烙焔

梓月 霜

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紅に染まるもの

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 街が燃えていた。赤くうねるような炎が空へと立ち上り、形あるものを紅蓮の腕で飲み込んでいく。
 巻き上がる熱風。そこかしこで響く悲鳴と何かが爆ぜる音。阿鼻叫喚の地獄絵図がそこには広がっていた。
 灼熱の光景を空から見下ろし、煌めくような銀の髪をした青年は僅かながら目を細める。腰まで伸びる長い髪を結わえたその背には白い大きな翼。だが、炎に巻かれた人々が遥か天空に浮かぶ人ならざる者に気付くことはない。

「悪魔の気配がしたから来てみたが……」
 誰に聞かれるでもない呟きは屋根よりも高いところでも感じる熱に混じり溶けていく。地上はもう炎の海だった。透き通る青い瞳がそれを見ている間にも幾つもの魂が肉体から離れていく。容赦なく街も人も襲う炎は建物を壊し、人の命も家畜の命も奪っていった。
「戦火か……、いつの時代も人とは争いが好きだな」
 また一つ、命が消えた。魂が肉体から離れていく。
 だが、魂を天界へと導くのは彼の役目ではない。天の長から彼が授かった任務は悪魔が人間へと影響を与えるのを阻止することだ。
 炎に飲まれていく人々に救いの手を差し伸べることはせず、彼は己の役目を全うすべく周囲を探る。
 どこかにまだいるはずだ。この戦火の原因となったものが。或いはこの惨劇を愉しんでいるものが。
 彼をここへと導いた魔の気配はまだ残っている。
 視線を巡らし辺りを窺ってみれば、燃え広がる炎の裾、まだ完全には火が回ってはいない高台の方に闇を纏った気配があった。
「あそこか」
 天使の証である白い翼を羽ばたかせ、彼は忌むべき存在へと目標を定め飛んで行く。地上で逃げ惑う人々の目に留まることもなく、遮るもののない宙を駆け、ほどなくして辿り着いた先は人間たちの建てた教会であった。まだ焼け落ちていないステンドグラスには鮮やかな色彩で天使が描かれている。
 天へと十字を掲げた屋根の上、人の形をしたその姿はあった。まだ若そうな青年の姿をした≪それ≫はまるで橋のへりに腰かけ眼下で泳ぐ魚を眺めるように泰然と佇んでいた。
 この高さにいても感じる炎の熱。行き場をなくして恐怖に怯える人々の声。黒い煙と焦げた匂い。
 凄絶な光景に何にも動じることなく、まるで欄干から川面を眺めるがごとく男はただ燃える街を見下ろしている。
 その姿を視認した天使は空中で動きを止めた。それ以上近づくことなく、真っ直ぐに男を見つめる。
 ≪それ≫は人ではないはずだった。自分たち天使とは対極の、人に害を齎す存在。人間を誘惑し陥落し魂を弄ぶ悪しき存在。
 己が知る悪魔とはそういったものだった。
 だが。
 醜さとは程遠い、髪の間から覗く角がなければ自らの同族とも見紛うその姿。背にある翼は漆黒で、気配は確かに紛れもなく悪魔のものであるというのに。
 目を離せない。
 それは、禍々しくも純然と美しかった。炎を宿したかのような紅い髪。その横顔は綺麗な線を描き、長い手足は定められた比率で作られたかのように均整が取れており、屋根に無造作に腰かけるその姿でさえまるで計算された構図であるかのようだった。
 地上の惨事を愉しむでもなく、哀しむでもなく、あるがままの光景を眺め下す男の真意は計れない。
 目の前の光景を引き起こした元凶であるのはこの男なのか。それとも人々の悲鳴と絶望に惹かれて眺めに来ただけなのか。
 今まで幾らかの悪魔と対峙したことはあったが、ここまで人に似た姿を持ち、人とは異なる存在感を放ち、天使と変わらぬ美しさを持つものを見たことがなかった。
 一体、なにものなのか。
 その気配はどこまでも闇の眷属のものであるのに、清らかさとは無縁のものであるのに。だが圧倒される強烈な引力があった。
 抗いがたいその衝動は何なのか。この世界に存在してから初めて知る奇妙な感覚。激しい動揺と共に四肢は見えぬ鎖に囚われ動けない。時が止まったかのように身体は動かないのに意識だけは高揚している。理由もよくわからずに。
 ふと、男の視線が眼下の炎から離れた。人の世界にそぐわぬ異質なもう一つの気配を感じ取ったのか、首を巡らせ男の目線がこちらへと動く。今まで見据えることのできなかった対の瞳が向けられる。
「……ッ」
 その視界に捉われる刹那、青銀の天使は悪魔を諫めるという己の役目を放棄し姿を掻き消したのだった。
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