呼び起こされる記憶

雪乃彗

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呼び起こされる記憶

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 家の片隅にある一室の扉を開ける。
 暫く誰も出入りしていなかったせいで、空気は重く、うっすらと埃がたまっていた。
 本棚には小説から実用書まで分野を問わず、ありとあらゆるものが揃っている。
 その中の一冊、よく祖父が読んでいた童話。
 何度も何度も読み聞かせてもらったこの話はどこかの国のものかは分からない、なんと書かれているかすら僕にはわからなかった。
 読むことはできないけれど、途中に描かれている挿絵を見ているだけでも面白い。

「いつも楽しそうに読んでくれたんだよな。ほんと懐かしい…。」

 時間が経っても薄れることがない祖父との思い出が呼び起こされる。

 どれくらい経ったのだろうか。
 体感は数分しか経っていなかったが、時計の針はもうじき3時を回ろうとしていた。どうやら1時間近く読み耽っていたようだ。
 本を閉じ、遺品整理に戻ろうとしていたその時、ひらりと机の上から一枚の写真が床に舞い落ちる。

「なんだろう…写真?ここに写ってるのって。」

 そこに写っているのは、男女のカップル。
 白いワンピースを着た女性が黄色い花束を持ち、その横に男性がにこやかに笑っている。
 2人とも幸せそうに、でもどこか照れ恥ずかしそうに笑っていた。
 印字されている日付は今から60年前、1965年7月―。
 裏面には写っている2人の名前だろうか。
 書かれていたのは僕の祖父と祖母、2人の名前。
 どうやら祖父母たちが一緒に撮った写真のようだ。

「幸せそうにしちゃって。こんな写真、一回も見せてくれたことないのに恥ずかしかったのかな。」

 僕はじっと写真を眺めていると、

「景。そっちはどう、片付けは進んでる?」

 優しい口調でおっとりとした女性の声が聞こえてきた。
 そして、部屋の扉がゆっくりと開き、祖母が部屋に入ってくる。

「見てよ、ばあちゃん。この写真。」

 どうしたのと言わんばかりに不思議そうな顔をして僕に近づいてきた祖母は写真を見ると、声を出して笑い出した。

「あらあら、懐かしいわね。いつだったかしら…初めてお父さんと遠出をした時の写真かしらね。」

 懐かしいわと言いながら、写真に写る祖父の顔を指でそっとなぞり、大事そうに胸へ押し当てた。

「ばあちゃんとじいちゃんって本当に仲が良かったもんね。この頃からずっとそうなんだね。」

「ふふふ、でも喧嘩もよくしてたのよ。大体はお父さんの強がりが原因でね。その度にごめんって言って、花を買ってくるのよ。」

「じいちゃんらしい。ならこの時も喧嘩してたの?」

 祖母がもっている黄色い花束。
 もう一度写真を見せてもらうと、そこに写っていたのは向日葵の大きな花束だった。
 祖母はじっと僕を見つめると、優しく微笑んで首を横に振った。

「謝りたいときはヒヤシンスを買ってくるのよ。素直に言えばいいにに、そういう時だけは素直じゃないの。」

 僕に向けていた優しいまなざしを写真に写る祖父へと向ける。

「でもね、この時は違うの。デートだからって慣れない格好をして、向日葵の花を持ってきてくれたのよ。それで一緒になってほしいって言われたの。」

 どうやらこの日は祖父が一世一代の勇気を振り絞った時の写真らしい。
 話をしながら、祖母は恥ずかしいのか耳が赤くなって、それをごまかすように笑っている。

「やだわ、恥ずかしい。こんな話今までしたこともないのに。」

「いいじゃん、僕も聞きたい。だって、そのおかげで2人が一緒になってこうやっていられたんだから。」

 それがあったから、今僕のじいちゃんとばあちゃんとして2人がいるんだ。
 それから、ばあちゃんはいろいろな話を聞かせてくれた。
 じいちゃんとの出会いから、2人が行った旅行先での思い出、家族が増えてからあったハプニングや笑い話まで本当に時間がいくらあっても足りないくらいの思い出話を聞かせてもらった。
 一通り話し終えると、

「あれも見せてあげようかね。」

 祖母は部屋を出て、どこかへ向かった。
 数分後、祖母は何食わぬ顔をして戻ってきた。
 手には1つの瓶。

「手を出して。」

 言われるがまま、右手を差し出すと、しゅっとひと吹き手首に吹きかけた。
 持ってきたのは、香水。
 一瞬ひんやりとしたかと思いきや、ふんわりと香るその香りはー。

「この香り、嗅いだことある気が…。」

 嗅覚が刺激されることにより、思い出が呼び起こされる。香りが一瞬で周囲を満たしていく。

「これね、お父さんが好きでよく持ってたの。紙だったり小物に吹きかけて。よっぽどこれが好きだったんだと思う
の。」

「そんなことしてたんだ。でも、じいちゃん綺麗好きでいつも僕にも身だしなみはしっかりしておけって言ってけど。」

「孫にも言うけど、自分にも厳しかったのよ。いくつになっても格好つけてたいのね。だから、一緒に出掛けてあなたに似合うものを送りたいって言ってたの。」

 そっと祖父の香水の瓶を僕に手渡してきた。
 僕は両手を差し出し、受け取ると指で縁のカーブをなぞる。
 会うたびに香っていたものと同じ。
 最後に一緒に出掛けたのはいつだっただろうか。
 本当は祖父の行きたかった場所には、全部行かせてあげたかった。
 半年に1回会っていた祖父との時間も徐々に減っていき、倒れた知らせを聞いて駆けつける頃には1年に1回会えていればいい方。
 さっき聞いた話ももっと早く聞いていればー。
 もっと話をしておけばよかった。
 他愛もない話をする時間が今では恋しくなっている。
 誰よりも厳しく、誰より優しかった祖父。
 そんな後悔をしたところで、今更どうにもできない。

「なぁばあちゃん。」

 僕が今できるのはじいちゃんが連れて行きたいと思っていた場所に自分で行くこと。
 何を伝えたかったのか、全部知ることはできない。
 でも、祖父も同じ場所にいたんだという道筋を辿ってみたいと思ってしまった。

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