君の敵

なとみ

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第二章 クロスゲーム

薄れるまで-②

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 こちらの動揺はまだ収まらないのに、戻ってきた翔太はさっさと気持ちを切り替えているようだった。

「連絡先交換してきたんだっけ?」
「してない。メモだけ置いてきた」
「なんて?」
「『情報があれば連絡ください』って」
「鬼ぃ~」
「なんで」

 ぱし、と翔太の肩を叩く。もう、いつもの翔太の笑顔だったから、こちらから触れても大丈夫だと思った。

「あっちから連絡は?」
「来てない」

 ふーん、と彼は考える素振りを見せる。

「明石さんに話、するんでしょ? それまでには動きがあるといいよね」

 そう言いながら、天井を見上げて何か考えているようだ。

「次なんだけど」

 翔太が言い出した提案に、柚琉はまた、本当に効果があるのかと疑問に思いつつも、頷いた。

*

「岩塚さん、どうぞ」

 週明けの外来は混雑していた。昼過ぎになってもまだまだ終わる気配はなく、待ち合いには人が溢れている。

「あっちが遅くって……」
「今日誰? あー」
「いいよ、こっちに回して」

 木佐はぼやく看護師にそう声をかけた。顔を見合わせた彼女たちが、ありがとうございます、とお礼を言ってまたバタバタと動き出す。
 外来は急いで多くの患者を診ても、歩合が変わるわけではない。一緒に外来に入る医師によって片方の負担が大きくなることもある。

「次呼んでもらっていいよ」

 そう言ってからカルテに目を通す。
 午後の手術までに時間はほとんどなくなるが、それで良かった。
 ふー、と目を閉じて邪念を振り払う。

「今日はどうされましたか?」

 にこやかに張り付けた笑顔を患者に向けた。

 

『貧相な身体で申し訳ないですけど』

 挑む目に、慣れた手つきに、感じる顔。
 何もしない時間があれば思い出してしまう。
 馬鹿にしたような笑顔で見下ろしながら、時折快楽に歪む顔。

 あのメモをすぐに捨てて正解だった。
 連絡する手段があれば、何度も見返しては迷い、思い返していただろう。
 連絡すれば破滅。あの一回で終わりにする。
 甘く蕩けた記憶が薄れるまで、忙殺されるくらいでいい。

『先、生……っ』
「……っ」

 思い出しては眉間を揉んで首を振る。
 いやらしい光景も、時が経てば薄れる。忘れられる。

 この間に、彼女が誰と同じようなことをしていたって、構わない。
 半ば自分に言い聞かせていると分かっているが、こうするしかない。

 今週、ずっとこのまま耐えられている。
 あと少し。

 今日何度目かのコーヒーを飲むために、自販機に指を伸ばした時だった。

「木佐先生、お疲れさまでーす」

 覗き込んできた須田に笑顔を向ける元気はなかった。

「お疲れさま」
「大丈夫っすか? 昨日も当直だったんですよね」
「ああ」

 この男に心配されるほどの顔をしているのか。
 それを自覚させられて、つい眉間を揉む。

「隈、すっごいですけど」

 無遠慮にそう言われても、いつもならできる平静な顔をする余裕はない。

「最近若い子と当直替わったり、ナースコール出たり、それって点数稼ぎですか?」

 須田はこういうときに限って、執拗に言い縋ってくる。
 無視して立ち去ろうとした時だった。

「あ、そうだ先生、ちょっと聞いてもいいですか」

 眉を寄せてそれに振り返ったところで、須田は声を潜めて囁いた。

「ソピアの椎名っていうMR、知ってます?」

 その名前に、身体から血の気が引いていった。
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