最果てからきた魔女

北路 洋

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「原潜」

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 そこは日本の領海内である。
 他国の船舶が無断で航行して良い海域ではない。
 ましてや軍用の艦船など有り得ない話である。
 国際法が有耶無耶になりつつある新世界に於いても、「浸食」を生き延びた各国は自国の領海一二浬に関して旧来の原則を貫くことを宣言している。
 もちろん、日本も逸早く領海防衛に関する宣言を新世界に向けて発していた。
 ところが、その外国艦は黒く巨大な艦影を青森県南部から秋田県北部の海岸線を間近に見る日本海上に現していた。その行為は明らかな領海侵犯である。
 外国艦。ロシア海軍のタイフーン級原子力潜水艦。四万トンを超す水中排水量を誇る史上最大の弾道ミサイル原潜である。但し、タイフーン級は一九八〇年代に建造された老朽艦であり、既に弾道ミサイル搭載機能は撤去され、現在は予備役の状態で白海のロシア海軍基地に係留されているはずだった。
 日本近海に出現するどころか、作戦行動に出ることさえ考えられないのだが、いったいどういうことなのだろうか?


 日没後の真っ暗な海上に浮かんだ原潜の甲板上では、奇妙な連中がゴムボートを展開する作業を行っていた。
 ロシア海軍の水兵らしき制服姿も見えるが、殆どは私服姿の者たちである。男もいれば女もいる。カジュアルな服装をした者が多いようだが、作業着やスーツ姿の者もいた。
 そんな統一感のない外見で、どう見ても原潜の乗員とは思えないような連中がゴムボートを広げて海に浮かべているのだが、皆が手順に慣れていないようで、水兵の指導を受けながら何とか作業を進めている感じだった。
 それでも、通常の三倍以上の時間を掛けて、何とか一〇艘のゴムボートを浮かべることができたらしい。作業を終えた一団は、大きな箱形の荷物を抱えて次々とゴムボートに乗り込み、一斉に海岸線を目指して漕ぎ出した。
 全てのゴムボートが離艦して直ぐ、原潜のブリッジから発光信号が発せられた。
 それに対する返答が陸地で瞬き終わると、原潜は静かに潜航を開始し、ゴムボートの一団を残して速やかに日本の領海を離れて行った。
 秋田県北部の海岸に上陸した一団は一〇〇名ほど。
 岩がちで断崖絶壁の多い夜の海岸では、一〇艘ものゴムボートが着岸する様子を見咎める者は誰もいなかった。
 彼らは上陸すると同時に、甲板上にいた時とは打って変わった機敏さでゴムボートを解体し、浜辺の砂に穴を掘って埋めた。積み込んでいた箱も手分けして封を解き、中身を取り出して皆で分配した。
 箱の中身はロシア製の武器。自動小銃、対戦車ロケット、携帯式対空ミサイル、手榴弾など。それらを予め用意していたバッグに入れたり、布で包んだり、衣服の下に忍ばせたりと、各自が工夫して目立たぬように携えた。
 その素早さと手際の良さ、軍服こそ身に着けていなかったが、彼らが訓練された兵士であることが窺える。決してゲリラや民兵などの非正規兵とは思えない。
 「×××××? 」
 「×××××! 」
 仲間同士での会話が聞こえたが、聞いたことも無いような言語である。
 どうやらこの兵士たち、ロシア製の武器を持ち込んではいるがロシア兵というわけでは無さそうである。
 「×××××の言葉を使ってはならない! 日本語を使いなさい! 」
 指揮官らしき女性が、会話をしている者たちを叱った。
 彼女の指示を聞く限り、彼らは日本人でも無いということになる。
 「整列! 」
 全員が武器の携帯作業を終えた頃を見計らって指揮官が号令を掛けた。
 万が一付近を歩く者がいたとしても気付かれないように、兵士たちが散らばる範囲だけに通るよう声を殺した号令である。
 忽ち、私服姿の兵士たちが岩場の間に小さく開けた砂地の浜辺に横四列になって整列したが、月灯りに照らし出された彼らの顔を見ると日本人で無いどころか黄色人種でさえない。皆が白色系の人種だった。
 指揮官は整列した部下たちを眺め、その機敏な反応に満足して頷いた後、
 「右端の前列の者、一歩前へ! 」
 と、ジーンズを履きTシャツの上に革製のベストを着込んだ若い男性兵士を指名した。
 「はい! 」
 男性兵士は元気良く返事をして前に出たが、その返事のイントネーションが明らかに狂っていた。その一言だけで彼が日本人でないことがバレてしまうほどの違和感である。
 だが、指揮官にはそれに気付いた様子は無い。
 彼女のイントネーションも正しい日本語とは少しズレていたので、互いの間違いを気付いて指摘することができないらしい。
 彼らは、何らかの任務に於いて日本人に紛れ込んで活動することを前提としている兵士たちに違いないが、言葉の習得を万全にするだけの準備期間は与えて貰えなかったようである。
 だが、イントネーションの問題以外は、随分と日本語に関する知識を積み重ねているようだった。
 「お前の母国の名前を言え! 」
 指揮官が男性兵士に質問をした。
 「はい、×××××です。」
 男性兵士は応えたが、国名は日本語として聞き取ることができなかった。
 それを透かさず指揮官が指摘する。
 「×××××ではない! クシェルだ! 日本人は我々の母国をクシェルと呼ぶ。」
 指揮官は男を下がらせてから、整列した全員に向かって彼らの母国クシェルの発音に関する注意を与えた。
 それ以外にも幾つかの諸注意を与えた後、指揮官は一〇〇名余りのクシェル人兵士たちが帯びている任務について手短かに確認をした。
 「これより、我々は南に移動を開始する! 日本人になりきり、日本人に紛れて移動するのだ。そして、この国の港に停泊中の愚かなクシェル王の船を襲うこととする! 我らが求めるのは魔女の首! 王の手先である、憎きレヴィナ・フェルトスを亡き者にするのだ! 良いか皆の者、このこと身命を賭して成し遂げるのだ! 」
 指揮官の掛け声に対し、皆が返答する代わりに左手に握った拳で胸を叩いた。
 それがクシェル人にとっての敬礼の所作であるらしい。
 「よろしい。」
 指揮官は部下たちに答礼した後、口元に満足げな笑みを浮かべた。
 「それでは各分隊毎に移動を開始する。分隊長は地図を確認し、到着予定時刻を厳守するように! 以上、解散! 」
 解散の号令が与えられると共に、クシェル人たちは一〇人前後のグループに別れて海岸線から内陸に移動を開始し、次々に闇の中へと消えて行った。
 僅か一〇数秒の後には、浜辺にいた全ての兵士が移動を終えてしまっていた。
 後に残された指揮官は、部下たち全員の姿が見えなくなるのを見計らってから、
 「ご協力、感謝しています。アラン・ロドノフ中佐。」
 と、いつの間にか自分の背後に立っていた男を振り返って声を掛けた。
 「いえ、お礼には及びません。エリーネ・エイセス閣下。」
 アラン・ロドノフ中佐と呼ばれた男は深々と会釈をしながら、薄い愛想笑いを返した。
 その名が示す通り、アラン・ロドノフはロシア人である。
 軍人らしく短く刈り込んだ銀髪、骨張った顔に神経質そうな灰色の瞳、年齢は三〇代の前半ぐらいと思われる。今は軍服を着用しておらず、日本の建設業者が着るような地味な土色の作業着姿だが、実は歴としたロシア海軍所属の政治将校だった。
 一方、エリーネ・エイセスはクシェル陸軍の将校である。
 アランがエリーネを閣下と敬承したのは、彼女がクシェル王国に於いて政治的に高位にある人物だからなのだろう。
 それにしても、この顔合わせは不可解である。
 クシェルとロシアは昨年来シベリアを巡って激しい戦争を繰り広げていたわけで、破れたとはいえロシアは未だに領土回復の望みは捨てていないはずである。
 それなのに、交戦国の将校同士が、何らかの協力関係にあるような会話を交わしているなど、両国の国民が見たら首を傾げるどころでは済まない。激怒しそうである。
 もちろん、この二人の会見に裏はある。
 「ロシアに打算があるのは承知の上で、お礼は言わせてもらいます。あのような海に潜る巨大な鉄の船があったればこそ我々は日本に上陸出来たのですし、沢山頂いた火を噴く武器も大変気に入っております。」
 アランのというより、ロシアの思惑をエリーネは知っている。
 もちろん、アランもエリーネの思惑を知っており、
 「どういたしまして。聡明で偉大な摂政殿下のお力になれて、私共も嬉しく思っております。もちろん、お美しい貴方に対しても同様の気持ちです、閣下。」
 と、彼女の背後関係を臭わしながらの追従を述べた。
 摂政殿下という存在が何者かはともかくとして、交戦状態にあるはずのロシアと密かな協力関係にある者たちがクシェル王国内に存在するということらしい。
 「まあ、取り敢えずは頂いた武器のお返しに、あなた方にとっては同胞の仇である、あの魔女を殺して差し上げましょう。」
 軍人というよりも。冷酷な政治家としての顔で不適に笑うエリーネに対し、
 「それは我がロシア国民の誰もが願って止まないことです。クシェルで最も勇敢でありお強いと評判の閣下の手に掛かれば、たかが魔女一匹など風前の灯火でしょう。我らは帰り支度を整えながら、陰ながら閣下のご武運をお祈り申し上げさせていただきます。つきましては、その後の約束もお忘れなくと、摂政殿下には是非・・・ 」
 と、謙って見せるアランは、まるで利権を求める悪徳商人のようだった。
 エリーネは、そんなアランの態度があまり気に入ってはいないようだったが、
 「殿下も、その件については承知しています。あの魔女さえいなくなれば、現王室を滅ぼすなど容易いことですが、それにはロシアの協力があったほうが良いでしょう。」
 と、表向き礼儀正しく社交辞令を終わらせた後、エリーネはアランに背を向けて自分の身支度を始めた。
 身支度と言っても、既に衣服は整え終わっている。
 豊かな胸から魅力的な腰に掛けての曲線が露になる白いカットソー、形の良い尻が食み出しそうなほど短くカットされたダメージデニムのショートパンツ、細いが長く引き締まった素足に履いたローカットのバスケットシューズ。
 何処から見てもレジャースタイルの外国人女性であり、エリーネが軍人であるなどと見破れる者はいそうにない格好だった。
 (くそ、良い女だぜ。任務中でなけりゃ、早速口説いていたところだ。)
 アランが思わず内心で呟いてしまうほど、エリーネは魅力的な女性だった。
 腰まで届く長い髪はブロンド、瞳は茶色。軍人という職業柄キツめの表情を作っているが意外に可愛らしい顔をしている。歳は二五ぐらいで、身長は一七〇センチほど。メリハリの利いたグラマラスな肢体を今は惜しげも無く晒していた。
 自分の身体を舐め回すように見ているアランの視線に気付いたエリーネは、露骨に嫌な顔をした。
 「ロシアの男性は礼儀を知らないのでしょうか? 」
 軽蔑の込められたキツく咎める言葉を履きながら、エリーネは持参していたワンショルダーバッグのファスナーを開けて二丁の自動拳銃とその弾倉、さらには柄と鞘に派手な装飾が施された自前の刃渡りが二五センチほどもありそうな短剣をしまい込んだ。
 「さて、私は行かせてもらいます。貴方はご自由にどうぞ。」
 そう冷たい口調で言い置くと、エリーネはバッグを肩に担いでアランを振り向くこともせず、部下たちの消えた方向に向かって一人で歩き出した。
 「では、改めて御武運を。」
 アランは、徐々に闇に飲み込まれて消えて行くエリーナの後ろ姿を名残惜しそうに見つめながら、声を掛けたのだが返事は無かった。
 クシェル人たちが去った後、月は雲に隠れて辺りは濃い闇に包まれた。
 「フン! 」
 アランは軽く鼻を鳴らしてから、エリーネたちが去って行ったのとは反対の方向に向かって歩き出した。
 そうして人気の無くなった浜には、打ち寄せる波の音だけが残された。
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