ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

文字の大きさ
59 / 102
第六章《三つ目の伝説とサクラ》

【八】

しおりを挟む
「ここが家の書庫です。この量だと一ヶ月の滞在でも足りないでしょう?」
 そう春の宮が誇らしげにしていただけはある。
 書物だけで弥生の屋敷を埋めつくせるほど、書庫は広く書物も豊富だった。壁一面に本が飾られ、二階まで設けられているこの部屋は、たしかに危険を犯してでも入る価値はありそうだ。

「……先程は、不快な思いをさせてしまいましたね」

 春の宮は書を手にするなり呟いた。

「私が申し上げても説得力がないかもしれませんが、あなたの御身は、決して傷つけたりは致しません。この春の宮……いいえ、『椿つばき』の名において誓います」

 後光のように差し込む光を受ける春の宮に、紅子は「どうして」と困惑する。
「なぜそこまでしてくださるのですか。春の宮様の隠し名にお誓いするほどのことでしょうか」
 隠し名は春の宮の本当の名前であり、公にすることが許されていない名前でもある。家族や親族の一部の人しか知らず、また夫となる者にすら教えないこともある。その隠し名を知っているというだけで命を狙われることも有り得るのだ。
 
「ええ。弥生さんのために命を懸けて敵地ここへいらしてくださったのですから、私も全力でお守りするというのが筋というものです。それに……弥生さんがとても大事になさっている方は、私にとっても大事な方なのです」

 ふっと花がほころぶような笑みに、紅子の胸は微かに痛くなる。
「それは、あの……弥生様のことが大事だからでしょうか」
 紅子の問いに春の宮は怪訝そうに首を傾げる。
「その、つまり……弥生さんのことを、本当のところは好いておられるのでは、と」

 数秒、間があった。

 春の宮はふと考えるように唇に人差し指を当て、
「仮にそうだとして、あなたはどうなさるおつもり?」
 と問いを返した。
 紅子は「どう、にもできないです」とか細い声を出す。
「弥生様には、本当は春の宮様のような相応しい方がいらっしゃることはわかります」
「では、身を引くのですか?」
「それが弥生様のためになるのでしたら、喜んで」
 と紅子は目を閉じる。
 脳裏に、彼の優しい笑顔が浮かぶ。その笑顔が自分以外に向けられるのは、実を言うなら寂しいし、胸がジンと痺れるみたいに痛くなる。

──けれど、あなたの幸せの方が大事だから。

 あなたの未来の方が、私の一時の感情よりもずっとずっと大事だから。

 春の宮は息を吐き、「弥生さんが苦労するわけだわ」と苦く笑う。
「私は幼少の頃に三度弥生さんにお会いしただけです。初対面のときは結婚だなんて意味がわからず、この人と二人で過ごすんだと教えられたときに、ちょっとだけ楽しそうだと思ったことは否めません。けれど二度目の対面のとき、会話が続かずに息苦しかった記憶しかありません。三度目は……彼の身内が亡くなったときでしたから、お悔やみの言葉を述べて終わりました。
 そんな親戚と変わらないようなやり取りしかしてないのに結婚とか、少し虚しくなったこともありました。けれど弥生さんは、どこか達観していたというか、諦めていたというか。
 そんな彼だったから、婚約者の報告を受けた時はすごく驚いたんです。あの人が自分で道を歩み始めたのだと感じました。きっとその道には、紅子さんが必要なんだと思いますよ。
 こんなに良い婚約者を振ってまで、あなたと共にこの先在りたい、と願った彼の気持ちを見ないふりするのは失礼だと思いますが?」
 
 にこ、とイタズラを企む子どものような表情をする春の宮は、
「弥生さんのため、と仰るなら、この先の茨の道を共に歩むことをお勧めしますわ」

 弥生と同じような立場──否、おそらくそれ以上に生きていく上で制限をかけられている彼女の言葉は、とても重く、とても切実だ。
 紅子は自信なさげな顔を上げた。
「私は、自分に自信がありません。自信なんて持てません。まして弥生様のような家柄もお人柄も良い方の伴侶となるなんて、きっと私には務まらないと、そう自分に言い聞かせていました。……けれど、願ってしまったのです。あの方の隣に在りたいと、分不相応なことを思ってしまった。……先程の発言は、ただ私の逃げ道を作るためのものでしたね。
 春の宮様、ありがとうございます」

 光を浴びて煌めく髪に、春の宮は目を細める。

 眩しくて、輝いていて、こんな闇を抱えている私すらも、あなたの見ている世界に連れて行ってくれそうな──……。
 
「……ホント、弥生さんが羨ましいですわ」

 小さく放られた言葉は彼女の耳には届いていないようで、もう資料を探し始めている。

 春の宮は手に取っていた本をパラッとめくる。
 伝承が子どもでもわかりやすいような語りになっているその本は、一体何回読んだかわからない。

 外で遊ぶことも良くないことと禁じられていて、檻のような部屋でただひたすら時が過ぎるのを待っていたのは、ほんの最近のこと。

 一刻も早く資料が見つかれば良いという思いと同時に、見つからなければ良いのにという感情も湧いてくる。

──そんなこと、絶対に言えませんけど。

 口元に浮かんだ微笑を隠すように、春の宮は本を持つ腕を少し上げた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

処理中です...