侯爵令嬢ウルスラの愉快な復讐劇~開幕です~

蒼黒せい

文字の大きさ
7 / 62

序幕~必ず殺してくる男⑦~

しおりを挟む
「…………」

 ゆっくりと瞼を開くと、見慣れた天蓋が目に入る。直感で、また死に戻ったことを悟った。

 そのままゆっくりと瞼を閉じれば、浮かぶのは剣を持ったモートンの姿だ。

 屋敷に不意に訪れた来客に、警戒心も無く出ていった自分が迂闊だった。その来客はこの世で会ってはならない存在であり、予想もしてなかったことに体は硬直した。

「ああ、やっと会えたね」

 モートンの声はとてもうれしそうで、その表情も声色と同じ、本当に嬉しそうだった。まるで旧友と再会したかのような、そんな気安さだ。周囲から見れば、まさにそんな感じに見えただろう。

 その手に抜身の剣を手にしていなければ。

 どうしてここにいるのか。どうしてウルスラがここにいるのを知っているのか。これまで違い、ウルスラはモートンと出会っていない。そのはずなのに、彼はウルスラの姿を知り、追ってきた。それが怖くてたまらない。

 モートンが剣を振りかぶる。その様子を、ウルスラはスローモーション撮影のように見ていた。その剣がウルスラの命を奪うものであることは、見たときに分かった。

 逃げなくちゃダメ?
 一体どこに?
 どうやって?

 ――――どこにも逃げられない

 そう理解したとき、ウルスラの意識は途切れた。

 一切の躊躇いなく振り下ろされた剣は、ウルスラの左肩から右わき腹のラインを容赦なく切り裂く。剣はこの日のために丹念に研がれ、ウルスラの命を奪うことでその切れ味を披露した。

 唯一救いなのは、あまりの剣の切れ味のよさと、モートンの純化した殺意がウルスラの急所を一切の抵抗なく切り裂いたこと。これまでで最も苦しみなく死ねたと言ってもいいだろう。

 事実、ウルスラの記憶はモートンが剣を振りかぶった時点で途切れている。死ぬ過程の一切を味わうことなく死ねた。

 だが、死に戻りをしてしまえば、その救いも簡単に消え去る。

 今ウルスラは、文字通りどこに逃げてもモートンに殺されるという絶望を味わっていた。その絶望の深さは、もはやウルスラの心を闇に深く沈みこませ、二度と浮上することなどないほどに。

 ―――必ずモートンに殺されるのが、私の人生。

 再び開かれたウルスラの瞳は、完全に光を失っていた。もはや感情の機微も無く、絶望に対する反応すらない。

「…………」

 一切の思考すら動かず、ただ中空を見つめるだけ。夜明けの光で部屋の中が徐々に明るくなっても、ウルスラの体はピクリとも動かない。

 目が乾き始め、生理現象で瞼が閉じる。そのうち、思考のないウルスラの意識は、闇に沈んでいった。

 そのうち、眠ってしまったウルスラは夢を見た。そこには一人の女性の姿があり、それをウルスラはまるで演劇を見るかのような立ち位置で眺めている。

 女性の名は「泉谷 香苗」。

 彼女は地球の日本という国で生きていた。平凡な家庭で生まれた彼女は、近くの高校、大学を卒業したあと、商社に勤め始めた。

 趣味は可愛いもの集め、休日はカフェ巡りと普通の娘だ。しいて言えば、目立つことを恐れ、引っ込み事案だったことくらい。でも、いつかは白馬の王子様が迎えに来てくれるかも…だなんて夢見ることくらいはある。

 そんな香苗に転機が訪れる。25歳の時に同じ商社に勤めていた3つ年上の男性社員に告白され、付き合うことになったのだ。

 彼は社内でも評判のイケメンで営業部の花形でもあり、そんな彼から告白されたことに香苗は浮かれていた。それまで恋人の一人もおらず、パッとしない平凡な人生だったが、ここにきてようやく花咲くときが来たと嬉しさはひとしお。

 浮かれた香苗は彼のために何でもした。彼が疲れたと言えば温泉旅行をプレゼントし、お腹が空いたと言えば高級食材を買いあさって手料理を振る舞った。大人だから、夜の生活もある。彼が望めばどんなプレイにも応じた。

 周囲の人間から貢ぎすぎだと窘められたこともある。でも香苗は止めなかった。彼のために何かをするとき香苗は最高に幸せで、彼の支えになれているという自負が香苗の喜びだ。

 貯金は目減りしていたが、彼は営業部のエースで一杯稼いでいるはず。いつか結婚することを考えれば、このくらいの出費はどうってことない。

 いつかは彼と結婚するのだ。そう思って、彼からのプロポーズを待った。すでに10年が過ぎていたのに気付いた時は、後の祭り。

 35歳になり、焦り始めていた香苗はある日、彼に黙ってこっそり彼のマンションの部屋に入った。合鍵を使い、サプライズの料理で彼を驚かせようと思ったのだ。

 だが部屋に踏み入った時、、彼が知らない女性と行為に及んでいる現場に遭遇してしまった。

 香苗の視界は一瞬で真っ赤に染まった。怒り狂った香苗は、部屋にあるものすべてを彼と女に投げつけていく。ひどい裏切りに、心は怒りと悲しみで塗りつぶされていった。

 涙と鼻水と、口角から噴き出した泡、そして鬼のような形相のままの息を荒げた香苗。すべては破壊しつくした部屋の惨状を見ても、彼女の気持ちは収まらなかった。

 もう、どうにでもなればいい。

 勢いのまま彼の部屋を飛び出し、マンションから道路に出たところで、まばゆい光が彼女を包み込む。
 それが車のライトだと気付いた時には、香苗は既に轢かれた後。

 薄れていく意識の中、香苗は思った。

(あのクズに、もっと仕返ししたかった)

 そこでウルスラは目を覚ました。部屋はとうに明るく、カーテンも開けられていた。

 首を動かすと、ちょうどこちらを見た侍女とばっちり目が合う。侍女は大きく目を見開き、信じられないものをみるかのようだった。すぐさまドアへと向かうと、彼女は廊下で屋敷中に響き渡るような大声を上げた。

「お嬢様が!目を覚ましましたーーー!!!」

 そこからは一気に大騒ぎ。両親に執事長と医者が部屋になだれ込み、ウルスラへの診察が始まった。
 なんとウルスラは3日も眠りっぱなしだったという。

 どんなに呼びかけても穏やかに眠り続けたまま。医者が診察してもどこにも異常が見当たらず、打つ手なし。仕方なく、起きるのを待つだけだったという。

 診察や心配した両親の喜ぶ声を聞きながら、ウルスラは見ていた夢のことを考えていた。

(あれは…きっと、私の前世なんだわ)

 そうすんなりと受け入れられた。

 考え事をしていたウルスラの様子に、寝起きでまだ頭がはっきりしないのだろうと、ウルスラを休ませるためにみんな部屋を出ていく。

 誰もいなくなった部屋で、ゆっくりとベッドから這い出たウルスラは、少しおぼつかない足取りで机に向かった。

 日記帳を取り出し、確かに3日前の日付で止まっていることを確認。日記帳を閉じ、カーテンが開けられた窓へと向かった。

 まぶしいほどに光が注ぎ込んでくる。その光を存分に浴びながら、ウルスラの頭の中はこれまでにないほどに澄み渡っていた。今の彼女にモートンへの恐怖は無く、絶望だって微塵もない。

「ふふ、ふふふ……」

 思わず笑いが口から漏れる。

 ああ…どうしてこんなに簡単なことに気付かなかったのだろうと、ウルスラは過去の自分を嗤った。

 モートンに怯え、逃げるか従うかの選択肢しかなかった自分が情けなくてしょうがない。

 ウルスラは両親に溺愛されて育った。だがそれは不幸にも、一切の敵意にさらされずに生きてきてしまったことを意味する。

 ゆえに、彼女には『やり返す』という概念が存在しなかった。常に受け身でしかなく、どんなにモートンに理不尽な目に遭わされようと、受け入れるしかなかった。

 だが、それはもう過去の話。

 今のウルスラは、「泉谷 香苗」の記憶を取り戻した。それは彼女の中に「泉谷 香苗」の価値観が戻ってきたということ。

 それが意味するところの答えを、ぽつりとつぶやく。

「目には目を、歯に歯を……なら、殺しには殺しを、お返ししなくちゃね」

 そうつぶやいた彼女の顔は、とてもではないが9歳のものとは思えなかった。もし今のウルスラの顔を見た者がいれば、それを最適な一言でまとめるならこう表現するだろう。「悪魔の微笑み」と。

 異様なまでにつり上がった口角。三日月のごとく細められた目。

 殺された自分は、なんて愚かで馬鹿だったんだろう。こんな簡単なことにも思い至らないのだ、殺されたってしょうがないとしか思えない。

 だからといって、散々殺してきたモートンを許すつもりもない。許すなどありえない。絶対のその報いを受けさせなければ、ウルスラの気が収まらないのだ。

 5度にわたって死の絶望に突き落とされた彼女の抱える闇は、死を経験したことのない生者に到底想像できるものではない。その絶望の一切が、今のウルスラの中でモートンへの復讐心を燃え滾らせる燃料となる。

「ふふ…うふふ………モートン様、待っていてくださいね。今度は、私があなたの全てを奪って差し上げますわ」

 彼女の宣言は、モートンへの復讐だ。

 ウルスラの全てを奪ったモートンの全てを奪いつくし、その上で殺す。モートンだけではなく、彼に関わり、協力した者も容赦しない。

 ウルスラは引き出しからペンと一枚の便箋、封筒を取り出した。

 ペンにインクをしみ込ませ、便箋に走らせる。書き終えた便箋を丁寧に畳むと、封筒に入れた。
 今度は鍵を取り出し、鍵付きの引き出しを開ける。そこに先ほどの封筒を仕舞い、鍵を掛けた。

 手紙に書かれたのはウルスラの宣言だ。必ずやり遂げるという誓いが込められた手紙を、いつか相手の棺に納めることを楽しみにして。

 誰にも見せることのない手紙には、ただ1行だけが綴られている。

『拝啓 旦那様 殺し返すのでお覚悟を』
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜

鈴木 桜
恋愛
貧乏男爵の妾の子である8歳のジリアンは、使用人ゼロの家で勤労の日々を送っていた。 誰よりも早く起きて畑を耕し、家族の食事を準備し、屋敷を隅々まで掃除し……。 幸いジリアンは【魔法】が使えたので、一人でも仕事をこなすことができていた。 ある夏の日、彼女の運命を大きく変える出来事が起こる。 一人の客人をもてなしたのだ。 その客人は戦争の英雄クリフォード・マクリーン侯爵の使いであり、ジリアンが【魔法の天才】であることに気づくのだった。 【魔法】が『武器』ではなく『生活』のために使われるようになる時代の転換期に、ジリアンは戦争の英雄の養女として迎えられることになる。 彼女は「働かせてください」と訴え続けた。そうしなければ、追い出されると思ったから。 そんな彼女に、周囲の大人たちは目一杯の愛情を注ぎ続けた。 そして、ジリアンは少しずつ子供らしさを取り戻していく。 やがてジリアンは17歳に成長し、新しく設立された王立魔法学院に入学することに。 ところが、マクリーン侯爵は渋い顔で、 「男子生徒と目を合わせるな。微笑みかけるな」と言うのだった。 学院には幼馴染の謎の少年アレンや、かつてジリアンをこき使っていた腹違いの姉もいて──。 ☆第2部完結しました☆

【完結】子爵令嬢の秘密

りまり
恋愛
私は記憶があるまま転生しました。 転生先は子爵令嬢です。 魔力もそこそこありますので記憶をもとに頑張りたいです。

【完結】悪役令嬢の反撃の日々

ほーみ
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。 「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。 お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。 「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。

【完】王妃の座を愛人に奪われたので娼婦になって出直します

112
恋愛
伯爵令嬢エレオノールは、皇太子ジョンと結婚した。 三年に及ぶ結婚生活では一度も床を共にせず、ジョンは愛人ココットにうつつを抜かす。 やがて王が亡くなり、ジョンに王冠が回ってくる。 するとエレオノールの王妃は剥奪され、ココットが王妃となる。 王宮からも伯爵家からも追い出されたエレオノールは、娼婦となる道を選ぶ。

行き遅れ令嬢の再婚相手は、ダンディな騎士団長 ~息子イケメンの禁断の守護愛~

柴田はつみ
恋愛
貧乏貴族の行き遅れ令嬢リアナは、28歳で社交を苦手とする大人しい性格ゆえに、結婚を諦めかけていた。 そんな彼女に王宮から政略結婚の命令が下る。再婚相手は、妻を亡くしたダンディな騎士団長ギルバート。 クールで頼れる40代のイケメンだが、リアナは「便利な道具として選ばれただけ」と誤解し、切ない想いを抱く。 さらに、ギルバートの息子で爽やかイケメンのエリオット(21歳)が義理の息子となる。

薔薇の令嬢はやっぱり婚約破棄したい!

蔵崎とら
恋愛
本編完結済み、現在番外編更新中です。 家庭環境の都合で根暗のコミュ障に育ちましたし私に悪役令嬢は無理無理の無理です勘弁してください婚約破棄ならご自由にどうぞ私ちゃんと手に職あるんで大丈夫ですから……! ふとした瞬間に前世を思い出し、己が悪役令嬢に転生していることに気が付いたクレアだったが、時すでに遅し。 己の性格上悪役令嬢のような立ち回りは不可能なので、悪足掻きはせず捨てられる未来を受け入れることにした。 なぜなら今度こそ好きなことをして穏やかに生きていきたいから。 三度の飯より薔薇の品種改良が大好きな令嬢は、無事穏便な婚約破棄が出来るのか――?

「君は有能すぎて可愛げがない」と婚約破棄されたので、一晩で全ての魔法結界を撤去して隣国へ行きます。あ、維持マニュアルは燃やしました。

しょくぱん
恋愛
「君の完璧主義には反吐が出る」――婚約者の第一王子にそう告げられ、国外追放を命じられた聖女エルゼ。彼女は微笑み、一晩で国中の魔法結界を撤去。さらに「素人でも直せる」と嘘を吐かれた維持マニュアルを全て焼却処分した。守護を失いパニックに陥る母国を背に、彼女は隣国の軍事帝国へ。そこでは、彼女の「可愛くない」技術を渇望する皇帝が待っていた。

処理中です...