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ex.彼の独白
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俺のことを嫌いなんだろうな、と思っていた。
いつもひっそりと一人で参考書や小説を読んでいた彼は、誰にも関心がなさそうだったけれど時折こちらへと向けられる眼鏡の奥の視線はひどく冷めたものに思えた。広くもない教室の中で、こちら側とあちら側を断絶するような、深い隔たりを感じた。
一人でいることの苦手な俺には、他人からの視線にも感情にも無関心で孤高を貫く彼が少し羨ましくも思えた。
友達といるのは楽しい。誰かと喋るのは楽しい。でも、何かを埋めるように自分がそうしているのも感じてた。だから、誰の存在も必要とせず一人で完結している彼が凄いと思った。
一度だけ、彼に声を掛けたことがあった。放課後、同じようにびしょ濡れになって途方に暮れた顔をしていた彼がその時だけは自分と変わらぬ存在に見えて、同じところに立っているように思えて、だから思わず声を掛けた。返事はなかったけれど、束の間の交流は新鮮だった。あの瞬間だけは、彼は自分と同じものを見て同じ空間にいるように思えた。
二年間も同じクラスだったのに、彼から声を掛けられたことはなかった。こちらから声を掛けたのもその一度きりだった。他のクラスメイトとは男女問わずとくに親しくすることもなく、彼はいつも一人だった。けれど、彼から孤独を感じることはなかった。
高校を卒業して、二度と会うことはないだろうと思っていた。実はクラスメイトの中で彼の連絡先だけ知らなかった。高校を卒業した後は、生活と弟の病気のことで他のことを考える余裕もなく、昔の学友たちに会えるのは最後の機会かもと参加した二十歳の時の同窓会では自分と皆との違いを感じた。学生時代の友人たちともあまり連絡を取らなかったので卒業後の彼の動向を知ったのは彼が大学を卒業した後だ。
彼の両親が亡くなったことに衝撃を受けたが、それにより手にした金を元に実業家として成功したことにも驚き、そして一縷の希望を見出した。
両親の喪失と引き換えに彼が手にした金に縋ろうとする自分には嫌気がさしたが背に腹は代えられなかった。ダメ元でもぶつかってみるしかないと彼のもとへと向かった。
世の中は不平等だ。生まれながらにして与えられたもの、与えられなかったものが決まっていて、手にせず生まれたものを後から手に入れるのは難しい。
卑屈になるつもりはなかった。それは負けだと思うからだ。誰かのせいにして、何かのせいにして生きたくはない。
身体を売る、ということを考えなかったわけではない。
手っ取り早く現金を手に入れるにはすぐに浮かぶ選択肢だ。思いとどまったのは、汚れた金だと弟に知られたくなかったからだ。そんな金で助かりたくなかったと弟は言うだろう。それに、せっかく弟が元気になったとしても、後で俺の存在が弟の足を引っ張るようなことになっても困る。
再会した時から、彼の瞳に侮蔑が宿っているのは知っていた。それはそうだろう。逆の立場だったら、なんて調子のいい奴だと俺だって思う。
彼の中に俺への不快感があるのに気づきながら、俺はそれを見ていないふりで彼に縋った。
俺の甘さを、弱さを突き付けてくるあの目が恐ろしく、それでいて誰もくれない侮蔑と叱責を与えてくれることにどこか安堵していた。誰も暴かなかった俺の醜さをアイツは抉り出す。その腕から逃げたくて、でも捕まえていてほしかった。
父親の存在を知らないということは自分の存在を確立できないということだ。自分は一体何者なのか。純粋な日本人ですらないだろう自分はこの国での所在も不確かだ。
ずっと俺の足元には踏みしめる大地がなかった。母親すらいなくなって、弟を生きる意味にすることでどうにか自分の存在理由を確保していた。
弟想いの兄なんかじゃない。自分が存在するために弟が必要だっただけだ。唯一残った家族の弟までいなくなったら本当に俺は自分が誰なのかわからなくなってしまう。
だけど、両親を喪って孤独な彼は一人でも毅然と生きていた。自らの力で人生を手に入れていた。
自分の居場所もわからず弟という他者の存在を拠り所にしている俺とは違った。
強いと思った。そして、彼の目から見れば自分はどんなに矮小な存在なのだろうと思った。
彼のしたことを許すも許さないもなかった。始めから、すべて自分が選択したことなのだから。金を得るために彼を利用したのは自分の方で、その結果を受け止めるのは当然だ。
許せないのは自分自身だった。汚れた金を望まないと言いながら、結局中途半端に矜持を投げ出して懇願する情けない自分を嫌悪した。
その結果、逃げ出した自分はもっと嫌いだ。
彼が俺を止めに来てくれてよかったと今では思う。
馬鹿な俺を彼が叱ってくれてよかった。
弟のことも俺のことも救ってくれたあいつが願うなら、捨て去るつもりだった命の代わりに俺が持つものすべてをあげたっていい。
だから。
お前は自分の望みを余すことなく俺に伝えればいいんだよ、祐。
いつもひっそりと一人で参考書や小説を読んでいた彼は、誰にも関心がなさそうだったけれど時折こちらへと向けられる眼鏡の奥の視線はひどく冷めたものに思えた。広くもない教室の中で、こちら側とあちら側を断絶するような、深い隔たりを感じた。
一人でいることの苦手な俺には、他人からの視線にも感情にも無関心で孤高を貫く彼が少し羨ましくも思えた。
友達といるのは楽しい。誰かと喋るのは楽しい。でも、何かを埋めるように自分がそうしているのも感じてた。だから、誰の存在も必要とせず一人で完結している彼が凄いと思った。
一度だけ、彼に声を掛けたことがあった。放課後、同じようにびしょ濡れになって途方に暮れた顔をしていた彼がその時だけは自分と変わらぬ存在に見えて、同じところに立っているように思えて、だから思わず声を掛けた。返事はなかったけれど、束の間の交流は新鮮だった。あの瞬間だけは、彼は自分と同じものを見て同じ空間にいるように思えた。
二年間も同じクラスだったのに、彼から声を掛けられたことはなかった。こちらから声を掛けたのもその一度きりだった。他のクラスメイトとは男女問わずとくに親しくすることもなく、彼はいつも一人だった。けれど、彼から孤独を感じることはなかった。
高校を卒業して、二度と会うことはないだろうと思っていた。実はクラスメイトの中で彼の連絡先だけ知らなかった。高校を卒業した後は、生活と弟の病気のことで他のことを考える余裕もなく、昔の学友たちに会えるのは最後の機会かもと参加した二十歳の時の同窓会では自分と皆との違いを感じた。学生時代の友人たちともあまり連絡を取らなかったので卒業後の彼の動向を知ったのは彼が大学を卒業した後だ。
彼の両親が亡くなったことに衝撃を受けたが、それにより手にした金を元に実業家として成功したことにも驚き、そして一縷の希望を見出した。
両親の喪失と引き換えに彼が手にした金に縋ろうとする自分には嫌気がさしたが背に腹は代えられなかった。ダメ元でもぶつかってみるしかないと彼のもとへと向かった。
世の中は不平等だ。生まれながらにして与えられたもの、与えられなかったものが決まっていて、手にせず生まれたものを後から手に入れるのは難しい。
卑屈になるつもりはなかった。それは負けだと思うからだ。誰かのせいにして、何かのせいにして生きたくはない。
身体を売る、ということを考えなかったわけではない。
手っ取り早く現金を手に入れるにはすぐに浮かぶ選択肢だ。思いとどまったのは、汚れた金だと弟に知られたくなかったからだ。そんな金で助かりたくなかったと弟は言うだろう。それに、せっかく弟が元気になったとしても、後で俺の存在が弟の足を引っ張るようなことになっても困る。
再会した時から、彼の瞳に侮蔑が宿っているのは知っていた。それはそうだろう。逆の立場だったら、なんて調子のいい奴だと俺だって思う。
彼の中に俺への不快感があるのに気づきながら、俺はそれを見ていないふりで彼に縋った。
俺の甘さを、弱さを突き付けてくるあの目が恐ろしく、それでいて誰もくれない侮蔑と叱責を与えてくれることにどこか安堵していた。誰も暴かなかった俺の醜さをアイツは抉り出す。その腕から逃げたくて、でも捕まえていてほしかった。
父親の存在を知らないということは自分の存在を確立できないということだ。自分は一体何者なのか。純粋な日本人ですらないだろう自分はこの国での所在も不確かだ。
ずっと俺の足元には踏みしめる大地がなかった。母親すらいなくなって、弟を生きる意味にすることでどうにか自分の存在理由を確保していた。
弟想いの兄なんかじゃない。自分が存在するために弟が必要だっただけだ。唯一残った家族の弟までいなくなったら本当に俺は自分が誰なのかわからなくなってしまう。
だけど、両親を喪って孤独な彼は一人でも毅然と生きていた。自らの力で人生を手に入れていた。
自分の居場所もわからず弟という他者の存在を拠り所にしている俺とは違った。
強いと思った。そして、彼の目から見れば自分はどんなに矮小な存在なのだろうと思った。
彼のしたことを許すも許さないもなかった。始めから、すべて自分が選択したことなのだから。金を得るために彼を利用したのは自分の方で、その結果を受け止めるのは当然だ。
許せないのは自分自身だった。汚れた金を望まないと言いながら、結局中途半端に矜持を投げ出して懇願する情けない自分を嫌悪した。
その結果、逃げ出した自分はもっと嫌いだ。
彼が俺を止めに来てくれてよかったと今では思う。
馬鹿な俺を彼が叱ってくれてよかった。
弟のことも俺のことも救ってくれたあいつが願うなら、捨て去るつもりだった命の代わりに俺が持つものすべてをあげたっていい。
だから。
お前は自分の望みを余すことなく俺に伝えればいいんだよ、祐。
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