君がいるから呼吸ができる

尾岡れき

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20  君は幼馴染たちに向き合う

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 最初はただ見守るだけのつもりだった。雪姫と海崎達の関係に入り込むほど野暮でも、厚かましく振る舞うつもりもなかった。
 だから、あとはこの3人だけにして。俺は少し離れた場所にいよう、と。例えばあの神社の境内で待つ方が良い。そう思った刹那――雪姫の呼吸が乱れた。

 いや俺の考えが伝染したわけじゃないと思うのだが……いや、まさかね?
 でも雪姫は俺の顔を見て、不安そうにする。発作が起きる寸前なのは、短い付き合いの俺にも嫌でも感じ取れて。――こうなれば、俺が取る行動はたった一つしかなかった。
 俺は雪姫の手を握る。

(落ち着くまで、傍にいるから)

 そう心の中で囁く。
 雪姫が俺との距離を縮めた。縋りつくように。

「ありがとう、冬君。それと、いなくなったら絶対にイヤ」

 多分、俺にしか聞こえないぐらいの声量。雪姫はそう俺に向けて呟いた。俺は小さく息をつく。漏れたのは苦笑で。
 雪姫のリハビリにとことん付き合うと決めたのだから、今さらだ。俺の挙動一つ一つが友達を不安にさせてしまう。それなら、俺自身が全て受け入れて雪姫に寄り添う。それだけで良い。雪姫がそう望むのなら――。

 そして、雪姫がしっかりと意志を示してくれたことが俺は嬉しいと感じていた。
 雪姫と幼馴染達に何があったのか、未だ俺は踏み込めないでいる。でも、雪姫にまた悲しい想いをさせるのであれば、俺は容赦しないし、躊躇しない。
 でも――それは誤認なんだな、と二人の空気を見て思う。海崎と初めて会ったあの日から。アイツにあるのは後悔の一色で。それは隣の彼女もそうで。

(世の中、捨てたもんじゃないかもね。ね、雪姫?)

 そう思っていると、張り詰めた空気が変わって。

「ゆっき――雪姫。ごめん、ごめん。ごめんなさい。本当にごめんなさ――」
「ごめん、下河――」

 彼女と海崎が言葉にした瞬間、溜め込んでいた感情が破裂したのか。後はもう言葉にならなくて。

 雪姫を見る。唖然として――その後、色々な感情が雪姫のなかを巡っているのが、俺でも分かった。でも最終的に一番、雪姫のなかを占めたのは「嬉しい」という感情だったんだと思う。

 雪姫の目を濡らす、その感情を想いながら。俺は雪姫をもう片方の手で引き寄せて。
 ずっと待っていた言葉だったのかもしれない。

 でも雪姫はきっと、自分を否定しながら今まで生きてきたんだろう。文字通り、ただ生きるだけ。呼吸するだけ。本当はちょっとしたきっかけで、押し潰されて、すぐに呼吸が止まりそうになるくらい、苦しかったはずなのに。

 だって、この真面目な友達は誰かを否定したり、罵倒する選択肢はそもそも持ち合わせていなかった。
 だから――。

(良かったね、雪姫)

 心からそう思う。思う。おも、あれ? 雪姫の流した涙は、悲しい感情で無いのは分かっている。雪姫が少なくとも待ちわびていた言葉だったことも。

 だけれど。
 どうして?

 自分の頬を伝わる感情は、一筋や二筋では足りなくて。自分でも意味がわから――いや、そうか。そういうことか。
 俺は自分で納得した。
 雪姫のことが、まるで自分のことのように嬉しくなっていて。感情移入が過ぎると自分でも思う。それでも、と思うのだ。

 この雪姫ともだちが笑ってくれるのなら、俺は何でもするし、何も恐れない。迷わず真っ直ぐに行動できる。そう思っ――。

(え?)

 雪姫のもう片方の手で、俺の頬に、目尻に触れる。まるで俺の涙を拭うかのように。その手の温もり、その笑顔。雪姫の口癖「嬉しい」と。そう言われた気がして。

「ねぇ、なんで突然イチャついたし?」

 雪姫の幼馴染――彼女に白い目で見られたが、いや別にイチャつくとか。そんな関係じゃないから。
 俺たちは――。
 私たちは――。

「「大切な友達だから」」

 言葉は意識していないのに二人とも重なって。俺と雪姫は、思わず視線が絡み合って。自然と笑みが溢れていた。




■■■




「えっと、とりあえず自己紹介からいこうか。雪姫と海崎は良く知っているんだろうけれど、俺は初めましてだからさ」
「「は?」」
「え?」

 海崎と彼女が、仲良く声を合わせたので、俺は目をパチクリさせた。えっと、あれ? 初対面だよね?
 例の彼女は、露骨に不機嫌な顔をする。

「ちょっと、上川君。クラスメートの顔くらい憶えておいて欲しいんですけど?」
「え、えっと……?」

 そう言えば、クラスメートのなかに似た人がいたような……。

「似たような人じゃなくて、本人です!」

 どうやら声に出ていたらしい。見ると、雪姫は何故かニコニコしている。

「ゆっき、なんで嬉しそうなのよ?」
「え? 彩ちゃんと海崎君に久々に会えたからかな?」
「彼氏が他の女に眼中ないのが嬉しくてたまらない彼女の絵にしか私、見えないんだけれど?」
「だから、私と冬君はそんな関係じゃ、な、無いから」
?」

 彼女は俺と雪姫を見比べて、目を細めて――そしてニッと笑んだ。見れば雪姫の表情は真っ赤で。

「あのさ、あまり雪姫をからかわないでくれないか? 雪姫はこういうことに耐性が無いと思うし。それに友達とか彼氏彼女とか、そういうラベルって必要なのか?」

 俺は素直に自分の気持ちを言う。幼馴染たちに対してへの宣戦布告とも言えるかもしれない。でもこの気持ちは自分が一番で。他の誰かに譲るつもりは全くないのだ。

「雪姫は俺にとって、大切な存在。それじゃダメか?」

 ラベル付けなんて必要ない。ただ俺はこの友達が笑ってくれるのなら、どんなことだってする。
 と、雪姫は変わらず顔を真っ赤にして、再起動できていない。それはそれとして、海崎と彼女まで真っ赤なのはどうしてか。

「あ、甘い、甘過ぎる……」
「そんなストレートに……。上川君、あなたって人は……」
「へ?」

 いや、からかってきたのはそっちで。だから俺は真正面から自分の気持ちを伝えただけなんだけれど。

「冬君、嬉しいです」

 雪姫が照れながらも、俺を見て微笑んでいて。何だかよく分からないけど、雪姫が喜んでくれた。まぁ、それはそれで良いか。




■■■




 別に俺が何か悪いことをしたワケじゃないが、仕切り直し。

「じゃ、私から。改めまして、しっかり憶えてね。私たちクラス、一緒なんだから。黄島彩音です。雪姫やひかちゃ――海崎光君とは、保育園からの付き合いです。いわゆる幼馴染ってヤツだね。雪姫のこと知りたかったら、相談のるから。よろしくね」
「相談?」
「ん。そうね、例えば最近までパパっ子で、お風呂に――」
「彩ちゃん、今は違うから!」

 ムキになる雪姫が微笑ましい。そして下河家の仲の良さは何となくだが理解できた。そうでなければ、弥生先生経由とは言え、両親から継続してリハビリをお願いされないと思う。それだけ雪姫の両親も、必死だってことだ。

「今は、ねえ。なるほどね」

 黄島はニヤニヤ笑っている。久々に雪姫と話せて、テンションが昂っている感じなのかな? これは?
 とりあえず雪姫が困惑しているのはイヤでも分かったので、俺から切り出すことにした。

「改めて。上川冬希です。と言っても黄島さんと同じクラスだから、俺のこと知っているんだよな? なんかごめん。自分がクラスに馴染めていないのは実感しているから――」
「ふーん」

 黄島さんは、俺と雪姫の顔をマジマジと見て、なるほどなるほどと何回も呟いては、頷く。

「へ?」
「彩ちゃん?」

 雪姫まで首を傾げる。あ、ちょっとその雪姫の顔、不覚にも可愛い、と思ってしまった。

「いやね、上川君の顔って、教室と違うからちょっと新鮮で。ひかちゃんもそう思わない?」

 と黄島さんは、海崎に話を振った。海崎もウンウン頷く。

「そうなんだよね。上川って、人と接点をなかなか作ってくれなくて。ちょっと壁がある印象だったんだけれ、実際話をしてみると、優しいし、行動力あるし。本当に良いヤツだなって僕は思うよ」

 照れ一つなくサラッと言う海崎が俺は逆にスゴイと思う。
 海崎が最初会った時に言った――雪姫に謝りたい――その言葉が、今も俺の頭から離れなくて。だから、今回で仲直りをしたと言って良いと思う。でも海崎の顔を見ていると、決して満足していなくて。
 海崎も黄島さんも、ここからがスタートだって思っているような気がする。二人にとってのゴールは雪姫が学校に行けた日。そして、そう思うのは、俺も一緒で。
 そうなると、俺の役目はそこまで――そんなことを思っていると、何故か雪姫が、俺の手を強く握りしめてきた。

「ごめんなさい。何だか、冬君がすごく遠くに行ってしまう、そんな気がしたから……」

 雪姫の言葉に俺は目を丸くする。この短い期間のなかで、どうも雪姫には俺の考えや、感情の動きが伝わってしまうようで。

(これは反省だな)

 幼馴染たちに対する遠慮から、いらない思考に抱いてしまう。それは過去から今に繋がる、三人の関係を羨ましいと思ってしまうからで。
 でも雪姫は、俺を友達と言ってくれる。だったら、それだけで良い。悲観する必要なんか一つも無いに、つい後ろ向きになってしまうのは――こっちに来てからの孤立感からか。

 雪姫は俺を大切な友達と思ってくれている。それは俺も一緒だから。
 と、雪姫が距離をつめて、俺に寄り添ってくれる。

「だから、何でそこでイチャつくし?」

 黄島さんが何故か白い目で見てきて――いや、少し仲が良い自覚はあるけど。友達として、普通だと思うんだけれど?
 不安な時に寄り添うってさ?




■■■




 そして、やっぱり仕切り直しで、もう一回。

「上川君って呼び方だと、何だか他人行儀だよね」
「出た出た、彩音の悪いクセが」

 海崎が半ば呆れ、なかば諦めたようにぼやく。
 ん? どういうこと?

「いや、上川。悪く思わないでよ。彩音って、仲良くなると、それぞれにあだ名をつけたがるんだよね。しかもそんなにセンスが良くないし」
「ひかちゃん、それひどくない?!」

 黄島さんが抗議の声を上げた。
 海崎は「ひかちゃん」で。雪姫は「ゆっき」か。そこまでセンスが悪いとは思わないけど……?

 ただ今日初めて会った――いや、もともとクラスメートだったわけだから、初めて認識したという言い方になるか。兎に角、そんな関係でしか無いのに、いきなり距離が近い気がする。

「まぁ、諦めて。気に入った人には、彩音はみんなに対してこうだから」

 俺の心を知ってか知らずか、海崎が苦笑を浮かべながら言う。そんな俺らのことは我関せずの様相で、黄島さんはすでにニックネームについて構想中のようで。

「上川君って、なんか猫っぽいよね。教室ではあれだけ人を寄せ付けないし。まして私なんか認識すらされてなかったわけでしょ? 私の存在感って、そこまで空気ってワケじゃなかったと思うんだよね。そう思うと、上川君は完全に自分ペース。本当に猫っぽい」
「はぁ」

 猫っぽいと言われたのは、初めてかもしれない。コミュニティーに溶け込めず、諦めていたのは認めるが、それにしても評価が酷すぎじゃないだろうか。

「……彩? 冬君は人を寄せ付けないんじゃなくて、遠慮しているだけだと思うよ。すごく親切で、優しいよ? いつも、私を気遣ってくれるし」

 と雪姫が言ってくれる。正直、雪姫がここまで言ってくれたことに俺は驚いた。

「あのね、上川君が優しいのはゆっき限定だからね。こんな上川君、教室で見たことなかったし」

 ニヤニヤ笑う黄島さんから思わず目をそらした。雪姫に対して素が出やすいのは事実だ。気取らなくても、素直になることができる。それは雪姫だけなのは間違いなくて。
 見ると、雪姫がますます嬉しそうに微笑んでくれていた。

「本当に上川君は猫みたいよね。うん、決めた。コレがしっくりくると思う」

 何度もウンウン頷いて、満面の笑顔で黄島さんは言う。

「上川冬希だから、冬にゃん。これで、どう?」

 満を持して、胸を張って言う黄島さん。
 俺は耳を疑った。
 男子高校生に対して、冬にゃん?

「だから言ったでしょ、センスがないんだよ。彩音は」

 やれやれと肩をすくめるのは海崎で。まぁ諦めてと笑顔で言ってくる。勘弁してくれ。教室でそんなニックネームで声をかけられたとなっては、周囲の視線が痛いのが容易に想像できる。そんなの目も当てられな――。

 すーっ。
 息を吸い込む音がした。静寂と緊張が一瞬この場を包む。でも、その後、そんな空気はあっさりと霧散して。

「――ダメ!」

 雪姫の声が、空気を震わすように響いた。その表情から笑顔が消えていて。
 握っている俺の手をさらに求めるように、指を絡ませて。

(ゆ、雪姫?)
 その目は俺を追いかけるように、縋っていて。

「名前は、ダメ。絶対にダメだから」
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