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ストーリー03
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「ロイ、ちょっと話、いいか?」
魔道具の作成中、突然上司であるガリューさんに呼び出される。俺は上司専用の部屋に通されて、中で話す。
「何の用ですか?」
「実は……、私は舞踏会に招待されていてな。相手選びに困っていた所なんだが……お前の顔なら、問題無いだろう」
「はぁ……え? それはつまり――俺に参加しろと?」
「ああ。勿論、痩せてる方のお前な」
「踊りなんて無理! 無理ですよ……! 俺なんかに派手な場所で踊れなんて、困ります。第一ダンスなんてやったことが無いですし!」
泣きそうな顔で上司に訴える。だが、上司であるガリューさんは……。
「これは上司命令だ。ロイ、俺と踊れ」
「うぐぐ…………、はい。ガリューさん」
上司命令を使われてしまえば、断ることは出来ない。強引に俺から承諾をもぎ取ったガリューさんはにこやかだ。
そして、舞踏会の夜がやって来た。煌びやかなシャンデリアの明かりに、ひしめく人々の豪華絢爛な衣装、優雅な音楽を奏でる演奏家達と、舞台は揃っていた。
そんな中、ガリューさんに付き添う形で連れて来られた俺は場違いな感じを抱いていた。身にまとう貸衣装は、馬子にも衣装だが、周囲の美からは程遠い気がしていた。
こういう派手な場所は、否応なく過去の記憶を連想させる。大丈夫、誰も俺を見てるわけじゃない。俺を見て笑ってる人なんて誰も――いないはずだ。
「大丈夫か? ロイ? なんだか顔色が悪いが……」
「平気です。少し……寝不足なだけで」
引きつった笑みを浮かべて強がる俺。ここまで来てしまったからにはしょうがない。ガリューさんを心配させない為にも、相手役をしっかりと務めようと決意する。
曲が流れ始めると、踊り場に居た人々が体を音色に委ねる。スローテンポな曲から始まった。俺は無理に複雑なダンスをしなくてもいいと言われている。ガリューさんのリードに合わせて体を揺する。一曲目が終わる頃には、俺はすっかり汗をかいていた。緊張のし過ぎで気持ち悪いしで、ガリューさんに気遣われる。
「無理はしなくていい、ロイ。大変なら……、」
そこで、ステージの奥にスポットライトが当てられる。遅れて参加するのは、この舞踏会に呼ばれたメインダンサー。主客である彼らを眺めていたら――「美食家」と呼ばれるリゲル伯爵が目に入ってしまった。彼の登場に俄に騒がしくなる場。相変わらず華やかな装いに目を奪われるが……。
『なんで、こんな時に!?』
よりにもよって会いたくない相手と会いたくない場所で遭遇してしまった。いや、まだ遭遇まで行っていない。相手は俺の存在に気付いた様子が無いから。だから平気だと俺が安心していた時だった。
「また会えましたね……私の妖精」
「ッ!?」
「今度は逃がしませんよ?」
伯爵が一人でこちらに向かってきた。俺は間違いかと周囲を見回すが、伯爵の目はこちらに向けられている。そして周囲が俺達に注目する。完全に逃げ場を失った。
「探しましたよ、妖精。まさかこの場でお会い出来るなんて……、やはり私達は運命の赤い糸で結ばれているのですね?」
リゲル伯爵が俺の手を恭しく取って、その甲に口付けを落す。その挨拶の成り行きみたいなキスに嫌気が差した。内心げっそりとしているが、周囲の好奇の目が気になって彼を払い除けることすら出来ない。
「ああ、今日の装いもお似合いです。あなたの美を飾るに相応しい……」
着衣を褒められても全く嬉しくなかった。俺は、完全に相手を毛嫌いしているから。そんな人に褒められたって、右から左に流れるだけだ。
「なんで……俺が分かった?」
「当然のことですよ。あなたの踊りを控え室からこっそり覗いていたまでです」
伯爵のうっとりする姿がムカついたので、早々に会話を断ち切ってやろうと不機嫌な声音丸出しで言ってやった。
「俺は、お前と話すことは何も無い」
「では私と踊っていただきましょうか? お相手、変わってもらっても?」
「え、ええ」
困惑するガリューさん。そのまま彼は場を明け渡した。ガリューさんの裏切り者!!
心の中で上司を罵るも、現状は変わらない。手を組まされ、腰を抱かれ、異質なダンスが開始されるのだった。
だが……、俺は開始早々、ステップを外して思いっきりリゲル伯爵のおみ足を踏みつけてやった。
どうだ!
「ッ!!」
「ほら、手を離せよ」
「っ、曲の最中に踊りを止めることは出来ない。……たとえ相手がじゃじゃ馬でも制するのがリードする紳士の務めだからな」
「なら――この、この、くそっ!」
だがそこからは俺が足を踏むタイミングで華麗に彼は足を退かす。切れ目なく俺達は足を動かす。互いの思惑に沿って。その作業に夢中になっていれば、いつしか俺達は曲に乗っていた。
穏やかな曲調から、優雅な曲調に変化するのを耳で捉えた。
今だ!
曲の切り替えで、止まったリゲル伯爵の足を踏む――まさにその瞬間、俺は易々と伯爵に抱き上げられてしまった。
「え?」
「ふふ、子猫よ。私も踏まれてばかりではいられませんからね。少し休憩といきますか。勿論、私のターンで」
「え、いや……おい、待て!!」
「暴れると落ちますよ? 大人しくしていてください」
会場のバルコニーへと向かう伯爵。夜も深まり、鳥の鳴き声さえも聞こえない。獣も寝静まる頃だろう。
俺は黙ったまま伯爵のなすがままだ。バルコニーの中ほどで止まると、伯爵はようやく俺を下ろした。
「ふっ、お姫様抱っこはお気に召しませんでしたか?」
「俺は姫じゃないからな! 大体、恥ずかしくて火の粉が散るかと思ったぜ」
「ふむ、面白い表現ですね」
「お前のせいだぞ! 貴婦人や紳士達の目が俺に集まって……居心地が悪いったらありゃしない!」
「少しは意趣返しになったようですね」
「な……! 作戦だったのか!?」
「いいえ、全く。私はあなたと違って、……傷付けようなどの魂胆は、はなから持ち合わせておりませんので」
「嘘吐け! 意趣返しっつったろ!?」
「まぁ、あれだけ派手に足を踏まれれば怒る気持ちも湧きますよ」
のらりくらりと躱す伯爵にイラっとさせられる。言葉巧みな相手と会話が成立していることに気付いたのは少し後。
「今度はだんまりですか?」
「……」
「はぁ、まあいいでしょう。こうしてお会い出来ただけでも、僥倖なのですから」
「?」
伯爵も黙ったことで静寂が訪れる。俺は不思議に思い伯爵を見て――後悔した。
一心に俺を見つめるその目に、不覚にも羞恥を覚えてしまった。
「な、見るな! そんな目で、……俺を」
「美しい……やはり、何度見ても美しい……。夜を切り取ったような髪に、闇の底を思わせる瞳。ほっそりとした体つきには、なんともいえない情欲をかき立てられてしまう……おお、これぞ黒き妖精!!」
囁くような声から急に盛り上がった伯爵に俺は驚く。なんだよ、急に。っていうか、あんまジロジロ見るなよ……。
素直に照れる俺。居心地が悪くて、体を手で隠そうとする。
情欲とか、変なことは言わないで欲しい。
「ああ、――手に入れたい。あなたを一片残さず私の色に染め上げたくなる」
「染め……!? やめろ、な、なんか嫌だ!」
「嫌がられると……ますす興奮してきます。燃えますね」
舌なめずりをして俺を追い込もうとする伯爵。背筋にぞわっと鳥肌が立つ。
「へ、へんたい!」
「罵りますか? 私を?」
「そりゃ、そうだろ! あんた、なんか変だ。変な奴だ!」
「変な奴とはまた……ちょっと興ざめしました」
「そのまま冷めてろ。っていうか、覚めろ!」
「目覚めていいんですか? 獣欲に」
「誰もんなこと言ってねーよ! あんた、卑猥だろ! わざとか」
「――あなたの口から卑猥なんて……興奮して止まらなくなりそうです」
「なにが!? いや、ナニが、とか言うんじゃなかった!」
「ふふふ……。お遊びはここまでにしましょうか?」
「か、からかったのか!?」
「ええ。そうですね」
人の悪い。
チっと舌打ちして、伯爵から目を背ける。興奮……して顔が熱い。少し冷ますべきなのは俺も一緒か。
「お名前、教えていただけませんか?」
「誰が教えるかよ」
「駄目ですか? どうしても??」
「どうしても」
「では……――今夜モノにするしかなさそうですね」
「はぁああああ!?」
辺りに俺の絶叫が響き渡る。と、その声に反応したのか、鳥がバサバサと飛んでいく。
ふいに、伯爵が近づき、俺の顎をすくった。
「え?」
声を、出すのが精一杯だった。次の瞬間には――唇を、彼によって奪われていた。
触れるだけのキス。でも、キスはキスで――俺を見る静観な顔つきを否が応でも意識させられて、俺の心臓が勝手に早まる。したくてしたキス、じゃないのに。なんでこんなに……反応してるんだ? 俺ってば??
完全に「逃げる」とか「抵抗する」という言葉が頭から消えうせていた。頭にあるのは、案外唇って柔らかいんだな……というものだった。ほんの僅かな温もりが、俺の唇に伝わる。かすかな熱。それが体全体にまで及ぼうというところで――伯爵の顔が離れる。
「名前をくれないのなら、もっとしますよ? いいですか?」
「ッ――よ、くねーよ! するな! もう終わりにしろ!!」
「嫌です」
そこで伯爵は強硬手段に出た。俺の手首を掴むと、また、顔を近づけて来たのだ。またキスなんかされたら、どうにかなってしまいそうで……俺は……気付いたら告げていた。
「ロ……イ」
「ロイ? ロイ……なんですか?」
「ロイ・ナンテだ」
ついに伯爵に名を与えてしまった。だが、それよりも、彼の満足げな顔が視界に入って心臓がさらに煩く鳴る。おかしい。俺は、こいつのことが、伯爵のことなんか、もう、嫌い、なはず……なのに。
緊張が極限まで高鳴ったせいか、緩んだ目元から、涙が落ちた。
「……泣かせてしまいましたか。すみません、ロイ」
「本当だよ、っ、退け! 名前やっただろ! もういいだろ。俺に関わるな!!」
俺がその場を去ろうとするが、伯爵は動かない。本当に名前で満足したのだろうか? でもそれを直接聞くことは出来ない。
「ロイ。私はリゲル・ホーネンツ伯爵です」
「……知ってるよ」
背中越しに応えて、俺は足早にその場を去った。一度も、振り返らずに。
魔道具の作成中、突然上司であるガリューさんに呼び出される。俺は上司専用の部屋に通されて、中で話す。
「何の用ですか?」
「実は……、私は舞踏会に招待されていてな。相手選びに困っていた所なんだが……お前の顔なら、問題無いだろう」
「はぁ……え? それはつまり――俺に参加しろと?」
「ああ。勿論、痩せてる方のお前な」
「踊りなんて無理! 無理ですよ……! 俺なんかに派手な場所で踊れなんて、困ります。第一ダンスなんてやったことが無いですし!」
泣きそうな顔で上司に訴える。だが、上司であるガリューさんは……。
「これは上司命令だ。ロイ、俺と踊れ」
「うぐぐ…………、はい。ガリューさん」
上司命令を使われてしまえば、断ることは出来ない。強引に俺から承諾をもぎ取ったガリューさんはにこやかだ。
そして、舞踏会の夜がやって来た。煌びやかなシャンデリアの明かりに、ひしめく人々の豪華絢爛な衣装、優雅な音楽を奏でる演奏家達と、舞台は揃っていた。
そんな中、ガリューさんに付き添う形で連れて来られた俺は場違いな感じを抱いていた。身にまとう貸衣装は、馬子にも衣装だが、周囲の美からは程遠い気がしていた。
こういう派手な場所は、否応なく過去の記憶を連想させる。大丈夫、誰も俺を見てるわけじゃない。俺を見て笑ってる人なんて誰も――いないはずだ。
「大丈夫か? ロイ? なんだか顔色が悪いが……」
「平気です。少し……寝不足なだけで」
引きつった笑みを浮かべて強がる俺。ここまで来てしまったからにはしょうがない。ガリューさんを心配させない為にも、相手役をしっかりと務めようと決意する。
曲が流れ始めると、踊り場に居た人々が体を音色に委ねる。スローテンポな曲から始まった。俺は無理に複雑なダンスをしなくてもいいと言われている。ガリューさんのリードに合わせて体を揺する。一曲目が終わる頃には、俺はすっかり汗をかいていた。緊張のし過ぎで気持ち悪いしで、ガリューさんに気遣われる。
「無理はしなくていい、ロイ。大変なら……、」
そこで、ステージの奥にスポットライトが当てられる。遅れて参加するのは、この舞踏会に呼ばれたメインダンサー。主客である彼らを眺めていたら――「美食家」と呼ばれるリゲル伯爵が目に入ってしまった。彼の登場に俄に騒がしくなる場。相変わらず華やかな装いに目を奪われるが……。
『なんで、こんな時に!?』
よりにもよって会いたくない相手と会いたくない場所で遭遇してしまった。いや、まだ遭遇まで行っていない。相手は俺の存在に気付いた様子が無いから。だから平気だと俺が安心していた時だった。
「また会えましたね……私の妖精」
「ッ!?」
「今度は逃がしませんよ?」
伯爵が一人でこちらに向かってきた。俺は間違いかと周囲を見回すが、伯爵の目はこちらに向けられている。そして周囲が俺達に注目する。完全に逃げ場を失った。
「探しましたよ、妖精。まさかこの場でお会い出来るなんて……、やはり私達は運命の赤い糸で結ばれているのですね?」
リゲル伯爵が俺の手を恭しく取って、その甲に口付けを落す。その挨拶の成り行きみたいなキスに嫌気が差した。内心げっそりとしているが、周囲の好奇の目が気になって彼を払い除けることすら出来ない。
「ああ、今日の装いもお似合いです。あなたの美を飾るに相応しい……」
着衣を褒められても全く嬉しくなかった。俺は、完全に相手を毛嫌いしているから。そんな人に褒められたって、右から左に流れるだけだ。
「なんで……俺が分かった?」
「当然のことですよ。あなたの踊りを控え室からこっそり覗いていたまでです」
伯爵のうっとりする姿がムカついたので、早々に会話を断ち切ってやろうと不機嫌な声音丸出しで言ってやった。
「俺は、お前と話すことは何も無い」
「では私と踊っていただきましょうか? お相手、変わってもらっても?」
「え、ええ」
困惑するガリューさん。そのまま彼は場を明け渡した。ガリューさんの裏切り者!!
心の中で上司を罵るも、現状は変わらない。手を組まされ、腰を抱かれ、異質なダンスが開始されるのだった。
だが……、俺は開始早々、ステップを外して思いっきりリゲル伯爵のおみ足を踏みつけてやった。
どうだ!
「ッ!!」
「ほら、手を離せよ」
「っ、曲の最中に踊りを止めることは出来ない。……たとえ相手がじゃじゃ馬でも制するのがリードする紳士の務めだからな」
「なら――この、この、くそっ!」
だがそこからは俺が足を踏むタイミングで華麗に彼は足を退かす。切れ目なく俺達は足を動かす。互いの思惑に沿って。その作業に夢中になっていれば、いつしか俺達は曲に乗っていた。
穏やかな曲調から、優雅な曲調に変化するのを耳で捉えた。
今だ!
曲の切り替えで、止まったリゲル伯爵の足を踏む――まさにその瞬間、俺は易々と伯爵に抱き上げられてしまった。
「え?」
「ふふ、子猫よ。私も踏まれてばかりではいられませんからね。少し休憩といきますか。勿論、私のターンで」
「え、いや……おい、待て!!」
「暴れると落ちますよ? 大人しくしていてください」
会場のバルコニーへと向かう伯爵。夜も深まり、鳥の鳴き声さえも聞こえない。獣も寝静まる頃だろう。
俺は黙ったまま伯爵のなすがままだ。バルコニーの中ほどで止まると、伯爵はようやく俺を下ろした。
「ふっ、お姫様抱っこはお気に召しませんでしたか?」
「俺は姫じゃないからな! 大体、恥ずかしくて火の粉が散るかと思ったぜ」
「ふむ、面白い表現ですね」
「お前のせいだぞ! 貴婦人や紳士達の目が俺に集まって……居心地が悪いったらありゃしない!」
「少しは意趣返しになったようですね」
「な……! 作戦だったのか!?」
「いいえ、全く。私はあなたと違って、……傷付けようなどの魂胆は、はなから持ち合わせておりませんので」
「嘘吐け! 意趣返しっつったろ!?」
「まぁ、あれだけ派手に足を踏まれれば怒る気持ちも湧きますよ」
のらりくらりと躱す伯爵にイラっとさせられる。言葉巧みな相手と会話が成立していることに気付いたのは少し後。
「今度はだんまりですか?」
「……」
「はぁ、まあいいでしょう。こうしてお会い出来ただけでも、僥倖なのですから」
「?」
伯爵も黙ったことで静寂が訪れる。俺は不思議に思い伯爵を見て――後悔した。
一心に俺を見つめるその目に、不覚にも羞恥を覚えてしまった。
「な、見るな! そんな目で、……俺を」
「美しい……やはり、何度見ても美しい……。夜を切り取ったような髪に、闇の底を思わせる瞳。ほっそりとした体つきには、なんともいえない情欲をかき立てられてしまう……おお、これぞ黒き妖精!!」
囁くような声から急に盛り上がった伯爵に俺は驚く。なんだよ、急に。っていうか、あんまジロジロ見るなよ……。
素直に照れる俺。居心地が悪くて、体を手で隠そうとする。
情欲とか、変なことは言わないで欲しい。
「ああ、――手に入れたい。あなたを一片残さず私の色に染め上げたくなる」
「染め……!? やめろ、な、なんか嫌だ!」
「嫌がられると……ますす興奮してきます。燃えますね」
舌なめずりをして俺を追い込もうとする伯爵。背筋にぞわっと鳥肌が立つ。
「へ、へんたい!」
「罵りますか? 私を?」
「そりゃ、そうだろ! あんた、なんか変だ。変な奴だ!」
「変な奴とはまた……ちょっと興ざめしました」
「そのまま冷めてろ。っていうか、覚めろ!」
「目覚めていいんですか? 獣欲に」
「誰もんなこと言ってねーよ! あんた、卑猥だろ! わざとか」
「――あなたの口から卑猥なんて……興奮して止まらなくなりそうです」
「なにが!? いや、ナニが、とか言うんじゃなかった!」
「ふふふ……。お遊びはここまでにしましょうか?」
「か、からかったのか!?」
「ええ。そうですね」
人の悪い。
チっと舌打ちして、伯爵から目を背ける。興奮……して顔が熱い。少し冷ますべきなのは俺も一緒か。
「お名前、教えていただけませんか?」
「誰が教えるかよ」
「駄目ですか? どうしても??」
「どうしても」
「では……――今夜モノにするしかなさそうですね」
「はぁああああ!?」
辺りに俺の絶叫が響き渡る。と、その声に反応したのか、鳥がバサバサと飛んでいく。
ふいに、伯爵が近づき、俺の顎をすくった。
「え?」
声を、出すのが精一杯だった。次の瞬間には――唇を、彼によって奪われていた。
触れるだけのキス。でも、キスはキスで――俺を見る静観な顔つきを否が応でも意識させられて、俺の心臓が勝手に早まる。したくてしたキス、じゃないのに。なんでこんなに……反応してるんだ? 俺ってば??
完全に「逃げる」とか「抵抗する」という言葉が頭から消えうせていた。頭にあるのは、案外唇って柔らかいんだな……というものだった。ほんの僅かな温もりが、俺の唇に伝わる。かすかな熱。それが体全体にまで及ぼうというところで――伯爵の顔が離れる。
「名前をくれないのなら、もっとしますよ? いいですか?」
「ッ――よ、くねーよ! するな! もう終わりにしろ!!」
「嫌です」
そこで伯爵は強硬手段に出た。俺の手首を掴むと、また、顔を近づけて来たのだ。またキスなんかされたら、どうにかなってしまいそうで……俺は……気付いたら告げていた。
「ロ……イ」
「ロイ? ロイ……なんですか?」
「ロイ・ナンテだ」
ついに伯爵に名を与えてしまった。だが、それよりも、彼の満足げな顔が視界に入って心臓がさらに煩く鳴る。おかしい。俺は、こいつのことが、伯爵のことなんか、もう、嫌い、なはず……なのに。
緊張が極限まで高鳴ったせいか、緩んだ目元から、涙が落ちた。
「……泣かせてしまいましたか。すみません、ロイ」
「本当だよ、っ、退け! 名前やっただろ! もういいだろ。俺に関わるな!!」
俺がその場を去ろうとするが、伯爵は動かない。本当に名前で満足したのだろうか? でもそれを直接聞くことは出来ない。
「ロイ。私はリゲル・ホーネンツ伯爵です」
「……知ってるよ」
背中越しに応えて、俺は足早にその場を去った。一度も、振り返らずに。
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