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第三章《籠姫伝と焔の能力》
【八】
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サクラが部屋を出ていき、紅子は部屋に一人になった。
部屋をキョロキョロと見渡すが、薄い布と畳が三枚、それと外を覗くことのできそうな小さな窓が一つあるだけだった。
窓は当然人が通れるような大きさではなかった。壁を探るも、隠し通路のようなものは見当たらない。
何もすることがなく、畳に腰を下ろそうとすると、何か固いものが腹辺りに当たった。そっと帯の間を探ると、櫛が出てきた。
それは弥生と訪れた呉服店で、彼から渡されたものだった。
「これは、あなたに似合いそうです。綺麗な桜を咲かせるんでしょう?」
そう言った彼は、棚にいくつもある櫛棚から本物の桜と葉が埋められた透明な櫛を手に取った。
この呉服店は、着物に似合う簪や櫛も取り揃えていた。値段もピンキリで、若い男女のカップルが何組か店に居た。どうやらちょっと贅沢をする時にピッタリな店らしい。
「あまり高価なものではありませんが……よろしければ、貰ってください」
そう言った彼は会計を済ませ、紅子に櫛を握らせた。
「要らなければ滋宇やノアに贈ってもらって構いませんよ」
と苦笑する弥生は、いつものような壁を感じさせなかった。
「ありがとう、ございます」
そっと手を開いて、櫛を見つめる。
「可愛い」
と、紅子は笑顔を見せた。
「……それは、贈ったかいがありますね」
そう呟く彼は、とても優しい瞳をしていた。
ふと、その時の出来事が頭にほわっと浮かんだ。
そうだ。
彼は迷惑だと思うかもしれないが、それはあまり私たちの間には関係ない。仮面夫婦なのだから。
役目をまだ十分に果たすことはできていない今、私は彼の元へ帰らねばならないのだ。
私は今、七兵衛ではなく秋桐様の 所有物だということを、忘れてはならない。
それに、去り際にサクラは言った。
「あーちゃんは、戦に巻き込まれちゃ駄目だよ。ちゃんと逃げるんだよ。居たい場所に、ちゃんと行くんだよ」
居たい場所は、もう無くなってしまった。
だけど帰らねばならない場所はある。
そっと帯の中から櫛を取り出し、両手で包む。
──育て、育て、サクラの木。その枝をのばし、手を貸して。
ふっと櫛が光り、ビキビキッと音を立て始める。
ピシッピシッと表面が割れ、にゅるにゅると桜の花から細い枝が櫛から這い出てくる。
そっと小さな窓に置き、枝を伸ばし続ける。
やがて地に着いた細い枝は、自ら地面を掘って根を張り始めるだろう。
そして数時間後には、桜の巨木の完成だ。その枝がきっと、導いてくれる。
ふっと口元に笑みが浮かぶ。
そう簡単に、操り人形になってたまるか。
***
どれほど時間が経ったのだろう。
眠っていた紅子が寝ぼけ眼を擦りながらドアを開けると、武装したレンが立っていた。
「君には、ここで待っていてもらうよ」
そう告げられた。わざわざ挨拶にきたようだ。
「おいレン。早くしろ。戦は一刻が勝負になるんだ」
白銀の髪の男、は空気をピリピリさせながら鋭い視線をレンに向ける。
「あ。俺の非常食がない」
と呟くシンはバンダナを外し、黒い髪を露にしていた。
「シン、お前バンダナは」
「ああ……預けてきた」
「……いいのか」
「いんだよ」
二人は一瞬視線を絡ませ、ふっと外すと、交差して別の方向へと歩き出した。
「…………ではな」
レンはそんな二人から視線を外すと、紅子に微笑みかけた。
「おいお前」
と、部屋の扉にもたれかかるようにして、要人がじっと睨んできた。
「……?」
戦は一刻が勝負なのではなかったのだろうか。
眉をひそめながら少し後ずさると、要人は「はぁ」と大きい溜息を吐き、ブンっと何かを投げてきた。
チャリンと音を鳴らしながら床に転がったのは、鍵束だった。
「これは、予備の鍵束だ。サクラは脱出のことは特に何も考えて無かったろ。それを隠し持っとけ。それがあれば内側からでも扉を開ける」
要人の行動に、紅子はぽかんと口を開いた。
「お前が邪魔だってだけだ。さっさと消えろ」
そう言い残し、要人は出て行こうとした。
その手を、紅子は掴んだ。
「は?何」
困惑する要人に、紅子は紙を渡した。
要人は怪訝そうにその紙を開き、目を丸くした。
「ありがとうございます」
紅子の笑みに、要人は顔をしかめた。
「お前、ほんと俺が嫌いな奴」
そう言うと、紅子の手を振り払って扉を閉めた。
──彼は、私を助けてくれようとした。
恐らく初めて会話をした日、彼はわざとあんな態度をとったのだ。……いや、もしかしたら本心からの行動だったのかもしれない。
それでも、彼は紅子を逃がそうとしている。
そこには、犠牲者にさせまいという意思が感じられた。
落ちた鍵束を拾い、紅子は窓を覗く。
いい感じに桜の木が成長している。
時期でもないのに満開のサクラの花びらが、風に吹かれて飛んでいく。
──いよいよだ。
深呼吸をしようと深く息を吸い込んだ時だった。
基地に大きな振動が響き渡った。
部屋をキョロキョロと見渡すが、薄い布と畳が三枚、それと外を覗くことのできそうな小さな窓が一つあるだけだった。
窓は当然人が通れるような大きさではなかった。壁を探るも、隠し通路のようなものは見当たらない。
何もすることがなく、畳に腰を下ろそうとすると、何か固いものが腹辺りに当たった。そっと帯の間を探ると、櫛が出てきた。
それは弥生と訪れた呉服店で、彼から渡されたものだった。
「これは、あなたに似合いそうです。綺麗な桜を咲かせるんでしょう?」
そう言った彼は、棚にいくつもある櫛棚から本物の桜と葉が埋められた透明な櫛を手に取った。
この呉服店は、着物に似合う簪や櫛も取り揃えていた。値段もピンキリで、若い男女のカップルが何組か店に居た。どうやらちょっと贅沢をする時にピッタリな店らしい。
「あまり高価なものではありませんが……よろしければ、貰ってください」
そう言った彼は会計を済ませ、紅子に櫛を握らせた。
「要らなければ滋宇やノアに贈ってもらって構いませんよ」
と苦笑する弥生は、いつものような壁を感じさせなかった。
「ありがとう、ございます」
そっと手を開いて、櫛を見つめる。
「可愛い」
と、紅子は笑顔を見せた。
「……それは、贈ったかいがありますね」
そう呟く彼は、とても優しい瞳をしていた。
ふと、その時の出来事が頭にほわっと浮かんだ。
そうだ。
彼は迷惑だと思うかもしれないが、それはあまり私たちの間には関係ない。仮面夫婦なのだから。
役目をまだ十分に果たすことはできていない今、私は彼の元へ帰らねばならないのだ。
私は今、七兵衛ではなく秋桐様の 所有物だということを、忘れてはならない。
それに、去り際にサクラは言った。
「あーちゃんは、戦に巻き込まれちゃ駄目だよ。ちゃんと逃げるんだよ。居たい場所に、ちゃんと行くんだよ」
居たい場所は、もう無くなってしまった。
だけど帰らねばならない場所はある。
そっと帯の中から櫛を取り出し、両手で包む。
──育て、育て、サクラの木。その枝をのばし、手を貸して。
ふっと櫛が光り、ビキビキッと音を立て始める。
ピシッピシッと表面が割れ、にゅるにゅると桜の花から細い枝が櫛から這い出てくる。
そっと小さな窓に置き、枝を伸ばし続ける。
やがて地に着いた細い枝は、自ら地面を掘って根を張り始めるだろう。
そして数時間後には、桜の巨木の完成だ。その枝がきっと、導いてくれる。
ふっと口元に笑みが浮かぶ。
そう簡単に、操り人形になってたまるか。
***
どれほど時間が経ったのだろう。
眠っていた紅子が寝ぼけ眼を擦りながらドアを開けると、武装したレンが立っていた。
「君には、ここで待っていてもらうよ」
そう告げられた。わざわざ挨拶にきたようだ。
「おいレン。早くしろ。戦は一刻が勝負になるんだ」
白銀の髪の男、は空気をピリピリさせながら鋭い視線をレンに向ける。
「あ。俺の非常食がない」
と呟くシンはバンダナを外し、黒い髪を露にしていた。
「シン、お前バンダナは」
「ああ……預けてきた」
「……いいのか」
「いんだよ」
二人は一瞬視線を絡ませ、ふっと外すと、交差して別の方向へと歩き出した。
「…………ではな」
レンはそんな二人から視線を外すと、紅子に微笑みかけた。
「おいお前」
と、部屋の扉にもたれかかるようにして、要人がじっと睨んできた。
「……?」
戦は一刻が勝負なのではなかったのだろうか。
眉をひそめながら少し後ずさると、要人は「はぁ」と大きい溜息を吐き、ブンっと何かを投げてきた。
チャリンと音を鳴らしながら床に転がったのは、鍵束だった。
「これは、予備の鍵束だ。サクラは脱出のことは特に何も考えて無かったろ。それを隠し持っとけ。それがあれば内側からでも扉を開ける」
要人の行動に、紅子はぽかんと口を開いた。
「お前が邪魔だってだけだ。さっさと消えろ」
そう言い残し、要人は出て行こうとした。
その手を、紅子は掴んだ。
「は?何」
困惑する要人に、紅子は紙を渡した。
要人は怪訝そうにその紙を開き、目を丸くした。
「ありがとうございます」
紅子の笑みに、要人は顔をしかめた。
「お前、ほんと俺が嫌いな奴」
そう言うと、紅子の手を振り払って扉を閉めた。
──彼は、私を助けてくれようとした。
恐らく初めて会話をした日、彼はわざとあんな態度をとったのだ。……いや、もしかしたら本心からの行動だったのかもしれない。
それでも、彼は紅子を逃がそうとしている。
そこには、犠牲者にさせまいという意思が感じられた。
落ちた鍵束を拾い、紅子は窓を覗く。
いい感じに桜の木が成長している。
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