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第六章《三つ目の伝説とサクラ》
【九】
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書庫の中で隈を晒しながら虚ろな目で文字を追う紅子に、「紅子さん」と春の宮が声をかけた。
顔を上げると、彼女は不安げな表情で紅子を見下ろしていた。
「もう三日もお眠りになってませんよね?倒れてしまいますよ」
「ご心配痛み入ります。ですが、もう日数が残されていませんので」
「それは、たしかにそうですが」
言い淀む春の宮は、そっと本棚を見渡す。
「やはり、この量の蔵書を探るのは無理がありましたね」
紅子が春の宮の屋敷に来てから、何事もなく一ヶ月が過ぎようとしていた──と言いたいものだったが、何事もなくはなかった。
まずノアへ届いた一通の手紙。これにより彼女は急遽屋敷から少し離れた村へ帰ることとなったのだ。
「私を育ててくださった方が倒れてしまったと……」
と顔を青くしながら彼女は言った。
ノアはたしかに五女ではあるが、秋桐家の養子だったのだと打ち明けた。
秋桐家に養子として迎えられる前、彼女は秋桐の家臣の家で育てられていた。その家臣の家の者たちは皆彼女を可愛がっていたのだが、容姿と仕事の能力とを買われて秋桐の家に迎えられることとなったのだ、と彼女は紅子に話した。
その実の親が危篤だという報せだった。
紅子はすぐに馬車を手配し、彼女に暇を出したのだった。
次いで、当初は太陽夫妻の嫌味、婚約者候補の写真を見せられたりと縁を切らせようとの動きがあった──のだが、今ではすっかりなくなった。というのも、サクラが太陽夫妻の相手をしていることが大きく影響していた。
二人はサクラの容姿、謙虚さ、能力といった事項をお気に召したようで、三日に一度くらいの頻度で茶会に呼んでいた。あの手この手で勧誘をする夫妻の相手を、春の宮がうまく間に入って躱すといったやり取りが常になっている。
──と、この二つの悪条件につき、紅子たちの目的は多少の遅れをとっていた。
「──ですが、知り得た情報もありますよ」
と紅子は手にしていた本を掲げる。
深緑の表紙に、細長く切られた半紙が貼り付けられたその本は「姫と龍の伝え語」と書かれている。
「姫と龍が一対となり、その力を発揮すること。またその異能を持つ者たちは龍の子孫含め三組いるということ。能力者は代々その継承者の記憶が受け継がれること。初代の巫女……姫伝の能力を受け継ぎし者の能力が『傷や病気の回復』『生命の時を操ること』『屍人に干渉すること』だったこと。いずれも、天災で作物が育たなくなった村の巫女たちが力を求めて神に祈りを捧げたことで得た力だということ……欠けていた前提のお話を知ることができました。それに──」
と今度は書の中ではまだ新しい部類の本を取り出す。
半紙を紐で束ねただけのそれを目にした春の宮は「それ」と掠れた声を漏らした。
「春の宮様のお母様の手記になります。勝手に読んでよいものかわからなかったのですが、私の母が帳簿として使っていたものに似ていて、懐かしく思ってしまって」
と紅子は項を捲る。
「春の宮様と春の宮様のお母上様は、私の母と顔見知りだったのですね」
隠していたわけではないんです、と彼女はか細い声で言う。
「聞かれなかったのでお答えしなかった……というのは、狡いですね。ええ、私も母上も、あなたのお母様と面識がございます。黙っていてごめんなさい。不安になりましたでしょう。なんの話題にも挙げられないから」
「いえ、もしかしたら口にすることができない間柄だったのかなとも思ったことは事実ですが、不安だなんて……日記の文字はとても優しいですし、内容も母がそのまま存在しているかのように書かれております。そのときの母に会わせてもらった感謝こそあれ、謝罪はお門違いというものです。ただ、母は私に何も教えてはくれなかったので……もし宜しければ、母のお話を聞かせて頂きたいな、と」
紅子は懐かしむように、文字の表面を白い指でそっとなぞる。
「母は、私の他に四人産んでいるんです。けれど皆、年をとることなく死んでしまったそうです。病名はわからず、一年も経たないうちに衰弱して死んでしまったのだと……けれど私は一年が経ち、二年経っても衰弱したりしなかった。その理由は四年が経った頃わかりました。私は覚えていないのですが、力を使えていたそうです。生き物の成長を助け、人の怪我を治していたそうです。そのせいで、私は他の人から気味悪がられました。母はそこでようやく、赤子の死の原因が能力の遺伝の有無だと気づいたそうです。そこから、私の存在は公にはされず、隠れるようにひっそり山奥の方で生きていたのですが、上手く力が操れるようになると人里へ降りたのです。ですがそこでも、能力を明かす人を選べと言われました。そこかしこで使ってはならない。そう教えられました。けれどその理由は教えられませんでした。私は、単に身売りの危険があるからだと思っておりましたが、……そうではなかったのですね」
上げた視線の先で、春の宮は指先を着物の生地に食い込ませていた。
苦痛、というよりも、激しい憎悪のような感情を露にする春の宮に、紅子の表情も暗くなる。
「……紅緒、様は……妾にされそうになったのです。珍しい能力と美貌に目が眩んだ、私の大伯父にあたる──前太陽様によって」
顔を上げると、彼女は不安げな表情で紅子を見下ろしていた。
「もう三日もお眠りになってませんよね?倒れてしまいますよ」
「ご心配痛み入ります。ですが、もう日数が残されていませんので」
「それは、たしかにそうですが」
言い淀む春の宮は、そっと本棚を見渡す。
「やはり、この量の蔵書を探るのは無理がありましたね」
紅子が春の宮の屋敷に来てから、何事もなく一ヶ月が過ぎようとしていた──と言いたいものだったが、何事もなくはなかった。
まずノアへ届いた一通の手紙。これにより彼女は急遽屋敷から少し離れた村へ帰ることとなったのだ。
「私を育ててくださった方が倒れてしまったと……」
と顔を青くしながら彼女は言った。
ノアはたしかに五女ではあるが、秋桐家の養子だったのだと打ち明けた。
秋桐家に養子として迎えられる前、彼女は秋桐の家臣の家で育てられていた。その家臣の家の者たちは皆彼女を可愛がっていたのだが、容姿と仕事の能力とを買われて秋桐の家に迎えられることとなったのだ、と彼女は紅子に話した。
その実の親が危篤だという報せだった。
紅子はすぐに馬車を手配し、彼女に暇を出したのだった。
次いで、当初は太陽夫妻の嫌味、婚約者候補の写真を見せられたりと縁を切らせようとの動きがあった──のだが、今ではすっかりなくなった。というのも、サクラが太陽夫妻の相手をしていることが大きく影響していた。
二人はサクラの容姿、謙虚さ、能力といった事項をお気に召したようで、三日に一度くらいの頻度で茶会に呼んでいた。あの手この手で勧誘をする夫妻の相手を、春の宮がうまく間に入って躱すといったやり取りが常になっている。
──と、この二つの悪条件につき、紅子たちの目的は多少の遅れをとっていた。
「──ですが、知り得た情報もありますよ」
と紅子は手にしていた本を掲げる。
深緑の表紙に、細長く切られた半紙が貼り付けられたその本は「姫と龍の伝え語」と書かれている。
「姫と龍が一対となり、その力を発揮すること。またその異能を持つ者たちは龍の子孫含め三組いるということ。能力者は代々その継承者の記憶が受け継がれること。初代の巫女……姫伝の能力を受け継ぎし者の能力が『傷や病気の回復』『生命の時を操ること』『屍人に干渉すること』だったこと。いずれも、天災で作物が育たなくなった村の巫女たちが力を求めて神に祈りを捧げたことで得た力だということ……欠けていた前提のお話を知ることができました。それに──」
と今度は書の中ではまだ新しい部類の本を取り出す。
半紙を紐で束ねただけのそれを目にした春の宮は「それ」と掠れた声を漏らした。
「春の宮様のお母様の手記になります。勝手に読んでよいものかわからなかったのですが、私の母が帳簿として使っていたものに似ていて、懐かしく思ってしまって」
と紅子は項を捲る。
「春の宮様と春の宮様のお母上様は、私の母と顔見知りだったのですね」
隠していたわけではないんです、と彼女はか細い声で言う。
「聞かれなかったのでお答えしなかった……というのは、狡いですね。ええ、私も母上も、あなたのお母様と面識がございます。黙っていてごめんなさい。不安になりましたでしょう。なんの話題にも挙げられないから」
「いえ、もしかしたら口にすることができない間柄だったのかなとも思ったことは事実ですが、不安だなんて……日記の文字はとても優しいですし、内容も母がそのまま存在しているかのように書かれております。そのときの母に会わせてもらった感謝こそあれ、謝罪はお門違いというものです。ただ、母は私に何も教えてはくれなかったので……もし宜しければ、母のお話を聞かせて頂きたいな、と」
紅子は懐かしむように、文字の表面を白い指でそっとなぞる。
「母は、私の他に四人産んでいるんです。けれど皆、年をとることなく死んでしまったそうです。病名はわからず、一年も経たないうちに衰弱して死んでしまったのだと……けれど私は一年が経ち、二年経っても衰弱したりしなかった。その理由は四年が経った頃わかりました。私は覚えていないのですが、力を使えていたそうです。生き物の成長を助け、人の怪我を治していたそうです。そのせいで、私は他の人から気味悪がられました。母はそこでようやく、赤子の死の原因が能力の遺伝の有無だと気づいたそうです。そこから、私の存在は公にはされず、隠れるようにひっそり山奥の方で生きていたのですが、上手く力が操れるようになると人里へ降りたのです。ですがそこでも、能力を明かす人を選べと言われました。そこかしこで使ってはならない。そう教えられました。けれどその理由は教えられませんでした。私は、単に身売りの危険があるからだと思っておりましたが、……そうではなかったのですね」
上げた視線の先で、春の宮は指先を着物の生地に食い込ませていた。
苦痛、というよりも、激しい憎悪のような感情を露にする春の宮に、紅子の表情も暗くなる。
「……紅緒、様は……妾にされそうになったのです。珍しい能力と美貌に目が眩んだ、私の大伯父にあたる──前太陽様によって」
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