ある公爵令嬢の死に様

鈴木 桜

文字の大きさ
20 / 40
第2章 自由への道

第20話 あの海の向こうへ

しおりを挟む


「ごめんなさい」

 ぽつり。
 暗闇の中でこぼれたのは、謝罪の言葉だった。

「……なんの、謝罪ですか?」

 アイセルに押し倒された格好のまま、エラルドが尋ねる。
 彼の声もまた、かすれて消えてしまいそうなほど心細かった。

 現状に対する謝罪ではないだろうことは、すぐにわかった。
 窓から差し込むわずかな月明かりが照らす彼女の瞳が、不安げにゆらゆらと揺れているのが見えたから。

「ぜんぶ」

 泣き顔を見られたくないのか、アイセルは顔を伏せてしまった。

「何もかも、もっと早く謝らなければならないと思っていました」

 アイセルの両手が、エラルドの胸元をぎゅうっと握りしめたまま震えている。

「……今日、ダリルが北の丘に連れて行ってくれました」

 北の丘、とはセリアンの街の北側にある丘のことだろう。

「海を見ました」

 丘からは西側の国境の向こうの海が見渡せるのだ。天気が良ければ、ルシャーナ諸島の島々が見えるのだとダリルが言っていた。

「海は青くて、船がたくさん浮かんでいて、どこまでも続いていて……」

 一つずつ言葉を切る度、アイセルの声が小さくなっていく。

「あの海の向こうへ、私は行ってみたい」

 エラルドはそれでいいと言うように頷いた。
 そうだ。
 彼女は、そのためにここまでやってきたのだから。

「行きましょう」

 即座に答えたエラルドに、またアイセルの肩が揺れた。

「でも、もうこれ以上、あなたを巻き込むことはできません」

 何を今さら、と思った。
 初手からエラルドの退路を断って、彼を巻き込んだのはほかでもない彼女なのに。

(だが、彼女は……)

 エラルドが帰りたいと言えばすぐにでも彼の手を離しただろう。彼が王都に戻っても苦労しないように、きっと既に手を打ってあるのだろう。
 それもまた、エラルドには分かっていた。

 今ここにエラルドがいるのは、彼自身がそれを望んでいるからだ。
 決して彼女が責任を感じるべきことではない。

 それを伝えなければと、エラルドは身体を起こしてアイセルの顔を覗き込んだ。

 だが、彼が口を開くよりも早く。
 アイセルの瞳からポロリと涙がこぼれてしまった。

「『証明の門』で犯罪者が裁かれるのを見た時から、早くあなたを帰さなければと、そればかり考えていました」

 小さな肩が、震えている。

「あなたは、ただ私のわがままのためについてきてくれただけなのに。
 もう二度と帰ってくることはできない。
 あなたは何も悪くないのに。

 あの犯罪者と、同じにしてしまった」

 彼女の言う通り、このまま国境の外に出れば、エラルドは犯罪者だ。
 二度とこの国に帰ってくることはできないし、帰ろうとすれば神の裁きを下されて、あの男と同じように青い炎に焼かれて灰になるだろう。

「私自身はなんと言われようとかまわないの。だって、この国の人々を見捨てて逃げようとしているのは事実なんだから。
 だけど、あなたは違う。
 あなたはただ優しいだけ。
 その優しさが罪になるなんて。
 そんなの、そんなの……あんまりだわ」

 あの日、『証明の門』で神の裁きを見てから。
 彼女はずっと何かを悩んでいるようだった。
 改めて結界の存在を確かめて躊躇っているのか、恐れているのか、とにかく逃げるべきか否かを悩んでいるのだと思っていた。

 だが、違った。
 彼女はずっとエラルドのことを考えていてくれたのだ。

 もともと小さな少女の肩では支えきれないほどの大きな葛藤を背負っていた彼女に、余計なことを考えさせてしまった。

(これでは、騎士失格だ)

 エラルドは、そっとアイセルの肩に触れた。
 薄手の夜着しか着ていないので、布越しに彼女の体温が伝わってくる。
 緊張していたのか、その肩は幾分か冷えているように感じられた。

「私は、あなたの騎士です」

 はっきりと告げると、アイセルがパッと顔を上げた。
 ようやく、二人の目が合う。

「でも」
「あなたは海の向こうへ行きたいと言った。
 ……それは、私の願いでもあります」

 アイセルの身体を温めるように、エラルドはゆっくりとその肩を撫でた。
 自分の熱が、気持ちが、ちゃんと伝わるように。

「もしも、この気持ちが悪だというなら、私は罪人になっても構いません」

 ただ純粋に、一人の少女の幸せを願っているだけ。これが罪だというなら、好きに裁けばいい。

「私は、あなたの願いをかなえたい」

 それだけが、彼の望みなのだから。

 ポタポタ、アイセルの涙は止まらなくなってしまった。
 どうすればいいのか。
 悩んだ時間はそれほど長くなかった。

 アイセルの肩を、ぎゅっと引き寄せて。
 彼女の身体を抱きしめる。

 無責任なことを言っているという自覚はある。
 結局のところ、エラルドはアイセルの決断にすべてを委ねているのだから。
 彼女の願いが自分の願い。
 聞こえはいいが、それは彼女に責任を押し付けているのと同じだ。

 だが、それしかできない。
 彼女の向かう先は、彼女自身が決めるしかないから。

 その晩、エラルドはアイセルを抱きしめたまま眠った。

「あなたは自分のために決めてください。
 誰かのためじゃない。
 あなた自身の願いのために、どう生きるのかを」

 泣き続けるアイセルに、一晩中、何度も言い聞かせた。

「あなたのその意思を守るために、騎士がいるのです」



 翌朝、いつの間にかアイセルは寝台の中から消えていた。代わりに、階下から香ばしいパンの焼ける匂いが漂ってきて。

「おはよう」

 少し照れくさそうに微笑む彼女に、エラルドも気恥ずかしくなって赤くなった頬をポリポリとかいた。

「おはようございます」

 窓の外を見ると、すでに日が昇りきっている。朝寝坊してしまったようだが、今日は二人とも休日なので問題ない。

 アイセルが作ってくれた朝食をはさんで、二人で食卓につく。
 ここで暮らし始めた最初の頃、アイセルは卵をゆでるのにも一苦労していたのに。
 食卓にはポーチドエッグや手作りのジャム、カリカリに焼いたベーコンなど、美味しそうな料理が並んでいる。

「昨夜はごめんね」

 食べながら、またアイセルが謝罪した。
 謝る必要はない、エラルドが言うよりも早く、アイセルが言葉を続けた。

「私、ちょっと腑抜けていたみたい」
「腑抜け、ですか?」
「ええ。ここの暮らしが穏やかで幸せで、ずっと続けばいいなんて。そんな夢みたいなことを思っていたの」
「それは……」

 エラルドには責められない。
 だって、彼も似たようなことを考えていたから。

「そんなこと、絶対にできないのにね」

 約四か月後には、生贄の儀式の日が来る。
 その日、生贄になるか。逃げ切るか。
 彼女には、その二択しかない。

「もう少しだけ、時間をちょうだい。
 ちゃんと決めるわ。
 私のために、どうするべきなのか」

 アイセルの瞳から迷いが消えたように見えて、エラルドはホッと息を吐いたのだった。

「はい」

 だが、それはそれとして。
 彼女にはきちんと話しておかなければならないことがある。

「ですが、昨夜のあの行動はいただけません」
「え?」
「主人と騎士が、ど、同衾するなど、本来ならあってはならないことです」

 昨夜は彼女のためという言い訳のもと、勢いのまま朝まで同じ寝台で過ごしてしまった。
 許されないことだ。

「いいじゃない。ここでは夫婦なんだから」
「ですから、それはただの設定で……」
「えー」

 不安げな声を上げたアイセルを、エラルドがじとっと見つめる。
 その表情を見て、アイセルがぷっと噴き出した。

 そしてとうとう、コロコロと声を立てて笑い始めて。

 いつまでもその笑顔を見ていたいと、エラルドはそんなことを思ったのだった。



 * * *



「まずいことが起こってる」

 深刻な表情のダリルが二人を訪ねてきたのは、その日の午後のことだった。
 いつもはひょうひょうとしている彼の表情が硬い。

「何があったのですか?」

 アイセルも硬い声で尋ねた。

「北のフリギアスと東のゼノビアが戦争の準備を始めているらしいと連絡が入った」

 この二つの国の名は、エラルドも知っている。
 北のフリギアスは強力な軍隊を持つ軍事国家で、東のゼノビアは数千年の歴史を持つ大帝国だ。
 リヴェルシア王国はこの二つの国と国境が接していて、この二大国に挟まれる格好になっている。

「二国の間には、リヴェルシア王国の結界とスカーレナ大山脈があって、ここ数百年は大きな戦争は起こっていなかったんだが……」

 そこで言葉を切ったダリルが、アイセルの方をチラリと見た。

「生贄が逃げ出したと、情報が洩れているんだ」

 儀式までに生贄が戻らなければ、結界は消滅する。
 その可能性が高いと、誰かが他国に情報を洩らしたのだ。

「このまま結界が消滅すれば、この国も戦争に巻き込まれるぞ」

 また。
 アイセルの肩が、不安げに揺れた―。










しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約者候補の落ちこぼれ令嬢は、病弱王子がお気に入り!

白雨 音
恋愛
王太子の婚約者選びの催しに、公爵令嬢のリゼットも招待されたが、 恋愛に対し憧れの強い彼女は、王太子には興味無し! だが、それが王太子の不興を買う事となり、落ちこぼれてしまう!? 数々の嫌がらせにも、めげず負けないリゼットの運命は!?? 強く前向きなリゼットと、自己肯定感は低いが一途に恋する純真王子ユベールのお話☆ (※リゼット、ユベール視点有り、表示のないものはリゼット視点です) 【婚約破棄された悪役令嬢は、癒されるより、癒したい?】の、テオの妹リゼットのお話ですが、 これだけで読めます☆ 《完結しました》

婚約破棄されましたが、もふもふと一緒に領地拡大にいそしみます

百道みずほ
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢アリスは、一度も王子と対面することなく婚約破棄される。ショックと言えばショックだが、わたしは自由!とアリスはかえって喜んでいた。しかし状勢は変わり、お父さまが、領民が大ピンチに。アリスは守護神マカミ(真っ白で大きなもふもふ)と旅にでることにした。 ◇この作品はエブリスタでも公開しています。 ********** 舞台・登場人物の紹介(作者のため(;'∀')) 舞台はハトラウス王国ラッセル公爵領。海と山に囲まれ、川もあり、トラウデンという町は王都の台所と呼ばれている。近隣諸国との交易が盛んな土地で栄えているが、難点は王都から遠いところ。 主人公・公爵令嬢アリス・ラッセル 18歳 趣味は魔法修行と読書。 ただいまの愛読書は『エドワード王子の恋の物語~僕の運命の恋人は~』。ブロンド、オレンジ色の瞳。新領地の名前はマーウデン。 守護神マカミ 大きくて白くてふわふわ アリス付きのメイド ミス・ブラウン  執事 セバスチャン お父さま ハワード・ラッセル公爵イケオジ 茶色い目、茶髪 お母さま マーガレット・ラッセル 金髪青い目の美女 女神のごとく 弟 フィリップ・ラッセル イケメン候補10歳 魔法授与式受けたばかり薄茶色のふわふわの毛、青色の目 ラッセル領の教会・テンメル教会主 ハトラウス国・国王ロドニエル 派手好き 金茶色の髪 緑瞳 お后様オリヴィス 銀髪、菫色瞳 女神のごとく 曲がったことが嫌い 愛人リリアーヌ 黒髪 小動物系 派手好き 王子 アンソニー 銀髪 緑瞳 現婚約者 カトリーヌ 赤い髪、そばかす 赤色好き 派手好き 教皇さまグラツィオ 麻の白い着物 質素 教皇側近 ジロラウル  副教皇 リリアーヌの叔父、カトリーヌの父 派手好き 商工会議所代表 ウルマ、農協代表 サカゴク、新領地管理・2集落のリーダー・シタラとマイヤ 教会のテーマカラー・赤、青 シタラ、マイヤ、宿屋ガイソン、妻ナディ ・隣国 東のヘカサアイ王国 香辛料の国。唐辛子を使ったものが多い。砂漠と乾いた山々に覆われた地域。テーマカラー・ダークグリーン  王子 黒髪ロング 浅黒い肌 正装赤 妹 黒髪ロング 浅黒い肌 ・隣国 南のカルカペ王国 ・向かいの半島にある北の国ピュララティス王国 海の民・ラティファ(茶髪、青の瞳、活発、日焼け) 兄タウルス 日焼け筋肉質 ・大きな島の西の国シブラータ王国

【完結】すり替わられた小間使い令嬢は、元婚約者に恋をする

白雨 音
恋愛
公爵令嬢オーロラの罪は、雇われのエバが罰を受ける、 12歳の時からの日常だった。 恨みを持つエバは、オーロラの14歳の誕生日、魔力を使い入れ換わりを果たす。 それ以来、オーロラはエバ、エバはオーロラとして暮らす事に…。 ガッカリな婚約者と思っていたオーロラの婚約者は、《エバ》には何故か優しい。 『自分を許してくれれば、元の姿に戻してくれる』と信じて待つが、 魔法学校に上がっても、入れ換わったままで___ (※転生ものではありません) ※完結しました

失踪した聖女の行方

はくまいキャベツ
恋愛
謎の不作により食糧不足に陥り、疫病まで流行り始め滅亡の一途を辿っていたある国が異世界からあらゆるスキルを持つと言われている聖女を召喚した。 ニホンという世界からきた聖女は、困惑しながらもその力を発揮し見事にその国を立ち直させる。 しかし全ての国民に感謝され、見事な偉業を果たしたにも関わらず、いつまでも浮かない表情である事を護衛の騎士は知っていた。 そして聖女は失踪する。彼女は一体どこへ、何故消えたのだろうか。

亡国の公女の恋

小ろく
恋愛
「俺は姫様ただひとりに忠誠を誓った僕です。どんなことがあっても命にかえてもお守りします」 戦争によって国を失った公女スヴェトラーナは、兵士のルカと共に隣国へ亡命の旅に出る。 たった数日間の旅で芽生えた愛にすべてを捧げようとするスヴェトラーナ。 愛を信じて貫こうとする公女と孤独で自尊心の低い兵士の恋のお話。

せっかく傾国級の美人に生まれたのですから、ホントにやらなきゃ損ですよ?

志波 連
恋愛
病弱な父親とまだ学生の弟を抱えた没落寸前のオースティン伯爵家令嬢であるルシアに縁談が来た。相手は学生時代、一方的に憧れていた上級生であるエルランド伯爵家の嫡男ルイス。 父の看病と伯爵家業務で忙しく、結婚は諦めていたルシアだったが、結婚すれば多額の資金援助を受けられるという条件に、嫁ぐ決意を固める。 多忙を理由に顔合わせにも婚約式にも出てこないルイス。不信感を抱くが、弟のためには絶対に援助が必要だと考えるルシアは、黙って全てを受け入れた。 オースティン伯爵の健康状態を考慮して半年後に結婚式をあげることになり、ルイスが住んでいるエルランド伯爵家のタウンハウスに同居するためにやってきたルシア。 それでも帰ってこない夫に泣くことも怒ることも縋ることもせず、非道な夫を庇い続けるルシアの姿に深く同情した使用人たちは遂に立ち上がる。 この作品は小説家になろう及びpixivでも掲載しています ホットランキング1位!ありがとうございます!皆様のおかげです!感謝します!

悪役令嬢、第四王子と結婚します!

水魔沙希
恋愛
私・フローディア・フランソワーズには前世の記憶があります。定番の乙女ゲームの悪役転生というものです。私に残された道はただ一つ。破滅フラグを立てない事!それには、手っ取り早く同じく悪役キャラになってしまう第四王子を何とかして、私の手中にして、シナリオブレイクします! 小説家になろう様にも、書き起こしております。

【完結】灰かぶりの花嫁は、塔の中

白雨 音
恋愛
父親の再婚により、家族から小間使いとして扱われてきた、伯爵令嬢のコレット。 思いがけず結婚が決まるが、義姉クリスティナと偽る様に言われる。 愛を求めるコレットは、結婚に望みを託し、クリスティナとして夫となるアラード卿の館へ 向かうのだが、その先で、この結婚が偽りと知らされる。 アラード卿は、彼女を妻とは見ておらず、曰く付きの塔に閉じ込め、放置した。 そんな彼女を、唯一気遣ってくれたのは、自分よりも年上の義理の息子ランメルトだった___ 異世界恋愛 《完結しました》

処理中です...