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第1章 異世界に来たのなら、楽しむしかない
16.銀狼から始まる
しおりを挟む『──なぜ人間如きがこんな奥地にいる?』
脳内に響く声ではなく、直接耳から聞こえてくる声。低く威厳のある声が辺り一帯に響き渡る。葉の擦れる音ともに、はっきりとした影が現れた。
重くのしかかってくるような空気がこちらにも伝わってくる。苦しい緊張感に思わず服の裾を握りしめる。
はた、と顔を上げた私の瞳が見開かれた。目の前の獣に驚いたのである。
『ここに人間など・・・・・・ありえない』
険しく眉間にシワを寄せ、ピンと耳を立たせている。鋭い光を持つ瞳は澄んだ青色で、大きく裂けた口からは鋭利な牙が数本、今にも噛みつかんといわんばかりに白色を覗かせている。
ぬらり、とした涎が牙を伝う。
それは地球でもよく見た姿──狼だった。
綺麗な銀毛が太陽の光を受けて煌めいた。唸り声と共に毛を逆立て、群れの中の別の一匹が口を開く。
その言葉に殺気がぶわりと広がった。
『しかもお前の手についているその血は、気高き我が同族──フェンリルのものではないか』
『我々の肉を食せるのは、この森の番人のみ・・・・・・それを無断で食ったか。なんと罪深い人間だろうか』
神獣であるフェンリルの肉。それは番人のみ食すのを許されるもの──生贄である。
それを人間・・・・・・よりによって、下等生物に食べられたとなると、フェンリルが酷い憤りを覚えるのも当然の事だろう。
『これは到底許されることではない。・・・・・・命をもって償ってもらおう』
怒りが次へ次へと伝わるように、あちらこちらから唸り声が上がる。
──殺気の含まれたソレは、私の精神を恐怖に染めるには十分だった。
「ま、まって・・・・・・待ってください!! 命だけは・・・・・・」
口に出してから、どこかの映画の小物が話すような台詞だな、と気づく。そんな安っぽい映画を昔見た気がしなくもない。
傍から見れば笑える光景かもしれないが、当の本人である私は全く笑えない。──本当に全く。
フェンリルが神獣と呼ばれているのは聞いたことがある。RPG等はやった事があるが、モンスターの名前はからっきしな私でも知っているくらいだ。魔族の希少だが何だか知らないが、何の武器もない一般人が勝てるものか。
『フン、今更命乞いか』
私の言葉を聞いた群れの一匹が嘲笑を含ませた声で言う。続けて他のフェンリルたちも吠える。
『それで我らが見逃すと思ったか・・・・・・片腹痛いわ』
『そもそも、このような奥地に来たこと自体が自殺行為。・・・・・・大方、森の入り口で捨てられた故にここまで迷い込んできたのだろう。よく生きているものだ、運の良い奴め』
『迷い込んできた程度なら慈悲を与えたものの、腹が空いたあまりに我が番人への供物を食らうとはなんたる無礼──流石に許してはおけぬ』
リーダー格のフェンリルが怒りの唸り声をあげれば、周りを囲む同族も次々に声をあげる。それは大地を揺るがす程の声の束となる。
そうして、先頭のフェンリルが一言。
『殺れ』
その一言が引き金となった。フェンリルは一斉に牙を剥き、こちら目掛けて大きく跳躍する。それが発しているのは先程までの敵意ではなく、全く別の殺意である。
思わずへたり込んだ私の隙を見逃してはくれなかった。あっさりとその筋肉質な前足で地に倒される。
肺の上から押さえつけられ息が詰まった。苦しくて顔をしかめると、嘲笑う声が聞こえてくる。
『フン、所詮は人間。下等生物如きが逃げられると思っていたのか?』
──聞いていない。こんな話は聞いていない。そもそも、この森の魔物は賢いから襲わないのではなかったか。今丁度襲われている最中なのだが・・・・・・。
ここで死ぬのかとふわふわとした思考で死を悟る。その様子を嘲笑うかのように、押さえつける力が更に強まる。
肺から息が漏れた。
『どうだ、人間? 最後に言いたいことがあれば聞いてやろう』
薄れゆく意識。霞んだ視界の中、ぼんやりとした影が言っているのが聞こえる。言いたいことなんてない。そう言おうとしても、喉の奥から出てくるのは掠れた音ばかりで声はでない。
意識さえ曖昧になった時、私はおもむろに手を伸ばす──掴んだのはフェンリルの前足だった。
『む?』
それを見たフェンリルたちは鼻で笑う。抵抗するなど馬鹿馬鹿しい。きっと死ぬのが怖くて無駄な足掻きをしているのだ。掴まれているフェンリルでさえ、振り払おうとはしない。
──人間を見下すあまり、完全に自分が優位に立っていると思い込んでいた。
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