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第六章《三つ目の伝説とサクラ》
【七】
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出立日、晴れでも雨でもない曇り空の下、紅子は馬車に乗りこんでいた。
その扉のすぐ目の前で、弥生は彼女に笑いかける。
「くれぐれも、体調にはお気をつけて。楽しんできてください」
「はい。弥生様も、どうか御身を大切に」
二人はしばし見つめ合い、陽時厘のわざとらしい咳払いで弥生は馬車から退く。
「それでは、行って参ります」
蹄の音を立てながら、馬車はゆっくり街道を走る。
だんだん小さくなっていく屋敷を穴が空くほど見つめていた紅子に、滋宇が話を振った。
「そういえば、春の宮様は一体なんの御用で屋敷に居たのでしょうね」
「たしかに……婚約の話はあまり本気ではなかったようですし」
ただ教えてくれるかは別問題だろう。踏み込んでもいいものなのか、と紅子は眉宇を曇らせる。
「おそらくは、旅行で若奥様よりもお先に立たれたことと関係があるのでしょう」
「そうね」
と先に出発した春の宮の馬車に視線を向ける。
そもそもどうして紅子が呼び出されたのか、未だ目的はハッキリしていない。
──色々、考えることが多い旅になりそう。
早くも硬くなり始めた腰を軽く叩き、紅子は何度目かの溜息を吐いた。
──一方、見送りを済ませた屋敷にて。
春の宮の置き手紙に目を通していた弥生は早速その顔を歪めていた。いい内容が書かれてはいないようだ。
「絹峰」
「はい」
すぐ後ろで控えていた女中長に、
「祭神の君がどうにも気になることを言っていました。そこの調査に人を割きたいので手配してください」
と抑揚のない声で命じる。
「先日仰っていた、埋葬式がどうの、という話ですね。そこについては既に調査済みでして、春の宮様の仰る通り、あの地域はどこも埋葬式のようです。またその村に縁のないはずの若い女が訪ねていたとの情報も入っております」
「若い女……」
「なんでも礼儀正しい方だとか」
「礼儀正しい?」
違和感のある単語に問い返す。
絹峰は「はい」と迷いなく頷いた。
「……では、未だ会えていない故姫様かもしれませんね」
「ええ。男勝りな女性との情報は入っておりません。ですが故姫様とそのグループとが繋がっている可能性も出てきました」
「もとよりその気ではいましたが……礼儀正しい、か」
弥生は呟き、再び顔を上げた。
「絹峰。ある人物の情報を集めてください」
「お任せ下さい」
と承った絹峰だったが、弥生から聞いたその名に目を見開く。
「……内通者ということですか」
「ええ。今は心配ないでしょうが……女中たちには暇でも出しておいてください。きっと大きく事が動くので」
先を見通すような物言いに、絹峰は「承りました」と頭を下げる。
「……坊ちゃん、あまり無茶はなさいませんよう。貴方様にはその身を案じる方がいらっしゃるのだということを、どうぞお忘れなきよう」
との絹峰の言葉に、弥生は虚をつかれたように息を呑む。
やがてその表情を隠すように微笑むと、
「肝に銘じておきます」
と屋敷の中へと入っていった。
***
邸宅に着いたのは日が落ちかけた夕暮れ時。馬車から降りた紅子の頬を涼やかな風が通り過ぎる。
だがそんな風情を感じるほどの余裕はなく、春の宮の宅に招かれた紅子たちは冷や汗が出てくるのを感じていた。
弥生の屋敷は異国の文化と自国の文化を折衷したような雰囲気があったが、春の宮の邸宅は敷地の広さを利用し、自国の文化と異国の文化とをきっちりと分けた棟がそれぞれ建てられている。
領主の息子にあてがわれた屋敷も相当な広さがあったが、さすが太陽家というべきか、その屋敷のおおよそ三、四倍は土地がある。
「では早速ですが、ここのご当主様へ挨拶しに参りましょうか」
と春の宮は三人を促す。
「ご当主様というと……」
「はい、私の従姉妹叔母と従姉妹叔父にあたります──現太陽様と呼ばれる方々です」
どうぞこちらへ、と春の宮は先頭を歩む。
あちらこちらに配備される兵がピクリとも動かずに立っている。それがさも当然のように素通りする彼女に、育った世界の違いをまざまざ実感する。
「この先が謁見の間になります」
と紹介した後、近くの兵に「太陽ご夫妻様にお伝えください」と言いつける。
この人が秋桐弥生の婚約者だと言われたら納得してしまう。
彼女よりも秀でているところが思い浮かばず、虚しいような苦しいような……寂しいような。
ごちゃりとした感情を抱える紅子は、小さく一歩退いた。
「……紅子さん、緊張されてます?」
様子のおかしい彼女に気づいたのか、春の宮が声をかける。
「少しだけ。ですが……今さらおめおめ帰るわけにも参りません」
自分で決めたのだから、と言い聞かせる。
「左様ですか。では参りましょう」
ふっと微笑を零した春の宮は、ちらりと兵と目を交わす。
その後号令があり、紅子たちは重厚な扉の先に居る高貴な方々と対面を果たした。
ちょこん、と玉座に座っている男女にそこまでの貫禄はない。むしろ「その辺にいそうな顔」とすら言える。
「この度はとても貴重な機会を与えて頂き誠にありがとうございます。お初にお目にかかります、秋桐家の──」
「ええ、存じております」
そう遮ったのは太陽妻だ。
金を散らした扇子で口元を隠しながら、細い黒目をちろりと紅子に向ける。
「弥生殿の暫定的な婚約者……に、ございましょう?お噂はかねがね……どうぞごゆっくりなさってくださいな」
ほほ、と笑う太陽妻から注がれる視線は冷たい。
明らかに挑発、というより牽制の含まれた物言いだ。
「お心遣い、感謝致します」
頭を下げるその唇を、彼女はきつく結んだ。
その扉のすぐ目の前で、弥生は彼女に笑いかける。
「くれぐれも、体調にはお気をつけて。楽しんできてください」
「はい。弥生様も、どうか御身を大切に」
二人はしばし見つめ合い、陽時厘のわざとらしい咳払いで弥生は馬車から退く。
「それでは、行って参ります」
蹄の音を立てながら、馬車はゆっくり街道を走る。
だんだん小さくなっていく屋敷を穴が空くほど見つめていた紅子に、滋宇が話を振った。
「そういえば、春の宮様は一体なんの御用で屋敷に居たのでしょうね」
「たしかに……婚約の話はあまり本気ではなかったようですし」
ただ教えてくれるかは別問題だろう。踏み込んでもいいものなのか、と紅子は眉宇を曇らせる。
「おそらくは、旅行で若奥様よりもお先に立たれたことと関係があるのでしょう」
「そうね」
と先に出発した春の宮の馬車に視線を向ける。
そもそもどうして紅子が呼び出されたのか、未だ目的はハッキリしていない。
──色々、考えることが多い旅になりそう。
早くも硬くなり始めた腰を軽く叩き、紅子は何度目かの溜息を吐いた。
──一方、見送りを済ませた屋敷にて。
春の宮の置き手紙に目を通していた弥生は早速その顔を歪めていた。いい内容が書かれてはいないようだ。
「絹峰」
「はい」
すぐ後ろで控えていた女中長に、
「祭神の君がどうにも気になることを言っていました。そこの調査に人を割きたいので手配してください」
と抑揚のない声で命じる。
「先日仰っていた、埋葬式がどうの、という話ですね。そこについては既に調査済みでして、春の宮様の仰る通り、あの地域はどこも埋葬式のようです。またその村に縁のないはずの若い女が訪ねていたとの情報も入っております」
「若い女……」
「なんでも礼儀正しい方だとか」
「礼儀正しい?」
違和感のある単語に問い返す。
絹峰は「はい」と迷いなく頷いた。
「……では、未だ会えていない故姫様かもしれませんね」
「ええ。男勝りな女性との情報は入っておりません。ですが故姫様とそのグループとが繋がっている可能性も出てきました」
「もとよりその気ではいましたが……礼儀正しい、か」
弥生は呟き、再び顔を上げた。
「絹峰。ある人物の情報を集めてください」
「お任せ下さい」
と承った絹峰だったが、弥生から聞いたその名に目を見開く。
「……内通者ということですか」
「ええ。今は心配ないでしょうが……女中たちには暇でも出しておいてください。きっと大きく事が動くので」
先を見通すような物言いに、絹峰は「承りました」と頭を下げる。
「……坊ちゃん、あまり無茶はなさいませんよう。貴方様にはその身を案じる方がいらっしゃるのだということを、どうぞお忘れなきよう」
との絹峰の言葉に、弥生は虚をつかれたように息を呑む。
やがてその表情を隠すように微笑むと、
「肝に銘じておきます」
と屋敷の中へと入っていった。
***
邸宅に着いたのは日が落ちかけた夕暮れ時。馬車から降りた紅子の頬を涼やかな風が通り過ぎる。
だがそんな風情を感じるほどの余裕はなく、春の宮の宅に招かれた紅子たちは冷や汗が出てくるのを感じていた。
弥生の屋敷は異国の文化と自国の文化を折衷したような雰囲気があったが、春の宮の邸宅は敷地の広さを利用し、自国の文化と異国の文化とをきっちりと分けた棟がそれぞれ建てられている。
領主の息子にあてがわれた屋敷も相当な広さがあったが、さすが太陽家というべきか、その屋敷のおおよそ三、四倍は土地がある。
「では早速ですが、ここのご当主様へ挨拶しに参りましょうか」
と春の宮は三人を促す。
「ご当主様というと……」
「はい、私の従姉妹叔母と従姉妹叔父にあたります──現太陽様と呼ばれる方々です」
どうぞこちらへ、と春の宮は先頭を歩む。
あちらこちらに配備される兵がピクリとも動かずに立っている。それがさも当然のように素通りする彼女に、育った世界の違いをまざまざ実感する。
「この先が謁見の間になります」
と紹介した後、近くの兵に「太陽ご夫妻様にお伝えください」と言いつける。
この人が秋桐弥生の婚約者だと言われたら納得してしまう。
彼女よりも秀でているところが思い浮かばず、虚しいような苦しいような……寂しいような。
ごちゃりとした感情を抱える紅子は、小さく一歩退いた。
「……紅子さん、緊張されてます?」
様子のおかしい彼女に気づいたのか、春の宮が声をかける。
「少しだけ。ですが……今さらおめおめ帰るわけにも参りません」
自分で決めたのだから、と言い聞かせる。
「左様ですか。では参りましょう」
ふっと微笑を零した春の宮は、ちらりと兵と目を交わす。
その後号令があり、紅子たちは重厚な扉の先に居る高貴な方々と対面を果たした。
ちょこん、と玉座に座っている男女にそこまでの貫禄はない。むしろ「その辺にいそうな顔」とすら言える。
「この度はとても貴重な機会を与えて頂き誠にありがとうございます。お初にお目にかかります、秋桐家の──」
「ええ、存じております」
そう遮ったのは太陽妻だ。
金を散らした扇子で口元を隠しながら、細い黒目をちろりと紅子に向ける。
「弥生殿の暫定的な婚約者……に、ございましょう?お噂はかねがね……どうぞごゆっくりなさってくださいな」
ほほ、と笑う太陽妻から注がれる視線は冷たい。
明らかに挑発、というより牽制の含まれた物言いだ。
「お心遣い、感謝致します」
頭を下げるその唇を、彼女はきつく結んだ。
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