君の敵

なとみ

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第三章 真実

巣立ち-④

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 事前に母に、しておくべき話がある。
 たとえ絶対に、分かり合えないとしても。

「先生、別に一緒に来ていただかなくても構わないんですが」
「来たくないって顔に書いてあるからね。まあ、君だけで行くよりは、二人のほうがまだ現実的だと分かってもらえるんじゃない」
「そこまで……なんというか、攻撃的なタイプではないです。ただ、なんといいますか……母は、もう忘れたいんです」
「そうだろうね」

 家の前に着き、インターホンを押すのには気合いが必要だった。
 はい、と抑揚のない声。
 二人を出迎えた柚琉の母は、柚琉の記憶通りの、疲れた顔をしていた。

「東城病院の呼吸器外科に勤めている、木佐と申します」

 そう言って木佐が名刺を差し出した。
 彼女は一気に表情を暗くした。柚琉のほうを見ずにぼそりと言う。

「あなたは……まだ忘れられないのね」
「実際に問題が起こってるのに、忘れられるはずない」
「ここではやめて。……上がってください」

 彼女は渋々という様子で、二人を家に上げた。
 父の仏壇に並んで線香をあげ、リビングの机で向かい合う。

「本日は、これから私たちが行動を起こすことに関して、事前にお伝えをしに参りました。そちらにも影響がないとは言えませんので」
「何をする気なんですか」
「海外の記者―メディアの前で、会見を行います」
「そんな……晒しものみたいなこと……! やめなさい、柚琉」
「ご安心ください。晒しものになるのは、私です」
「え?」

 母は目を丸くする。

「柚琉さんが前に出ても、あまり面白味はないでしょう。私が出れば、現役医師とみてくれもあり、注目は引きやすいと思われます」

 母の顔が引きつる。この発言に関しては、柚琉もその気持ちが分かる。

「ですが、柚琉さんも無関係ではいられません。……お母様も」
「嫌です」
「申し訳ありません。嫌かどうかをお聞きしに来たのではなく、ご報告だけしに参りました」
「許しは、しない。できません」
「お気持ちは伺いました。ちなみに、こちらのご自宅にもマスコミが来た時に、逃げる場所はありますか?」
「あなた、人の話聞いてるんですか!?」

 ぶるぶると母の手が震えている。
 柚琉自身も何度もぶつかった相手だ。聞いているだけでも、心臓が早鐘を刻む。
 事前に彼は『遠慮なくやるね』と言っていた。だが、初対面、そしてこの短時間で、ここまで人を怒らせるとは。

「お母さん、本当にごめんなさい、でも、お願い。私は前に進みたいの」
「柚琉、ちょっと待って。まず、この人が大丈夫なの? こんな、非常識な」
「必要であれば、金銭的な支援はいたします」

 ぶつん、と何かが切れる音がした。
 パシャッ、と水音が鳴る。

「お母さん!」

 木佐の頭から麦茶が滴っている。

「ああ、もう、先生ももうちょっと……!」
「だから、医者は嫌いなのよ!!」

 母の久しぶりの金切り声にびくりとなる。
 柚琉が慌ててタオル取ってきて手渡すと、木佐は何事もなかったかのような涼しい顔で続けた。

「よく似ておられますね」
「先生、ちょっと、いい加減にしてください!」
「なんなの、あなた……」
「分かり合うことが目的ではないので。事前にこうして説明に上がっただけで、十分配慮はあると考えていただきたい」

 柚琉は頭を抱えた。
 この人、吹っ切れ過ぎて止められない。

「……柚琉、もう、あなたとの縁は切るということでいいのね?」

 怒りを抑えた言葉は、柚琉も覚悟していたものだ。

「それで、お母さんの気が済むなら」
「私はもう見たくない。あなたの顔を見るたびに、あなたがどうしているか考えるたびに、思い出すのが嫌なの。もう苦しみたくないの……!」
「……ごめんね」

 柚琉の目も潤んでいたが、木佐の言う通り、今日は彼女の意見を聞きにきたわけではない。

「私がこの件に執着していたのは、あの時……お父さんが死んでから、本当は、壊れた家族を直したかったんだと思う。この真実が明らかになれば、それが直るって信じたかった。でも、もう分かったの。直らない、戻ることはない。それに、期待しない」

 母は柚琉を睨む。
 その目は怖かったが、伝えたことが柚琉の心を軽くした。

「私たちは分かり合えない。ただ、他人同士の最低限の礼儀として、出来る限り迷惑はかけないようにしたい。私はお母さんの名前を出さないようにする。どこかに名前を出すにしても、武宮の名前にする。でも、もし何か逃げ場に困ったら教えて欲しい」
「仕事に影響があれば困るのよ。お母さんの生活をなんだと思ってるの」
「……ごめんね」

 彼女は顔を覆った。そして。

「……もう、会ってもない娘だと言うわよ」
「うん」

 自分の執着の理由から、今解き放たれる。
 別の人間同士として、これからは他人として。
 父が見れば悲しんでいただろう。たとえ避けられなかったことでも、それを思うと、柚琉の心は軋んだ。


 駅に向かって並んで歩きながら、柚琉は木佐を横目で睨んだ。

「今日はありがとうございます。母が、すみませんでした。でも、挑発されすぎです。気持ちに寄り添うとかないんですか」
「医者はカウンセラーじゃない。医者の本分は、病の原因を特定し、それを取り除く、あるいは瓦解させる努力をすることだ」
「開き直ってませんか? そのために患者の気持ちをうまく誘導するのも大事だと思いますけど」
「今回の原因は取り除けるものか? 前に進むしかないだろ」

 柚琉はじろりと木佐を見る。やはりこの人、何かが変わった気がする。

「だから君も、諦めたんだろ」
「……そうですね」

 夕日に照らされながら、二人は歩く。
 辛い別れをした直後のはずなのに、そのオレンジの光は、どこか温かく二人を包んでいた。
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