ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

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第五章《動く心と呪いの石》

【五】

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 部屋に繋がる廊下を歩いていた弥生は、一瞬自分の目を疑った。
 部屋の扉がわずかに隙間をつくっていた。
 すぐさま駆け出し扉を勢いよく開ける。
「ただいま戻りました」
 声をかけるも返事はない。
 掛け湯所、押し入れにはいない。窓も開いた形跡がない。
 冷や汗で背中がじわりと湿り、浴衣に滲みをつくった。
──落ち着け。
 弥生は自身に言い聞かせ、目を閉じて深く息を吐いた。
 ゆっくりと開いたその目から、焦りや動揺は綺麗に消え去っていた。
「クロ」
 短く名を呼ぶと、弥生のすぐ目の前の畳に黒い影がじわりと広がり、そこから人影が飛び出してきた。
「この部屋に居たのでしょう。婚約者殿は何処へ?」
 クロは右手の人差し指と親指を擦り合わせ、黒い瘴気を可視化する。
「無礼かとは思ったのですが、こちらを若奥様につけさせて頂きました」
 その黒い瘴気は細い糸状になっており、部屋の外へと繋がっている。
「助かります。あとは私が赴くので、お前はここで彼女の従者たちに目を配っていてください」
「仰せのままに」
 片膝をつくクロを後目に、弥生は速度を上げて糸の先へと歩を進めていった。


***


 もう日がすっかり沈み、月がこうこうと輝いている。そんな真っ黒な一帯を、赤や青の色とりどりの星が散らばり幻想的な空間を作り出す。
 紅子はぼんやりと足湯に浸かりながらその空を眺めていた。
 部屋を出たものの行くあてがなく、民宿の裏手にあった足湯の看板を見つけ、ふらりと立ち寄ったのだ。
 少し、頭を整理する時間が欲しかった。

 着物の裾を捲りあげ、小さな赤茶色の座布団にすわる。白い足を湯につける。
 ぬるめの温度が心地よい。紅子はほっと息をつき、湯の中で足を忙しなく動かす。幼い子のような行動をとりながら、彼女はひとり笑みをこぼす。
「お隣、よろしいですか」
 ふと上目遣いに声の主を振り返ると、なにやら弥生と良い雰囲気だった仲居が微笑をたたえていた。
「ええ、勿論です」
 どうぞ、と紅子も笑みを返すが、その表情はぎこちなくなってしまう。
「失礼しますね」
 仲居はとくに気にした様子もなく、彼女のすぐ隣で足を湯に浸した。
 健康的な細く美しい足に、同性の紅子でもドキリとする。
「そういえば」
 と仲居のほうから口を開いた。
「弥生様とは、どういったご関係でいらっしゃるのです?」
 見えない圧力プレッシャーに、紅子は言葉を失う。

──仮面夫婦を所望していたということは、彼には本命がいるのかもしれない。

 そんな疑念が生まれたのは、契約を交わした夜のことだ。
 そして今、その有力候補が圧力とともに弥生との関係を訊いてきた。さっきまで彼と話していたはずなのにだ。
 彼の口からはどうしたって話せなかったのかもしれない。いや、愛しい人を前に婚約者だなんて紹介をしたくなかったのやも。
 様々な意図を想像した紅子は目を泳がせる。
「ええと、ですね」
 やや間を置いて、紅子は乾いた声を出す。
 湯の匂いの風が吹き、束ねきれなかった髪を揺らす。

「──家の都合で決められた、婚約者……です」

 心臓がドクドクと血液を勢いよく流す音が耳に響く。
 すぐ側でちゃぷりと湯を蹴った仲居は、
「そうなの?では本意では無いという事なのね」
 よかった、と明るい声を上げ両手を合わせた。
 凛とした空気を取り払ってしまえば、想いを抱く、恋する乙女そのものだった。
 整った横顔をほころばせる彼女は、
「私、弥生様とは幼なじみなんです。この櫛も……」
 そう言った彼女が取り出したのは、部屋の前に来たとき手にしていたものだ。
「弥生様がかつて贈ってくださった、私のものなんです。意地悪してごめんなさい。けれど、私の好いている人とどなたかのお嬢様が一緒にいるだなんて耐えられなくて」
 仲居は眉根を寄せて項垂うなだれる。
 一方の紅子は返す言葉に迷い、自身の落ち着きのない足先に目を向けた。
 長い睫毛がパチリと上がり、大きな瞳が紅子を捉えた。
「あなたは弥生様を好いてはいないのですよね?」
 答えを迫られた紅子は言葉を詰まらせる。
 そうだ、とうなずいてしまえば簡単なのに、彼女は首を縦に振ることができないでいた。
 苦しげに顔を歪める紅子のすぐ隣から、ジャリッと砂を蹴る音がした。
 ふと顔を上げ、紅子は絶句する。
「ここにいたんですね、翡翠さ──……え?」
 相手の驚いた声に、紅子は喉が焼けるような錯覚に陥った。
 何度も何度も何度も、彼を思い浮かべては打ち消してきた。未練など残すものかと。
 けれど実際目の前に立たれてしまうと、そんな想いはいとも簡単にくしゃりと萎んでしまう。

「紅子さん?」

 名を呼ばれた彼女は、動揺を隠せず目元に力が入る。
 目の前には、見知った青年が立っていた。
 柔らかな茶色い髪が似合うこの青年を、彼女はよく知っていた。

「お久しぶりですね。……昭平さん」
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