ダークマター~二つの記憶

おはようバス

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飯田の演説の力

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綱島から渡された飯田という男の情報に、加藤は心躍らせた。 今の日本にはまずありえないと思われた秘密結社の情報を、俺みたいなやさぐれ三流記者が得る機会など通常有り得ない。 しかもダブルメモリーには、一流の外国人記者もいるというのになぜ?との疑問も湧いたが、それでもスクープには違いなかった。 それでも飯田が明日のデモで綱島が言う様な人物であることを匂わすのであればと期待していた。 ほの暗いアパートの一室で、バーボンをストレートで流し込むと、その思いと同様の熱さが喉を通し、胃に収まった。

同じその夜、沢田のりは、動画の中で千鶴が、日本政府は正義の味方さんと名指ししたことに動揺するとともに激しい怒りを覚えていた。 元々、彼女たちの動画が初めてアップされた時に歌詞から怪しいと思っていたが、 “日本政府は正義の味方”としてアンチなコメントを上げていたが、 思った通りにアイドルのように振舞う彼女たち未熟な少女が、優秀な官僚や知識人が支える政府をあたかも「あなたたちが出来ないから私がするの。」という態度をとるのに腹を立てた。 彼女たちの見解が理解できないわけではなかったが、日本というこの美しく正しい国が、国際社会でもう70年以上前のことで叩かれる姿を、子供の頃から繰り返し見せつけられて来たことは彼女にとって屈辱であった。 睡眠薬のラボナを二錠アルコールで流し込んだが、怒りにより眠気はなかった。
「上等じゃない、会ってわからせてやる。」とメールに文字を打ち込みながら、目の前で泣いて謝る彼女たちの姿を想像し、興奮を覚えていた。 沢田のりは、脳神経科学分野の優秀女性研究者として期待されていた。 そのころ、女性研究者のための資金を得たうえで将来を約束されていた彼女が尊敬する教授に誘われて、彼の研究室へポスドクとして迎えられたのが人生の転機となった。 教授から出された彼の栄光への物語としての課題に、成果を出さないことを沢田が申し訳なく思い恥じていると、だんだん教授から追い打ちを掛けるように叱責を浴びるようになった。 同僚からも徐々に苛めやセクハラを受けるようになる頃には 精神的な障害を抱えるようになった。 同僚が出す、目を見張るような成果に疑問を抱くと、案の定ネットで捏造の指摘が挙がるようになっていた。 既に学会の権威であった教授は、その疑惑を沢田を含め部下の責任と切り捨てるころには、彼女はうつ病になって普通に働くことすらできなくなった。 結局、教授は別の研究機関に移籍して異なるテーマで権威を維持していた。
社会の理不尽さを痛感し、アパートに引きこもり既に五年、34歳になった沢田にとって次々と成果を出す安倍総理は強い憧れの対象となり、ネットで安倍総理を叩くものを罰することが彼女の生きる目的となっていた。 日がな一日、現実とも非現実とも区別のつかない状態で、ネット上の敵を探す毎日。 鬱と躁を繰り返し、自傷行為にも及んでいたころに自民党のセキュリティー対策部を名乗る人物より連絡が入った。 彼ら曰く、沢田のネットの活動が日本政府にとって貢献するものであり、今後の活動のために援助したいとのことであった。 本当に救われた気分になった。 それは自分が認められた瞬間であり、それが自分がなすべき全てとなった。 それが本当に自民党の正式な組織であるかなど問題ではなかった。 それから沢田は彼らの指示に従い、自らも犯罪ではないかと思う様な行為も犯しながら貢献した。
そんなことを考えているとダブルメモリーより返信がきた。 面談が日曜日の13時から事務所で行われることに同意して返信を入れた。
飯田は、明日のデモのために自身で書き下ろした演説の原稿を読み返し、一人悦に浸っていた。 時の独裁者のように人の生死まで自分の手中に収めることが、自身の生涯の目的であり、そのために十分な準備をしてきた。 齢20歳の頃に行った心理実験により数百人の私兵を有していたが、バブル崩壊後に訪れると予想した社会の混乱は訪れず、自由主義の小さな幸せが大切な時代となったため、それ以上の組織の拡大は危険であると判断して、息を潜めて組織の強化に尽力してきた。 そして、時代が進み、現れた不満や欺瞞がインターネットという新たなツールを通し、ナショナリズムを浸透させていった。 さらに台頭しつつある若き生贄と、利用できるイデオロギー。 飯田にとっては愛国も天皇ももちろん日韓関係もどうでもよいものであったが、利用できることは理解していた。 自身の演説の中で登場する英霊三島由紀夫への言及も、ただ自身が求める独裁者としての布石に過ぎなかった。

その日は、秋晴れの清々しい朝であった。 山田は、家に戻るとハンチング帽にサングラス、薄手のトレンチコートと彼が思う探偵の装いでデモに向かった。 どこかで見張る相賀を意識しつつ、コンビニであんパンと牛乳を頬張り、煙草を吹かしていると健康そうな若い女性に嫌な顔をされて、慌ててその場を離れた。
デモの開始点である公園に集まる群集は、志願した兵士のように、これから始まる正義のための大冒険を前に沸き立っていた。 周りにいる者は共通の認識のもとに集まった同志であり友であった。 元慰安婦について共通の認識や、ダブルメモリー、千鶴とジウの話題を出せば、知らない者同士であっても打ち解けることが出来た。 どこからともなく「元慰安婦の権利を認めろ。」と声が上がると地響きのように「うぉー」と共鳴した。 山田は、その湧き上がる熱気を目にして学生運動に明け暮れた日々を思い出すとともに、悪い方向に進むのではないかと一抹の不安を抱き、警戒心が芽生えた。
日々報道される香港のデモでは、自分たちがそうであったようにデモ参加者が鉄パイプや火炎瓶を手に暴徒化して行き、しまいには警察により発砲され怪我をする高校生まで出た。 暴力の行使は、結局暴力的な報復を生むだけなのである。 天安門事件のように最後には圧倒的な暴力により解決されることにならないかと思いながらも、日本ではそのことを指摘する報道があまりないことに懸念を抱いていた。 このデモも、もし飯田という男がダイスケたちが懸念するような人物であったのならば、みずからの信念に基づき行動するデモの参加者を、そのような立場に追い込む恐れがあるのだ。 飯田をじっくりと観察し、いつかその正体を白日の下にさらしてやるという使命感に駆られ、山田の気持ちが高まっていった。
黒のスーツ姿のがたいの良い男たちにより、校庭にあるような朝礼台が運び込まれ、目つきの鋭い男性が軽やかに駆け上がった。 彼が飯田であると山田は確信し、周りを見渡すと同様のスーツ姿の男が群集の中に紛れ込んでいることに気付いた。 用意された壇上に登り、デモに集まった約1300名の群衆を眼下に見下ろし、飯田は満足していた。 ここから始まる自身の計画を想像ししっかりと、そして重厚な口調で拡声器を手に
「諸君。」と語り始めた。少し間を置き飯田は、続けた。
「かの英霊たる三島由紀夫が、国を憂う若者の言葉に『日本を守ろうとする青年たちの純粋な志に感動し、覚悟のない私に覚悟を固めさせ、勇気のない私に勇気を与へるものがあれば、それは多分、私に対する青年の側からの教育の力であらう』と語った。 私も三島のように彼女たちの言葉に突き動かされざるを得ませんでした。」
飯田の力強い言葉に真剣に聞き入る群集を見渡すと、今度は落ち着いた言葉で語った。
「彼女たちは語る。加害者が加害者たることを反省し、歴史を顧み被害者に寄り添うことが、問題を解決する一つの手段たることは一目瞭然である。 しかし、一方で現日本政府は、改正教育基本法で政府の都合のよい、文句の言わない人間教育を行うとともに、特定秘密保護法、重要影響事態安全確保法、国家安全保障会議設置法、共謀罪法と都合の悪い人間の取り締まり強化に乗り出していると言えないだろうか。 我々は、政府に疑問を持たないよう飼い慣らされ、監視されるという恐ろしい時代を生きているのではないだろうか?」
このデモに集まった群衆は、慰安婦問題が解決していないというダブルメモリーの活動に共感し集まった者であったが、デモはしないと述べ日本政府の方針に理解できるとするダブルメモリーの方針に対し、日本政府に意義があり問題があるとデモに参加している者がほとんどである。 どこかから、
「そうだ。」と声が上がると、次々と声が上がり熱狂して行った。
飯田はその様子に満足気に頷きながら、今度は声を強めて語った。
「現政権が我々、我々の民意を踏みにじり働き方改革法や消費増税を成立させた。 水道法改定など数々行なわれた規制緩和は、グローバル化や防衛費の拡大は、誰の利益になるのであろうか?」と間を置くと、群衆から
「アメリカのためか?」と声が上がる。 飯田は、胸の前で拳を強く握ると静かに
「諸君。」と語り始めた。
「知らぬうちにいつの間にか現れた国民の貧困化、科学技術基本計画にみる科学力、技術力の低下。 特にこの国の最大の問題である少子高齢化。 いずれの問題に対しても対応できないにも関わらず、日本政府は自分たちはやっているかのように厚顔無恥に虚栄を張る。私には、」と言葉をとめると、群衆は、次の言葉に期待し音が消えた。 またしばらく間を置き語りだした。
「諸君、私にはいずれの問題をも解決できる方法がある。それは、案でも対策でもなく解決可能の方法である。」どこからともなく拍手が始まるとそれは嵐のように激しさを増した。            「日本よ、永久(とわ)に。」と声が上がると、人びとが口々にそれを叫んだ。
「諸君、エコノミストや教授、マスコミが権力の監視ではなく太鼓持ちをやるならば、我々が徹底的にその人たちを監視し、声を挙げようじゃないか? 
「三島が言うところの『国民儀礼の強要は結局、儀式、いや祭事といふものへの伝統的な日本固有の感覚をズタズタにふみにじり、本末を顛倒し、挙句の果ては国家精神を型式化する謀略としか思へません趣旨がよい、となればテもなく是認されるこの頃のゆき方』なのです。 今の日本政府は、一見、天皇制を日本の伝統に基づく「美しい日本」の象徴と位置付けているようにみえるが、本当は天皇陛下を政府の傀儡としてその行動やお言葉まで検閲している。 このようなことも許されるはずもない。」 その後も憂国を憂う指導者のごとき演説は続いた。
「最後に、三島の辞世の句を読もう『散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐』 私は、私の決意としてこの句を体現する。」 まさに群集心理である。  そこかしこから先ほどの「日本よ、永久に。」と言葉が上がる。 それを見ていた山田と公安警察の上田は、始まりの恐怖を感じ、加藤は、新たなネタに興奮を覚えた。

公安警察の上田は、公安一課の矢部課長の言葉を疑心暗鬼に聞いていた。 確かに右翼にヤクザ、半ぐれなど日本にも反社会的な集団は多数あったし、過激な新興宗教組織もあることは立場上理解していたが、本気で政府の転覆を謀る組織などオウム真理教以来出現することもないと思っていたし、国家安全保障関連法案自体が自国の国民に対し用いられる事態になることなど想定していなかった。 但し、このデモに集まる群集の前で語る飯田の姿は、ナショナリズムとポピュリズムを煽る強い言葉を持っており、あたかも魂であるかのように映っていた。 このような組織が実際1990年代に誕生していたにも関わらず、なぜ誰にも気づかれなかったのかと疑問に思いつつ、矢部の言った警察や公安、政府にも彼の信奉者がいるという言葉を思い出していた。 不慮の事故や失踪は警察組織においても他人事ではないと思いつつ、しっぽを掴み一気に狩らねばと思った。

首相官邸に向かうデモの群れの中で、身を潜める山田に黒服の男が近づいて来た。
気付かないふりをする山田の横に男が立つと
「山田さん、潜入捜査ですか?」と声を掛けた。 山田は全身から血の気が引くのを感じ立ち止まると、
「あんまり立ち入らんで下さい。 危険に巻き込まれることになります。」と忠告された。
「人違いでは?」と山田がとぼけると、男は残忍な笑みを浮かべ立ち去った。
「加藤さんですか? 取材は出来ましたか?」と後ろから声を掛けられ加藤が振り返ると、三名の屈強な黒服の男が立っていた。加藤は 
「それなりに。」とさらりと答えると、男が
「飯田様が取材を受けてもいいと言っております。」と無表情に言った。 
「月曜日午後に飯田様の私邸にてお待ちしております。」と男が言うと、
「私邸は困る。どこかのホテルの喫茶店では?」と返した。 綱島の資料にあった、事故死した記者のことを考えると人目のない所で会うのがリスクであると加藤は考えていたからであった。 男は、飯田の申し出に条件なしに加藤が応じると、予測していたために動揺していると 加藤が「はい、連絡先。」と電話番号をメモし、男に渡した。 黒服の男が飯田に加藤の伝言を渡すと、飯田は不敵な笑みを浮かべ、
「三流記者にしてはなかなか注意深い。」と言い、男に今日中に加藤を拉致するように命じ、男は黙って頷いてその場を離れた。

加藤が、逗子の駅を降りると、山田が停留所でバスを待っていた。 山田が加藤の姿を見つけ声を掛けた。
「今日のあれ見に行ったんでしょう?」と聞く山田に、加藤が頷くと、
「やばすぎる。俺のことばれていた。」と山田が言った。 加藤も「俺も。」と答えると、「ちょっと一杯どう?」と酒を誘った。 逗子駅近くの古くからある居酒屋のカウンターに腰を下ろしたふたりは、この店の名物である大きすぎる大ジョッキーにの生ビールを乾いた喉に流し込んだ。
「あいつら本当にやばすぎるでしょう?」と加藤が言うと、山田が
「誇大妄想でまさにヒットラーみたいだ。 あの私ならできるというフレーズは、虫唾が走ったが、一方何も知らなければ俺も言っていたかも。」と言うと、加藤が
「『日本よ永遠』にですか?」と聞いた。
山田は頷きつつ
「本当にダイちゃんと先に会っててよかった。」と笑うと、加藤が
「そうですね。私もダブルメモリーにひどい記事を書いたと後悔しているのですよ。」と恥ずかしそうに言った。 その言葉に山田が
「いい広告になった。」と呟くと、三人のガタイのいい男が店に入ってきた。 三人は頼んだアルコールにほとんど手を付けていなかった。 山田も加藤もその人たちがゼロワンの構成員ではないかと疑ったが、確かめようもなかった。
レオンは、相賀から連絡を受け、山田たちを迎えに逗子駅にバスで向かっていた。 有賀は、山田たちをつける構成員が三人いることを告げると、相手がどう出るかを試したいために手を貸して欲しいと言ってきた。 レオンは、何食わぬ顔で、偶然山田に店で出くわした振りをしてカウンターに座ると、男たちの表情が一瞬曇ったことを見抜いた。レオンが                        「今日のデモどうでしたか?」と山田に聞くと、山田が
「どうもこうもなかったよ。」と言葉を濁した。
店を出て山田たちと別れた加藤は、コンビニで煙草を買うと家に向かって歩いていた。 山田に「タクシー呼んだけど乗って行くか?」と聞かれたが、丁重に断った。 土曜日の23時にはバスもなくなっていることに気付き後悔したが、酔い覚ましと日ごろの運動不足解消のためと重い足を前に進めた。 その時間になると逗子駅周辺には人影もなく、少し気味悪さを覚えた。 加藤の後ろに黒いバンが静かに止まると二人の男が降りてきた。 その気配を感じて加藤が恐怖を覚えると、スーパーカブが加藤の横に着いた。
「加藤さん。乗っていきませんか? 部屋で飲む約束でしょう?」とフルフェイスのヘルメット姿の相賀が声を掛け、加藤の耳元でそっと「レオンの協力者です。」と相賀が呟いた。差し出されたヘルメットを加藤が受け取ると、「証明は?」と言う加藤に携帯を差し出し、レオンの声を聞かせた。 後ろに止まったバンに二人の男が乗り込むと車が静かに走り去った。 男は、飯田に事の経緯を携帯で連絡すると、飯田は拉致の中止を指示するとともに地下に潜るように指示を出した。 飯田はデモの演説で手応えを言感じていたが、自分が動く時が今ではないと考えていた。 組織が公安に知られたこと、加藤の誘拐を阻止した謎の協力者がいたこと、いずれについても、ダブルメモリーが仕掛けた罠であると判断したからだ。 容易に手を出す相手ではないことを直感で感じた。 仮にそれが間違った判断であったとしても。 いずれ日本の秩序が崩壊して行く。 増え続ける社会保障費と非正規雇用、外国人雇用。 フリーアルバイターという新たな言葉で自由を手に入れた錯覚に陥った者は既に壮年期に入り、かつてのように体の自由も利かなくなっていた。 そんな老人たちが、慢性疾患を次々と患い、行きつく先は・・・もはや生活保護しか残されてはいない。 2018年の生活保護世帯数は163.5万戸と2000年から倍増している。 何れ日本は何かを切り捨てないといけないことになる。 その時、社会に隠れた小さな存在が新たな脅威として現れることはもはや自明の理である。 「その時で良い。」飯田は小さく呟くと、組織の部下全員に地下に潜れと、ネットを通じ予め決められたルールに則り指示を出すよう側近に伝えた。 あくる日、飯田の豪邸には、もはや住まうものはいなかった。
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