ブルー・リグレット

梓月 霜

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2.契約

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「それで、友達とも呼べないただの元同級生に金の無心を?」
 何のアポもなくやって来た無作法な訪問者を家にあげ、話だけを聞いてあげた僕は不愉快さを隠すことなく冷たい声を放った。
 高校を卒業してから顔を見るどころか声すら聞いたこともなかった相手が急に押しかけてきた理由は、金を貸してほしいというくだらないものだった。
 そう、実にくだらなくて忌々しい。
 滲み出ている悪感情を感じ取りながらも、僕と対峙する彼は真剣な顔で言い募る。
「図々しいのはわかってる。でも、他にあてがなくて」
 案内されたリビングのソファに座り、視線を落として申し訳なさそうに言う藤宮に吐き気がした。
 両親が死んで一人で大金を手にして以来、金を求めてやって来る人間がわらわらといた。血の繋がった親戚からほとんど顔も知らないような他人まで。
 こいつもそんな連中の一人なのかと、蔑んだ目で僕は藤宮を見つめる。
 高校の時から変わらない明るい髪の色。そんなに金が足りないなら髪を染めるのをやめたらいいのに。助けてくれと縋るくせに己でできる努力はしない奴が多すぎる。
 今の今まで、誰も僕のことなど振り向かなかったくせに。
 
「君の事情はわかったけど、唐突過ぎる」
「……」
 弟の手術代のために金を貸してほしい。それが彼が僕を訪ねてきた理由だった。
 三つ下の弟は、数年前に重大な疾患が発覚し手術をしなければもう長くは持たないらしい。今のまま放置すれば体力も落ち手術自体ができなくなる。だが、受けたい手術は保険適用外で多額の費用がかかる。両親はもうおらず、今までの治療代に加え新たな手術代まで用意することは二十歳を少し過ぎたばかりの彼にはできなかった。
 彼の逼迫した事情は理解に値する。とはいえ。
 高校の二年間。クラスが一緒だっただけの相手。急に家にまで押しかけてきて多額の借金を頼むのは非常識で不躾だ。
 そんなことは百も承知でここに来たのだろう彼は俯いて拳を握りしめるだけで何も答えない。
 彼の行動は、はっきり言って嫌悪以外の何ものでもない。
 だけど、僕とは縁のない世界にいた彼が、儚い伝手を頼りこうして頭を下げているのは小気味がよかった。教室の片隅でいつも一人で座っていたような僕に、学年の誰もが名を知っていたような人気者の彼が助けを乞うている。
 二百万なんて金をぽんと貸してやるつもりはないが、その気はないと切り捨ててしまうのもつまらない気がして僕は会話を続ける。
「それに例え仲が良くても気軽に貸せる金額でもない」
「わかってる。でも……、頼む。絶対ちゃんと返すって約束するから」
「約束なんて意味がない」
「ぜってえ守るよ‼」
 言葉を重ねて取りすがる彼に僕は冷めた目を向ける。真っ直ぐな眼差しは澱みなく強く、真摯な光を宿していた。きっと、彼の言葉に嘘はない。
 だが。
「君にその気があったとしても、明日事故で死ぬかもしれない。一か月後には重い病気が見つかって入院しているかもしれない。君がどれだけ誠実な人間だったとしても、約束が守られる保証なんてないんだよ」
「それは……」
 続く言葉に詰まった彼は一度俯いて、それから握っていた拳に更に力を入れると決意を宿した目でこちらを見つめた。
「……生命保険が、ある」
「え?」
「もしもの時には弟に少しでも金を残してやろうと思って……、お袋がいなくなった時からかけてる保険がある。何かあった時にはその保険金をお前にやるから」
 言葉に詰まるのは僕の方だった。彼の真剣さと必死さが伝わる。静かに告げる彼は何かに耐えているようでも悔しそうでもあった。
「頼む。どうしても今、金が必要なんだ」
 話を聞く余地はあると見せかけて突き放してやろうと思っていた心が揺らぐ。
 生半可な気持ちでただ金を無心に来たほかの連中とは違う。彼には強い理由と覚悟がある。
 少なくとも必ず金を返そうという意思は伝わった。
「そこまで言うのなら少しは考えてあげるよ。とはいえ、今ここで二百万を貸す約束はできない」
「じゃ、じゃあっ、とりあえず五十万は無理か? それがあれば手術の申し込みはできるんだ。期限がもうあと二週間もなくて」
 彼の話によれば、どうにか搔き集めた百万のほかにあと五十万足りないらしい。それがあればとりあえずは前金として支払える。残りの金額は手術が終わってからにしてもらえたから前金さえ払えば時間にまだ余裕がある。といっても、一、二か月程度の余裕だが。
「借りたものはちゃんと返すから。さっきも言ったようにもしもの時は生命保険があるし、何もなければこの先きちんと稼いで返すから」
 縋るように見上げる彼の眼差しに僕は口を閉ざす。五十万くらいはすぐに払える額だ。いや、二百万だって払えない金額ではないがわざとゆっくり思案する時間を設けて、それから仕方なくといった様子で僕は告げた。
「わかった。ちょうど家事代行サービスを頼もうと思っていたところだったから住み込みの家政夫として雇ってあげる。とりあえず、3か月分の給料を前払いで五十万払ってあげるよ。残りの百五十万についてはまた考える」
「本当かっ⁉」
「ああ」
「助かる! ありがとう‼」
 立ち上がった彼は僕の手を取るとぎゅうぎゅうと握り締めてきた。久しぶりに感じた他者の熱。それを気持ち悪いと感じたのか懐かしいと感じたのかもよくわからないまま、不意に記憶が遡る。

 一度だけ、彼と話したことがあった。あれは二年生の夏ごろだ。帰ろうとして校舎を出たところでいきなりの土砂降りに出くわしたことがあった。朝、家を出るときには降雨の予報は夜半になってからだったから折り畳み傘も持ってきてはいない。滝のように音を立てて降る雨を前に立ち尽くすしかなかった。
 その時、偶々近くにいた彼は僕を見て笑ったのだ。「ひでえな、これ」そう言ってははっと笑った彼は、戸惑いながらも軽く頷いただけの僕にじゃあなと気さくに手を振って雨の中を走り去っていった。
 風が吹き抜けていくような、ほんの短い邂逅。
 きっと彼は覚えていないだろう。彼にとっては何気ない日常の一コマで、そもそもあの時、僕の名前を知っていたのかどうかすらあやしい。
 それでも、僕にとっては鮮やかな記憶として今でも蘇る。
 どこか遠くで聞こえていた稲妻の音。生温かい雨と肌にはりついたシャツの感触。向けられた無邪気な瞳。
 いつも誰かに囲まれていた彼が、クラスの誰にも認識されていないような僕を瞳に映している。
 自分とは違う明るい髪。濡れた向日葵のような彼。
 道端で気にも止められない雑草と、青空の下咲く大輪の花がなんの気まぐれか雨の中向き合った。ほんの数分の出来事。

 そのとき抱いた感情はよくわからない。ささやかな感動だったのか、何とも言えないもどかしさだったのか。
 あの一瞬だけ、僕は彼と同じ世界線に並んだのだ。
 同じ校舎の中、同じ教室の中にありながらけっして交わることなかった僕の世界は、あの時だけ彼に繋がったのだ。
 僕らの会話はその時だけで、それ以後彼が僕に話しかけてくることはおろか視線が合うことすらなかった。僕は変わらず教室の片隅に生息しているだけの人間で、彼はクラスの中心で多くの人に視線を向けられながら楽しそうに笑っていた。

「いつから来ればいい?」
 いつの間にか手を包んでいた熱は離れていた。昔の記憶から引き戻された僕は、目の前にいる彼の姿を捉える。少年だった昔よりも骨格はしっかりしたように思うが、あの頃よりもどこか痩せて細くなったように見える。
「すぐにでも。とりあえず、まずはきちんと契約を交わそう。五十万は労働に対する対価として支払うものだから、君の生命保険の件はひとまず置いておいて」
「わかった」
 希望が繋がってほっとした顔の彼は頷き、言葉を続けた。
「明日からでいいか? 何か持ってこなければいけないものは?」
「契約書に押す印鑑を。後は身の回りの必要なものを持ってくればいい。生活用品は適当に使っていいし、足りなければ買えばいいよ。そのくらいの金は必要経費として出す」
「じゃあ、準備して明日持ってくる。何時ごろ来ればいい?」
「午後ならいつでもいいよ」
「なら、三時ぐらいに来る。あ、俺の連絡先教えるな」
 表情の柔らかくなった彼は高校の時のような気さくな調子でスマホを取り出す。指先は少し荒れていて昔よりも髪は全体的に長めだ。肌の色は前より白くなった気がする。
 多少の変化は見受けられるものの、これはあの『藤宮』なのだと実感する。二年も同じクラスで過ごしながらたった一言二言言葉を交わしただけの遠い存在だった彼なのだと。
 あの彼がこんなにも間近で当たり前のように僕と喋っている。
「おし、じゃあまた明日」
 番号を交換し終えた彼は、今日はありがとうと礼を言って帰っていった。
 
 時計を見れば、彼が滞在していたのは二十分ほどのことだった。二度と会うことすらないだろうと思っていた相手。そんな相手と明日からは同じ屋根の下で生活する。
 茶の一つも出さなかったので綺麗なままのリビングテーブル。玄関の音が閉まると共に完全に消えた気配。今はもう彼の存在なんてどこにも感じられない部屋で僕は思う。
 本当に運命なんてわからないものだと。
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