ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

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第六章《三つ目の伝説とサクラ》

【十】

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「お妾ですか」
 想定していた答えではあった、といった様子で紅子は繰り返す。しかしその表情は明るくない。
「ええ。私がお会いしたのはたった一度だけです。ですが……記憶に残るには、その一回の対面で十分でした」
 と春の宮は目を細め、すぐ近くの棚から本を抜き取る。項を捲る手がふと止まり、なにか薄っぺらいものを取り出した。
 手元を覗き込んだ紅子は、
「綺麗なしおりですね」と言う。
 真っ赤な花だ。その辺の野ばらには咲いていそうにない種類だ。そんな押し花の栞を、春の宮は両手で包むなり紅子に差し出した。
「えっと」
 戸惑う紅子に、春の宮は微笑む。
「これはあなたのものです」
 どうして、という言葉を紡ぎかけた口を人差し指で制した少女は、かすかに眉を下げて笑った。
「この花、沈丁花ジンチョウゲなんです。見たことのない色でしょう?……それもそのはずです。真っ赤な沈丁花なんて今は存在しないんですもの」
「存在しないと言われましても……在るではありませんか」
「これは紅緒さんが作られたものです。あなたのお母様は、植物の時を読み取り、その遺伝から新たな種、または絶滅した種を生み出すことができるという類稀なる才をお持ちでした。……ですがその力を扱えるようになるまで、かなりの年月を費やしたとも聞きました。見た目はお若いのに、『もう二百年生きてることになる』と言われた時はタチの悪い冗談かと思ったのですが……」
「冗談ではなく、おそらく事実です。私の母は病知らずの体でした。それは毎日毎日自分の体の時を操っていたから……毎日時を戻さなければ、たちまち体の中にある時計の針が勢いよく回りだし、一気に塵と化してしまうと聞いたことがありますから。でも体を若く保っているというのに、だんだん衰弱していき、最期は川に流されて──……」
 その光景を思い浮かべた紅子は薄い唇を噛んだ。
「それもそのはずです。能力を使う度、体は知らぬうちに壊れていきます。そうして、じわじわと死に追いやられていくのです。能力者とはそういうものです。……しかし、二百年は人にとっては長すぎます」
 長すぎるんです、と低く繰り返した彼女は、努めて明るく言った。
「……どうしてこの花を選び、中でも赤い色を創ったのかと問うたことがございます。紅緒様は明るく、ですがどこか思うことがあるかのような表情で仰いました。『これは私が見た記憶の中で一番思いのこもった贈り物プレゼントであり、逃れられない色だから』だそうです」
 と、もう一度その栞を手に紅子を見上げる。
「これは私のものではございません。私は一時的に預かっていただけ……『きっと出会うことになるから、そのときに渡してほしい』と頼まれたのです。不思議でした。まるで人と人とを繋ぐ糸が見えているかのようでしたわ。実際、私たちは予期せぬ縁で知り合いましたしね」
 差し出された栞を、紅子はじっと見つめた。
 真っ赤な沈丁花が、色鮮やかな姿のまま時期外れな今も紙の上に咲いている。
「……母からは、能力が使えなかったと聞いていました」
「え?」
 紅子の言葉に春の宮は目を丸くし、驚いた表情で彼女を見上げた。
「いえ、誤解を招く言い方をしました。正しくは、能力を自分以外の誰かには使えないと、そう言われたのです」
 おずおずと栞を受け取り、取り繕ったように笑う。
「植物の時間を巻き戻したり、他の人の傷を治したりすることはできないと言われたのですが……創造することができたなんて、初めて知りました」
「……隠していたのでしょう。紅緒様の能力まで使えるようになってしまったら、それこそ見つかる危険が高くなります。加えて、その力の価値がまた上がることとなる……そのことを紅緒様は憂いだのだと思いますよ」
 と気遣わしげに春の宮は目を伏せる。
「結果的にお妾にならなかったとはいえ、紅緒様には怖い思いをさせてしまったと母上は悔いておられました」
「どうして春の宮様のお母様が?」
 と紅子は怪訝な顔で問う。
「紅緒様は母上の恩人だったそうです。刺客に追われて怪我をしていた母上のお命を救ってもらったとお聞きしております。けれどその件がきっかけで、お妾にされそうになってしまったのです。母上はお礼のつもりでこのお屋敷に紅緒様をお招きになったのですが、ふとその時に思いついてしまったのです。前太陽様の病の治癒……もうどこにも無いといわれていた薬草を、紅緒様なら創れるのではないか、と……──結果は成功。見事お命を救ってみせたのです。ですが、お命を救ったことで太陽様のお心は紅緒様に向かわれ、彼女のお心を聞く前に妾──籠の鳥にしようとなさいました。そんな事態になってしまう前に、紅緒様は母上の協力のもと御屋敷から姿を消した、ということがあったのです。そうして、紅緒様は雲隠れしてしまったのだという噂だけが残ったのです」
 知らない母の一面に、紅子はただ呆然と聞き入っていた。
 母らしい、とも思うし、そんな大変な話を母の口から、もう済んだことだと笑いながら話してほしかった、とも思う。
 無意識に彼女は猫背になりながら自分の体を抱く。小さく震える体は、もう二度と聞くことのできない声を、温もりを欲していた。

「──若奥様」

 唐突に声をかけられ、紅子はぱっと振り向く。
 うぞうぞ、と自身の影が揺らめいて、だんだんと立体を形成していく。
 その隣では春の宮が声を失くしていた。
「お取り込み中申し訳ございません。しかし、どうか御屋敷に戻る許可をください」
 なぜここに、という問いを飲み込んだ紅子は、こほんと軽く咳払いをして動揺を隠す。
「えっと……御屋敷って、なにか伝令でも──」
「そうではありません」
 紅子の言葉を遮った影──クロは焦りを滲ませた声色で「すみません」と一言謝罪した。
 普段のクロは人の言葉を遮ってものを言ったりしない。彼らしくない行動に、紅子は栞を握る指に力を込めた。
「ですがどうか……事が終わり次第お話致します。ですから、どうか今は何も聞かずに御屋敷に向かう許可がほしいのです」
 と従者は深く頭を下げた。
「許可と言われましても、あなたは弥生様の従者でしょう。私の許可など要らないのではありませんか?」
「今は主の命で貴方の護衛となっております。すなわち貴方様が私に命を下せば私は護衛の任から解放されるのです。逆をいえば、命がなくては自由に動くことは叶いません。どうか」
 切実な声色に、紅子は言葉を紡げなくなる。
 一言、たった一言彼に言葉をかければすぐにでも彼はここを発つだろう。そうして──……。

 ぞくりと、冷たい焦りのような感情が背筋を走った。

 なぜかはわからない。だがどうしようもなく嫌な予感に脳が支配され、だんだん血の気が引いていく。
「……っなんでしょう……とても、なにかとても恐ろしいものに背中を包まれているような」
 と隣で春の宮も顔を青くしていた。
 異常としか言えない事態の中、書庫の扉が慌ただしく開かれた。

「お紅ちゃん大変っ!御屋敷が……!」

 と敬語も礼儀もどこかへ忘れ去ってしまった滋宇が紅子に駆け寄るなり、端がくしゃくしゃになってしまった手紙を握らせた。最後の行にあった送り主の名の位置には「伝令役」とつづられている。

 耳を流れる血がどくどくと騒ぐ。
 そんな彼女の両腕を掴んだ滋宇は、似合わない細い声で言った。

「御屋敷が、炎に包まれているって……!」
「え」

 紅子の掠れた声が、静かな書庫に小さく響いた。
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