。

 待ちに待っていた日がやってきた。

 私はかねてから決めていた通り、早朝から昼過ぎの現在に至るまで、食事の時以外は厨房にこもっていた。来客対応やフラウリッツの相手はロザロニアがしてくれているはずだ。

 計画通りに進んで、私は上機嫌だった。鶏肉をハーブに漬け込みながら、空いた両手でひき肉をせっせと葉野菜で包んでいたときに、べネスが顔をだすまでは。

「……魔女・レダリカ様。ちょっと」
「なにそのレディ・レダリカみたいな言い方。ドレスのこと? 何度言われても気は変わらないわよ」

 客人のどこか暗澹とした表情に眉を寄せて、私はかまどの中の天板に視線を戻した。ケーキはもうじきだ。

「違うわ。大広間に、ダリエル達が来てるんだけど」
「あら、本当に?」

 朝食の片付けを始めた辺りから、客人がひっきりなしに到着していたのには気がついていた。ロザロニアがお茶を取りに来たこともあった。

「良かった。彼女はいつも仕事でしかこの城に来ないから、お金払わなきゃ来てくれないかと思ったわ」

 半分本気で、半分冗談のつもりでそう言った。
 しかし顔を向けると、戸口に寄りかかったベネスは、高い位置にあるその顔を大きな手で覆って項垂れていた。

「な、なに」
「魔女はね、基本的に正直なの」

 ベネスのその、至極残念そうな様子に、私はようやく気がついた。何か、不測の事態が起きていると。
 レードルを置いて近寄る私を待たず、ベネスはその凛々しい眉を歪ませて悲しげに言った。

「そして、ダリエルはお喋り好きで、フラウリッツが大好きなの。恋愛的な意味じゃないけど。……口止め料、手紙に同封しておくべきだったわよ。書くだけじゃなくて」
「……!」




「おめでとーフラウリッツ! やーんもう言ってくれたら毎年アホのように祝ったのに! これ、ダリエルちゃんからプレゼントのサービスでーす! ……ロザロニア、邪魔だからいい加減どいて、踏むわよ」

 大広間に駆けつけた私の目に入ったのは、陽気さ全開で大きな包みを抱えて騒ぐ、太いお下げ髪の魔女の姿。そして力尽きたようにその足首を掴んで地に伏す、ストロベリーブロンドの魔女の姿。

 そしてその向こうでは、いつも通り鳥の餌が入った袋を抱えた師が、真っ白な顔で立ち尽くしていた。
 
「……え、なんで知ってんの?」
「えー? レダリカが手紙で、……あ」

  あ、じゃない。ちゃんと手紙に『フラウリッツには内密で』って書いたのに。

「ごめんレダリカ、口、塞ごうとしたけど、この女すごい力強い……」

 ロザロニア、その敗北者のポーズやめて。起きて。私たちは頑張った。……ただ、背中から援軍に射掛けられただけ。

「……え、知ってたの、レダリカ。……僕の誕生日」

 教えてないのに、と呟くフラウリッツ。

 ああ、その、戸惑いに満ち溢れた顔、予想できたけど、いたたまれないからやめて。

 本当はもっとちゃんと準備して、あなたを慕うみんなでディナーを囲んで、素敵な夜にするはずだったの。

「……王太子妃教育に使ってた王侯家系図一覧には、小さく生年月日や没年月日が書いてあったの。暗記は、得意なのよ」

 決して、前掛けつけたままの弟子が、こんな無様な説明をするために、冬のはじめから準備を進めてたわけじゃないの!

 
しおりを挟む

処理中です...