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第一章 優秀な復讐者
利用価値-①
しおりを挟む柚琉は東城大学病院の中央棟五階、第三外科教授室の扉をノックした。
研究室に呼ばれることもあるが、今日はこちらに来るよう指示されている。
「どうぞ」
その声に、失礼します、と答えて扉を開き、柚琉はそこではっとなった。
「お話中失礼いたしました」
目を丸くして身体を引こうとしたのは、部屋の中に教授の守屋だけでなく、もう一人白衣を着た男がいたからだ。
アポイントをとっていても、MRが医者の診察や手術、研究や会議の邪魔をしてはならないし、多忙な医者に約束を反古にされるのはよくあることだ。
下げた頭の中で、柚琉は記憶を探った。面識はないが、ここの医者は全員頭に入っている。脳内で、何度も目にしたホームページの医師紹介と目の前の男を照合する。
「いや、いい。せっかくだから君にも会っておいて欲しいと思ってな。呼吸器外科の木佐くんだ。今後関わることもあるだろうから」
「……っ、ありがとうございます。木佐先生、お名前存じ上げております。先日の学会での術後合併症発生率の研究、興味深く拝聴いたしました。椎名と申します。貴重な機会を頂戴できて光栄です」
「よろしく」
一瞬目を丸くした男の視線が、柚琉が差し出した名刺に下りる。
柚琉は秒にも満たない時間で、彼を観察した。
20代? いやまさか。おそらく、30代前半から半ば。涼しげな、だが色気のある整った顔立ち。患者にも人気があることだろう。
柚琉の記憶の中で、その姿がかつての守屋の姿と重なった。今は頭の白も増え教授然としているが、昔はどこか、彼と似たような雰囲気があった。
こちらを見た男の瞳にほんの一瞬、「守屋教授がわざわざこの人間を?」という侮りが過ったのを柚琉は見逃さなかった。教授の部屋に出入りするMRがこんな小娘であれば誰だって驚くだろうが、その反応でこの男の育ってきた環境がある程度推測できる。
こいつもか、と頭の軽蔑リストに放り込んだ。
「木佐くん、念のため言っておくが、私は彼女みたいな若い女性だから喜んで紹介しているわけじゃない。椎名くんは医療情報を取り扱うにふさわしい知識があるよ。MRにしておくのがもったいない。ご本人の前で言葉を飾らず言うが、君もいい意味で利用させてもらえばいい。もちろん、決まりに則ってな。今日は、第三相の資料についてだったね。一緒に聞きなさい」
「はい」
木佐は守屋が笑みを浮かべるのに合わせて、表情を緩める。
「では、こちらが資料です」
応接椅子にかけ、予備で持ってきた一部を木佐にも手渡す。
「第三相臨床試験では、五年間の生存データを得ることが出来ています。全生存期間、無増悪生存期間ともに統計学的有意に改善するとのことです。新たに確認がされた有害事象はありません」
「良かったじゃないか」
「はい。ありがとうございます」
守屋の言葉には、明らかな興味のなさが現れている。だが柚琉はそれを気にもせずにこりと笑った。
守屋が資料の上を滑らせていた視線を柚琉に向けた。
「頼んでいた件は?」
彼の目が歪み、鈍く光る。柚琉は頷いた。
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