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第一幕~手駒を作りましょう①~
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「困ったわ……」
ヴィンディクタ家の屋敷の庭には季節の花々が咲き乱れ、庭師によって丁寧に整えられている。ウルスラはその庭で椅子に座り、頬に手を当てて一人悩まし気に呟いた。
モートンへの復讐を誓ったウルスラだが、ただの復讐ではない。ウルスラの考える復讐は、モートンの仕掛ける策のことごとくを打ち破り、その上でその策を利用してモートンを貶めるものだ。
そのためには、モートンが何を考え、どう仕掛けてくるのかを事前に察知しなければならない。つまり、ウルスラ一人でできることではないのだ。
モートンだって協力者がいた。ウルスラにも協力…いや、忠誠を誓う者が要る。
(他言無用、絶対忠誠、諜報も戦闘にも長けて、私の目となり耳となり、手となり足となり、盾となり剣となる……そんな都合のいい人材いないかしら)
我ながら都合の良すぎる妄想をしていると自覚しつつも、そんな人材を望まずにはいられない。
実はヴィンディクタ家にも諜報部が存在する。高位貴族にはそういったものを召し抱えている場合が多い。
ただ、ヴィンディクタ家の諜報部は当てにならない。それは、過去の記憶で当主をあっさり殺されていることからも分かることだ。ぶっちゃけ役立たず。使用人に毛が生えた程度。
そんなものを頼る気にはとうていなれなかった。無能な味方ほど恐ろしい者はいないとは、前世からの記憶である。
(そんなのでもいないよりはマシかしら…。いえ、所詮金で雇われてるだけの人間じゃ信用に値しない。私のやろうとしてることは、常人じゃ耐えられないでしょう)
ウルスラの脳内には、モートンを地獄に送るための策がいくつか思いついている。はっきり言って、その策をやろうとすれば十人中十人が止めに入るだろう残酷なものだ。
まともな倫理観があれば、まず実行できない。それをやろうとしているのがウルスラなわけだが。
(ああ、モートン様が苦しみにあえぐ姿を想像するだけで心が躍ってきちゃう。いけないわ、まだまだこれからだというのに)
つい愉しさから表情が見せられないものに変わりそうになり、気を引き締める。
油断するとすぐモートンを苦しめることばかり考えてしまう。まさか自分にそんなクセがあるだなんて…と思ったけれど、まぁいいやと流しておく。
どうせ自分はもう壊れているのだ。今更どんな自分になったとしても、どうでもいい。誰かと結婚する気など、全然ないのだし。
それはそれとして、改めて諜報部について考えてみる。自宅の諜報部が使えないなら、他家か自前で用意することになるけれど、どっちもウルスラには伝手が無い。
打つ手なし。最初からとん挫した状況になっていることに、眉間にしわを寄せることしかできなかった。
「はぁ……まともな諜報部はいないかしら」
「じゃあぼくなんてどうだい?」
「っ!?」
いきなり背後から掛けられた声に、ウルスラは飛び上がりそうになるほどびっくりしてしまった。激しく動く心臓を落ち着かせようと胸に手を当てつつ、ゆっくりと振り向く。
そこにいたのは、肩口まで伸びた緑の髪を揺らし、ブラックオニキスのように真っ黒な瞳でウルスラを見下ろす男性。黒いジャケットに青色のシャツを着こなし、スラックスも黒だ。端正な顔立ちだが固い印象はなく、どことなく人懐っこさを感じさせる。タレ目がちな目は細められ、口許は孤を描き、面白そうなおもちゃを見つけたと言わんばかりに楽しそうである。
(この方は、確か……!)
その風貌にウルスラは見覚えがあった。死に戻りした過去において数度しか会ったことはないが、さすがにそうすぐに忘れていい相手ではない。
どうしてこの方がここに……不審に思いながらもウルスラはすぐに立ち上がり、カーテシーをした。
「フェリクス殿下。ご機嫌うるわしゅう……」
「ああ、今日は堅苦しいのはいいよ。君も座って」
そう言うと、フェリクスは遠慮なく椅子に座った。座ってと言われた手前、立ちっぱなしでもいられない。ウルスラはしぶしぶ椅子に座り直し、フェリクスに向き直った。
フェリクス・アデュナティオ。
この国、アデュナティオ国の第三王子であり、現在19歳。上の王子二人が王位を巡って争いを繰り広げているが、彼は王位に興味が無いらしく、早々に臣籍降下することを宣言している。
そのため、比較的自由に行動できる立場でもあるのだが、その彼がどうしてヴィンディクタ家の屋敷にいて、しかもウルスラに声を掛けてきたのか。それがウルスラには分からない。
「それで?君は諜報部が欲しいのかい?」
「えっと…その……」
そんなにこやかな笑顔で聞かないでほしい。
ウルスラにとっては聞かれただけでもまずいのに、その内容を追求されるのはもっとまずい。復讐のために諜報部が欲しいだなんて言えるわけがない。
ましてそれを、たかが9歳の身で言うのは頭がおかしいとしか思わないだろう。病院に連れていかれたり、両親に話されて軟禁されるのも御免だ。
どう答えたらいいのか焦っていると、彼はポンと手を打った。
「ああ、そうか。君はぼくが何をしているのか、知らないんだね?」
「えっ?」
「ぼくはね、この国を裏から支配しているんだよ♪」
「…………」
とんでもないことをサラッと言わないでほしい。
しかもそんな笑顔で。
困惑するウルスラに、彼は相変わらず笑みを崩さない。
(冗談?いいえ、そんな気がしないわ。それに、彼の瞳からはなんだか……似た気配がする)
ウルスラをじっと見つめる黒い闇のような瞳。その闇と近いものを、ウルスラは知っている。自分の瞳の中にもそれはあるからだ。ただ敢えて言えば、ウルスラのほうが数段濃いということ。
「ぼくはこの国の諜報部のトップでね。この国に住む貴族から商人まで、何かしでかせる連中の裏を知ってるんだ。もちろん、王族も例外じゃないよ」
「…………」
だからやめてほしい。そんなことを聞かせないでもらいたい。正直困る。
フェリクスの言を信じるなら、王族…つまり国王ですら、彼に裏を握られているということになる。なるほど、それは支配していると言っても過言ではないだろう。
とんでもない人物が目の前にいることに、ウルスラは落ち着かなくなる。正直いますぐ帰ってもらいたい。というか怖い。国王よりも危険人物がすぐそこにいるとか、恐怖でしかない。
だけど、その恐怖も次のフェリクスの言葉に吹き飛んでしまった。
「だから諜報部には詳しいんだ。必要なら、何人かあっせんしてあげようか?」
「!」
それは願ってもない提案だ。ウルスラの心臓がときめく。
今すぐ飛びつきたい。フェリクスの紹介する諜報部なら力量は間違いないだろう。
でも、ウルスラは自分の考えていることを、得体のしれない諜報部に明かしてもいいのかという不安もあった。
(どうしよう……諜報部は欲しいけど、信用できるか分からないわ。もし、拒否されでもしたらモートン様を追い詰めるどころか、こちらが追い詰められかねない。リスクが大きい…)
悩むウルスラに、フェリクスはニヤリと笑う。
フェリクスの目は、ウルスラの目にこれまで見たことも無いほどの漆黒の闇を見た。美しいエメラルドの瞳のはずなのに、今の彼女の瞳はまるで深淵の闇もかくやというほどに濁っている。
たった9歳のはずの少女が、どうしてこれほどまでに深い闇を抱えているのか。それがフェリクスの興味を煽った。
だからこそ彼女の悩みも見て取れる。彼女が欲しているのは、情報を集めさえすればいいだけの諜報部ではない。時に汚れ仕事もやることになるだろう、信頼のおける諜報部だ。
他人から貸された人間など信用できないと、瞳が物語っている。
(ふふっ……ああ、面白いなぁ。外れの家だと思っていたけど、こんな大当たりが眠っていたなんて)
フェリクスがヴィンディクタ家を訪れたのは、この家が抱える諜報部の力量を測るためだ。その目的は勧誘ではない。優れた諜報部を持つ家ほど、抱える闇が大きい。それをのぞき見するのが、フェリクスは大好きだ。
――――人の闇をのぞき見する。
彼が諜報部になった理由はただそれだけであり、まっとうな願望ではない。
妬み、嫉妬、恨み、復讐、報復、強欲、裏切り、盲信、殺人…ありとあらゆる闇が彼の観察対象であり、楽しみなのだ。
醜い感情…そう切って捨てられるものこそ、人間の本質であり、最も人が美しく輝く瞬間なのだ。彼はそう断言してはばからない。
そんな彼のことを、王宮の人間は恐怖と畏怖の対象として見ている。王宮にいて闇が無い人間など皆無と言っていい。つまり全員がフェリクスの観察対象と言ってよく、一体彼に何を知られてしまっているのか、分からない恐怖に怯えるものも少なくない。
それは国内にとどまらず、国外にまで広がっている。どうしてここ数年、アデュナティオ国が周辺国との戦争を回避し、同盟を結べているのかは、彼にその秘密があった。
種明かしをすれば、フェリクスが各国の王族や重鎮の秘密を握ったからにすぎない。彼の父はそれを盾に各国を強請り、同盟を結ばせたのだ。賢王などと呼ばれているが、やってることは恐喝だ。それも、息子の『趣味』の情報集めを利用しただけ。
それくらい、彼の力と影響力はすさまじい。
そして今、彼の興味を最大限に刺激する逸材が、目の前にいる。彼女は一体どんな闇を持っているのか。その闇を見るためなら、フェリクスはなんでもしようという気持ちだ。
そんなフェリクスをよそに、悩むウルスラはやはり信用できないという結論に達しようとしている。
「あの、フェリクス殿下。それは…」
「信用できない?」
「っ……いえ、あの……」
あっさりと悩みの種を見抜かれてしまい、口ごもる。確かにその通りなのだけれど、殿下の抱える諜報部を信用できないと言えるわけがないのだ。
ウルスラとしては、第三王子であるフェリクスに自分の復讐劇を巻き込みたくはなかった。まして、フェリクスには何のメリットもない。だから、何も聞かなかったことにしてほしい。
…とウルスラは思っているが、フェリクスにとってみれば、ウルスラの動向が見られるだけでご褒美である。こんな機会を絶対に逃がす気はない。
そこでフェリクスはポンと手を叩き、名案を思い付いたとばかりににんまり笑う。
「わかった。君だけの諜報部を作ろう」
「えっ?」
思わぬ提案に、ウルスラの目が点になる。
「君の言うことだけを聞き、君にだけ忠誠を誓い、君の手となり足となり、目となり耳となる。そんな君だけの諜報部を一緒に作ろう。それならどうだい?」
「………」
なんて魅力的な提案だろうか。それならぜひともお願いしたい。
フェリクスの提案にウルスラの心は踊り、彼を巻き込みたくないとかそんな話はどこかに飛んでいった。いやむしろ、拒否しようとしているのにそれを分かってなお提案してきているのだから、もう巻き込んでしまえばいいと自棄なところもあったりなかったり。
しかも協力してくれるのはこの国の諜報部のトップだ。その力量は信用できる。所詮相手は伯爵家の三男。王国の暗部でもなければ、他国に潜入任務をさせたいわけでもない。むしろ過剰スペックなくらいだ。
気が付けば、ウルスラは頭を下げていた。
「お願いします!」
「よし、交渉成立だ」
果たしてどこが交渉だったのだろうか。
ウルスラはそれに気付かず、フェリクスは彼女の闇をのぞき見する権利を得た(と勝手に思っている)ことで、輝かしいまでに笑顔になっている。
もっとも、フェリクスを知る者からすれば、彼の満面の笑みほど恐ろしいものは無いと語るだろう。正義や道徳、倫理の欠片も無い彼の行動理念は、何を暴かれるのかという恐怖にしかならないのだから。
今ここに、9歳と19歳は手を組むこととなった。互いの利益のために結ばれたこの手は、のちに別の意味で結ばれることになることを、まだ彼女らは知らない。
ヴィンディクタ家の屋敷の庭には季節の花々が咲き乱れ、庭師によって丁寧に整えられている。ウルスラはその庭で椅子に座り、頬に手を当てて一人悩まし気に呟いた。
モートンへの復讐を誓ったウルスラだが、ただの復讐ではない。ウルスラの考える復讐は、モートンの仕掛ける策のことごとくを打ち破り、その上でその策を利用してモートンを貶めるものだ。
そのためには、モートンが何を考え、どう仕掛けてくるのかを事前に察知しなければならない。つまり、ウルスラ一人でできることではないのだ。
モートンだって協力者がいた。ウルスラにも協力…いや、忠誠を誓う者が要る。
(他言無用、絶対忠誠、諜報も戦闘にも長けて、私の目となり耳となり、手となり足となり、盾となり剣となる……そんな都合のいい人材いないかしら)
我ながら都合の良すぎる妄想をしていると自覚しつつも、そんな人材を望まずにはいられない。
実はヴィンディクタ家にも諜報部が存在する。高位貴族にはそういったものを召し抱えている場合が多い。
ただ、ヴィンディクタ家の諜報部は当てにならない。それは、過去の記憶で当主をあっさり殺されていることからも分かることだ。ぶっちゃけ役立たず。使用人に毛が生えた程度。
そんなものを頼る気にはとうていなれなかった。無能な味方ほど恐ろしい者はいないとは、前世からの記憶である。
(そんなのでもいないよりはマシかしら…。いえ、所詮金で雇われてるだけの人間じゃ信用に値しない。私のやろうとしてることは、常人じゃ耐えられないでしょう)
ウルスラの脳内には、モートンを地獄に送るための策がいくつか思いついている。はっきり言って、その策をやろうとすれば十人中十人が止めに入るだろう残酷なものだ。
まともな倫理観があれば、まず実行できない。それをやろうとしているのがウルスラなわけだが。
(ああ、モートン様が苦しみにあえぐ姿を想像するだけで心が躍ってきちゃう。いけないわ、まだまだこれからだというのに)
つい愉しさから表情が見せられないものに変わりそうになり、気を引き締める。
油断するとすぐモートンを苦しめることばかり考えてしまう。まさか自分にそんなクセがあるだなんて…と思ったけれど、まぁいいやと流しておく。
どうせ自分はもう壊れているのだ。今更どんな自分になったとしても、どうでもいい。誰かと結婚する気など、全然ないのだし。
それはそれとして、改めて諜報部について考えてみる。自宅の諜報部が使えないなら、他家か自前で用意することになるけれど、どっちもウルスラには伝手が無い。
打つ手なし。最初からとん挫した状況になっていることに、眉間にしわを寄せることしかできなかった。
「はぁ……まともな諜報部はいないかしら」
「じゃあぼくなんてどうだい?」
「っ!?」
いきなり背後から掛けられた声に、ウルスラは飛び上がりそうになるほどびっくりしてしまった。激しく動く心臓を落ち着かせようと胸に手を当てつつ、ゆっくりと振り向く。
そこにいたのは、肩口まで伸びた緑の髪を揺らし、ブラックオニキスのように真っ黒な瞳でウルスラを見下ろす男性。黒いジャケットに青色のシャツを着こなし、スラックスも黒だ。端正な顔立ちだが固い印象はなく、どことなく人懐っこさを感じさせる。タレ目がちな目は細められ、口許は孤を描き、面白そうなおもちゃを見つけたと言わんばかりに楽しそうである。
(この方は、確か……!)
その風貌にウルスラは見覚えがあった。死に戻りした過去において数度しか会ったことはないが、さすがにそうすぐに忘れていい相手ではない。
どうしてこの方がここに……不審に思いながらもウルスラはすぐに立ち上がり、カーテシーをした。
「フェリクス殿下。ご機嫌うるわしゅう……」
「ああ、今日は堅苦しいのはいいよ。君も座って」
そう言うと、フェリクスは遠慮なく椅子に座った。座ってと言われた手前、立ちっぱなしでもいられない。ウルスラはしぶしぶ椅子に座り直し、フェリクスに向き直った。
フェリクス・アデュナティオ。
この国、アデュナティオ国の第三王子であり、現在19歳。上の王子二人が王位を巡って争いを繰り広げているが、彼は王位に興味が無いらしく、早々に臣籍降下することを宣言している。
そのため、比較的自由に行動できる立場でもあるのだが、その彼がどうしてヴィンディクタ家の屋敷にいて、しかもウルスラに声を掛けてきたのか。それがウルスラには分からない。
「それで?君は諜報部が欲しいのかい?」
「えっと…その……」
そんなにこやかな笑顔で聞かないでほしい。
ウルスラにとっては聞かれただけでもまずいのに、その内容を追求されるのはもっとまずい。復讐のために諜報部が欲しいだなんて言えるわけがない。
ましてそれを、たかが9歳の身で言うのは頭がおかしいとしか思わないだろう。病院に連れていかれたり、両親に話されて軟禁されるのも御免だ。
どう答えたらいいのか焦っていると、彼はポンと手を打った。
「ああ、そうか。君はぼくが何をしているのか、知らないんだね?」
「えっ?」
「ぼくはね、この国を裏から支配しているんだよ♪」
「…………」
とんでもないことをサラッと言わないでほしい。
しかもそんな笑顔で。
困惑するウルスラに、彼は相変わらず笑みを崩さない。
(冗談?いいえ、そんな気がしないわ。それに、彼の瞳からはなんだか……似た気配がする)
ウルスラをじっと見つめる黒い闇のような瞳。その闇と近いものを、ウルスラは知っている。自分の瞳の中にもそれはあるからだ。ただ敢えて言えば、ウルスラのほうが数段濃いということ。
「ぼくはこの国の諜報部のトップでね。この国に住む貴族から商人まで、何かしでかせる連中の裏を知ってるんだ。もちろん、王族も例外じゃないよ」
「…………」
だからやめてほしい。そんなことを聞かせないでもらいたい。正直困る。
フェリクスの言を信じるなら、王族…つまり国王ですら、彼に裏を握られているということになる。なるほど、それは支配していると言っても過言ではないだろう。
とんでもない人物が目の前にいることに、ウルスラは落ち着かなくなる。正直いますぐ帰ってもらいたい。というか怖い。国王よりも危険人物がすぐそこにいるとか、恐怖でしかない。
だけど、その恐怖も次のフェリクスの言葉に吹き飛んでしまった。
「だから諜報部には詳しいんだ。必要なら、何人かあっせんしてあげようか?」
「!」
それは願ってもない提案だ。ウルスラの心臓がときめく。
今すぐ飛びつきたい。フェリクスの紹介する諜報部なら力量は間違いないだろう。
でも、ウルスラは自分の考えていることを、得体のしれない諜報部に明かしてもいいのかという不安もあった。
(どうしよう……諜報部は欲しいけど、信用できるか分からないわ。もし、拒否されでもしたらモートン様を追い詰めるどころか、こちらが追い詰められかねない。リスクが大きい…)
悩むウルスラに、フェリクスはニヤリと笑う。
フェリクスの目は、ウルスラの目にこれまで見たことも無いほどの漆黒の闇を見た。美しいエメラルドの瞳のはずなのに、今の彼女の瞳はまるで深淵の闇もかくやというほどに濁っている。
たった9歳のはずの少女が、どうしてこれほどまでに深い闇を抱えているのか。それがフェリクスの興味を煽った。
だからこそ彼女の悩みも見て取れる。彼女が欲しているのは、情報を集めさえすればいいだけの諜報部ではない。時に汚れ仕事もやることになるだろう、信頼のおける諜報部だ。
他人から貸された人間など信用できないと、瞳が物語っている。
(ふふっ……ああ、面白いなぁ。外れの家だと思っていたけど、こんな大当たりが眠っていたなんて)
フェリクスがヴィンディクタ家を訪れたのは、この家が抱える諜報部の力量を測るためだ。その目的は勧誘ではない。優れた諜報部を持つ家ほど、抱える闇が大きい。それをのぞき見するのが、フェリクスは大好きだ。
――――人の闇をのぞき見する。
彼が諜報部になった理由はただそれだけであり、まっとうな願望ではない。
妬み、嫉妬、恨み、復讐、報復、強欲、裏切り、盲信、殺人…ありとあらゆる闇が彼の観察対象であり、楽しみなのだ。
醜い感情…そう切って捨てられるものこそ、人間の本質であり、最も人が美しく輝く瞬間なのだ。彼はそう断言してはばからない。
そんな彼のことを、王宮の人間は恐怖と畏怖の対象として見ている。王宮にいて闇が無い人間など皆無と言っていい。つまり全員がフェリクスの観察対象と言ってよく、一体彼に何を知られてしまっているのか、分からない恐怖に怯えるものも少なくない。
それは国内にとどまらず、国外にまで広がっている。どうしてここ数年、アデュナティオ国が周辺国との戦争を回避し、同盟を結べているのかは、彼にその秘密があった。
種明かしをすれば、フェリクスが各国の王族や重鎮の秘密を握ったからにすぎない。彼の父はそれを盾に各国を強請り、同盟を結ばせたのだ。賢王などと呼ばれているが、やってることは恐喝だ。それも、息子の『趣味』の情報集めを利用しただけ。
それくらい、彼の力と影響力はすさまじい。
そして今、彼の興味を最大限に刺激する逸材が、目の前にいる。彼女は一体どんな闇を持っているのか。その闇を見るためなら、フェリクスはなんでもしようという気持ちだ。
そんなフェリクスをよそに、悩むウルスラはやはり信用できないという結論に達しようとしている。
「あの、フェリクス殿下。それは…」
「信用できない?」
「っ……いえ、あの……」
あっさりと悩みの種を見抜かれてしまい、口ごもる。確かにその通りなのだけれど、殿下の抱える諜報部を信用できないと言えるわけがないのだ。
ウルスラとしては、第三王子であるフェリクスに自分の復讐劇を巻き込みたくはなかった。まして、フェリクスには何のメリットもない。だから、何も聞かなかったことにしてほしい。
…とウルスラは思っているが、フェリクスにとってみれば、ウルスラの動向が見られるだけでご褒美である。こんな機会を絶対に逃がす気はない。
そこでフェリクスはポンと手を叩き、名案を思い付いたとばかりににんまり笑う。
「わかった。君だけの諜報部を作ろう」
「えっ?」
思わぬ提案に、ウルスラの目が点になる。
「君の言うことだけを聞き、君にだけ忠誠を誓い、君の手となり足となり、目となり耳となる。そんな君だけの諜報部を一緒に作ろう。それならどうだい?」
「………」
なんて魅力的な提案だろうか。それならぜひともお願いしたい。
フェリクスの提案にウルスラの心は踊り、彼を巻き込みたくないとかそんな話はどこかに飛んでいった。いやむしろ、拒否しようとしているのにそれを分かってなお提案してきているのだから、もう巻き込んでしまえばいいと自棄なところもあったりなかったり。
しかも協力してくれるのはこの国の諜報部のトップだ。その力量は信用できる。所詮相手は伯爵家の三男。王国の暗部でもなければ、他国に潜入任務をさせたいわけでもない。むしろ過剰スペックなくらいだ。
気が付けば、ウルスラは頭を下げていた。
「お願いします!」
「よし、交渉成立だ」
果たしてどこが交渉だったのだろうか。
ウルスラはそれに気付かず、フェリクスは彼女の闇をのぞき見する権利を得た(と勝手に思っている)ことで、輝かしいまでに笑顔になっている。
もっとも、フェリクスを知る者からすれば、彼の満面の笑みほど恐ろしいものは無いと語るだろう。正義や道徳、倫理の欠片も無い彼の行動理念は、何を暴かれるのかという恐怖にしかならないのだから。
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