ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

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第五章《動く心と呪いの石》

【三】

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 食事処では、既に何組かが食事を始めていた。
 小さな囲炉裏が四つ設置され、それぞれに小鍋と小鉢が用意されている。
「雰囲気がいいですね。落ち着きます」
 声を弾ませる紅子に、弥生も微笑みかける。
「炊き込みご飯が毎回違う種類で美味しいのだと知人から紹介されたので、期待していて下さい」
 その話通り、鯛と生姜の炊き込みご飯は絶品だった。
 ホロホロに崩れる身が、ほんのりと甘い米に絡む。そこに生姜の良い香りが合わさり食欲を湧かせる。
「これは……つい食べすぎてしまいますね」
 批判的な態度を一変させ、ノアは既に茶碗を三杯空にしていた。
「懐石料理がよかったんじゃないのか」
 と突く陽時厘に、
「そりゃあ、豪勢な方がみ目が映えますからね。ですがこの味わい深さ……素朴な見た目に反してこんなにも素晴らしい味わいというのは、見目麗しいという点で差異はありますが、慎ましい若奥様を彷彿とさせますわね」
 と流暢に語ってみせる。
「見目麗しいだなんて、そんなことありませんよ。さっきの中居の方のほうが美人でいらっしゃいましたし」
 紅子が困ったように笑うと、タイミングを見計らったかのように渦中の中居が通りかかった。
「あら、お世辞でも嬉しゅうございます」
 艷めく唇が品良く形を変える。
「お客様もとてもお美しゅうございますよ」
「……って言うとやはり、中居さんは容姿を褒められることが多いみたいですね」
 とノアが口を挟む。
 挑戦的な視線に、中居は動揺した様子もなく口角を上げた。
「ええ。そこの若様にも以前……」
 チラ、と熱のこもった視線を弥生に投げかけた中居だったが、
「あら私ったら……それでは、どうぞごゆっくりしてくださいね」
 悪戯に笑みを残し、その場を離れていった。

 残された一行の間には静寂が落ちた。
「以前、いらしてたんですね」
 そう口火を切ったのは紅子だった。
 従者の箸が一斉に動きを止め、ピクリとも動かなくなる。
「ええ。幼いときはこの辺りに住んでいたものですから」
「あら、そうだったんですか。てっきり今のお屋敷にずっと暮らしていたものと思っておりました」
 目を丸くする紅子に、弥生は優しく目もとを弛める。
「幼少期はこの辺りで育てられたんです。自然が多く、療養にも向いていましたから」
「療養……ですか」
 繰り返された言葉に弥生は瞳を揺るがせ、
「ああ、いえ」
 と否定した。
 それ以上は語ろうとしない弥生の横顔から視線を外し、紅子は茶碗に残った米を箸ですくう。
「……ここ、お湯がとても気持ちよかったです」
「そうですか。よかったです」
 弥生はいつもと変わらない調子で相槌をうつ。
「なので、あきぎ……弥生様もぜひご利用くださいね。今日はお疲れでしょうから」
 そう微笑む紅子に、弥生は口を軽く開いた。
「はい」
 弥生は湯のみに手をかけながら、
「そうさせて頂きます」
 と言う。
 和らいだ空気に、固唾を飲んで成り行きを見守っていた従者たちは表情を弛緩させた。


***


 夕食後、紅子と陽時厘は部屋に入るなり身を固くした。
 八畳ある部屋に、二枚の布団がぴたりとくっついている。
──そうか。旅行ってこういう扱いされるのか。
 頬を真っ赤にして狼狽える紅子だったが、
「それじゃ、あとはお二人でごゆっくりどうぞ」
 とノアが陽時厘と滋宇の背を押して部屋を出ていってしまった。
「流石にここで部屋を別々にすると怪しまれてしまうので」
 申し訳なさそうに言う弥生に、紅子は「そうですね」と熱くなった顔に手で風を送りながら言う。
「でも手は出しませんのでご安心ください」
 安心させるような笑みに、紅子の心臓は落ち着くどころかザワついた。
「あ、はい」
 たしかに安心はするが、魅力がないと言われているようで少し傷つく。
 あの仲居が関係しているのだろうか、と脳裏に二人が抱き合っている姿が思い浮かぶ。

──いやいや、何落ち込んでるの。

 ハッと意識を現実に引き戻す。
 仮面夫婦だと承諾した。その話を持ちかけたのは弥生の方だ。相手にその気がないというのも最初から分かっていたではないか。
 ほんの少し期待していた自分が恥ずかしい。
「秋桐様、あの」
 今にも頭から煙が出てきそうなほど真っ赤になりながら弥生を呼ぶと、彼は寂しそうに笑った。
「うーん……そろそろ、名前で呼ぶのに慣れてもらいたいところですね」
 と紅子の頬を手の甲が撫でる。
 ぴくっと睫毛が震え、目じりがじわりと赤く染まる。
「あ、その……すみません急に」
 弥生は慌てた様子で手を引っ込め二歩退いた。
「いえ」
 と紅子は下を向き、熱くなった頬に手を添える。
 汗が滲む。皮膚が痙攣けいれんしているのでは、と思うほど心臓が大きく鳴っている。
 ただ顔を、頬を撫でられただけというのに。ひやりとしていた手が心地よく、もっと触っていたいと心が求めた。
「……勘違いしそうになるな」
 と弥生は顔を背けた。
 だがその言葉は紅子の耳には届かず、彼女は「え?」と呟く。
「その顔は、よろしくないと言ったんですよ」
 弥生は熱を帯びた視線を隠すように目を細めて言った。
「駄目って……あの、そんなに変な顔になってるんですか?だって緊張しちゃって、あの、心臓が出てきてしまいそうなくらいドキドキしてて」
 脳が揺れている錯覚を起こすほど、紅子の心臓は高鳴っていた。
 顔を真っ赤にして浅緑の瞳を潤ませる紅子を前に、弥生は眉根をきつく寄せた。
「そんな顔して……誘ってるんですか?」
「さそ……っ!?」
 頬に当てられた小さな手を、弥生の細く長い指が包む。その指に反論の言葉がしぼむ。
「嫌なら、抵抗してくださいね」
 熱が込められた漆黒の瞳に囚われた紅子は身動きが取れなくなる。
 身を固くする紅子の横髪をさらりと撫で、
「抵抗、しなくていいんですか」
 最後の確認だとでも言うように、弥生は耳元で囁いた。
 吐息に、紅子の背がビクリと仰け反る。
 緊張とほんの少しの恐怖と期待が入り交じる──けれど。
「……や、じゃ……ない」
 掠れる声を聞くなり、弥生は紅子の腰に手を回し、彼女を引き寄せた。
 唇が近づき、どちらの吐息かもわからなくなり──。

 コンコン、と戸が叩かれた。
 紅子は「きゃあっ!?」という短い悲鳴とともに弥生を突き飛ばした。
「失礼致します。お客様のものと思われる櫛が食事処にて見つかったのですが」
 扉を開けると、美人仲居が櫛を手に立っていた。
「あ……ん?いえ、これは私のではないです」
 不思議そうに首をかしげる紅子に、
「そうでしたか。それは失礼致しました。では、おやすみなさいませ」
 と仲居は微笑み、扉を静かに閉めた。
 紅子は空気が抜けていくかのようにヘロヘロと足の力を抜き、その場にへたりこんだ。
「どなたでした?」
 何ごともなかったかのように涼しい顔をした弥生が寄ってくる。
「あ、仲居さんでした。忘れ物はしなかったかと」
 ぱっと顔を逸らす紅子に、弥生は笑みを零した。
「敬語じゃなくていいんですよ?さっきみたいに……」
「ちょ、なんでほじくり返すんです!」
 噛み付くように振り返った紅子の目に、屈託なく笑う男が映った。
 灯を反射して光の輪がかかった黒髪を揺らし、藍色の光を放つ黒い瞳が紅子に向けられる。
「おあずけをくらったんです。これくらいの意地悪ならバチは当たらないと思いまして」
 意地の悪い微笑みに、不覚にも胸がきゅっと締め付けられる。
「それに、『嫌じゃない』という言質も頂きましたし」
 温泉行ってきますね、と弥生は満面の笑みで部屋を出ていった。
 部屋に残された紅子の身体は、しばらく熱がおさまる気配をみせなかった。
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