感染

saijya

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第8話

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    田辺の胸に巨大な石が沈んでいく。これが、罪悪感というものだろうか。取材ノートに、貴子が言う住所を記入していくが、文字が酷く歪んでいく。人の弱みに付け入る苦しさを覚えたのは、田辺のもつ正義感のせいかもしれない。
    貴子との通話を終え、田辺は手にした携帯電話と取材ノートをポケットにしまい、いつもより重たく閉じた扉を開き、歩き始めた。聞き出せた住所まで、車では三十分もかからない。
 だからこそ、田辺は歩いた。気持ちを切り替える為、そして、考える時間がほしかったからだ。野田と対面した際に、どう切り込むか。深い追求では、野田にかわされるだろう。ならば、あえて少し眉唾ものの話を振ってみるのも良いかもしれない。
 田辺は、東京の喧騒と平和、これがいつまでも続く訳がないと思っている。どんなに栄えた国家の終末には、必ず、原因不明の奇病が関わっているのだから。
    指定された住所は高級マンションが乱立する一等地だった。ホール内に入り、まずは、携帯を取り出し、浜岡の短縮番号を押す。いつもの調子ではなく、連絡を心待ちにしていたような、鼻息を荒くした浜岡が電話に出た。

「田辺君、なにか進展があったのかい?」

 田辺は、少し湧いた怒りを堪えた。事件が事件だけに、忌憚のない物言いが癇に障った。慌てて平然を取り繕って返す。

「いえ、今のところは残念ですが......ただ、これから重要な人物に会えるかもしれせん」

「それは誰だい?」

 浜岡の疑問に田辺は、やや詰まってしまう。ここで正直に話せば、間違いなく貴子への詰問が始まってしまうからだ。それだけは、避けたかった。
 まだ、十代の少女に十数本のマイクが一斉に向けられる光景など、あまり拝みたいものではない。

「今は、言えませんね。とにかく、追って連絡します」

「......君の知り合いかい?」

「......いえ、違い......ます」

 口調に怒気が含まれているのが分かり、田辺は言葉を濁す。
    普段は、どこか抜けている浜岡は、こういう時は鋭いのだ。重苦しい時間というのは、日常で流れるように過ぎ去る時間を、二倍にも三倍にも膨らませる。耐え難い沈黙の後、電話の向こうから深い溜め息が漏れた。

「分かったよ。深くは聞かないでおく。だけど、もう一度だけ言わせてもらうよ。良いか田辺君、距離を間違えるなよ。こちらは事実を世に伝える仕事をしているんだ。正義感だけでは、なにも出来ない。それを忘れちゃいけない」

 浜岡の言葉は、今までよりも深く心に落ちた。見透かされているのかもしれない。田辺の短い、はい、という返事を聞いた瞬間、一方的に電話が切られた。
    かつての友達だろうと、容赦はするな。関係者だろうと、全て聞き出す。それが我々の仕事だ。我々は中立だ。
    田辺は、長年、言われ続けてきたアドバイスの真意が理解できた。つまりは、商売だ。これは、我々記者の商行為なのだ。浜岡の台詞には、そういう意味が込められていた気がした。
 田辺は、胸のざわつきをどうにか抑え込み、マンションのエレベーターに乗った。
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