ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

文字の大きさ
62 / 102
第七章《秋桐家と龍の加護》

【一】

しおりを挟む
 紅子たちに伝令が伝わる少し前、秋桐の屋敷の縁側では一人の男がぼんやりと空を眺めていた。
 さらりとした黒髪を風に遊ばれるのも気にせず、されるがままだ。
 そんなにも風情ふぜいに心を置いているのかと思いきや、残念なことに脳内では風景のことなど微塵も考えてなどいなかった。
 頭に浮かぶのは、最後に触れることができないまま別れてしまった彼女のこと。今もふとした瞬間に彼女の笑顔、少し拗ねた表情、どこか怯えた表情、口づけたときの甘い表情。今までに見たことのある表情たちが彼の脳内で存在を主張する。なかには現実とは多少異なるものもあるが、人間の脳とはそういうことに対し都合よく創られているものである。

 彼女が屋敷を離れて、既に一ヶ月が過ぎようとしていた。

 ようやく折り返しに入ったというのに、想いは積もりに積もって、彼女の幻影が目の前に見えてしまいそうだ。
 当初は仲が悪くならない程度で良いと考えていたというのに、とんだ思考の変化だと自分に対して苦笑する。


 紅子との出会いは二年ほど前。
 誰か良い人を見つけると銘打って、弥生は元々話が持ち上がっていた縁談の相手の宿を訪ねたのだ。
 けれど万が一にでも正体がバレたら困るので、当時少しだけ伸びていた髪を束ねるといったあまり本格的ではない変装はしていた。
 彼女はよく働く人で、誰に対しても物腰柔らかく見目も決して悪いわけじゃない。むしろ良い方だと思うのだが、どうして見目が悪いだなんて言われているのか。
 疑問を持ちつつ、彼女を観察する日が続いた。

 そして、その疑問が解けたのは縁談が決行された日だった。

 二度目の対面の日、彼女は美しい佇まいでその場にいた。と言えば聞こえはいいが、実際はその場で着飾って大人しくすることを強いられている状況だった。
 板についた諦めの表情と、垣間見せたなにかに対する憤り。本心をひた隠すために俯くその仕草に、庇護欲を掻き立てられた。
 自分一人で立とうと懸命にもがくその姿勢が、愚かにも思えた。けれどそれ以上に眩しく思えた。
 折れてしまえば簡単なのに、死ぬわけでもないのに、彼女は周りに頼ることを好まなかった。一人で突っ走って、誰かの分まで背負おうとする。本人にその気は無いのかもしれないが、無意識に自分を疎かに、逆に他人を重んじる部分があった。
 自分ありきの人生だろうに、なんて言葉をかけても彼女に響くことは無いだろう。考え方が根本的に違うのだから。

 違うから、知りたくなるのやもしれない。その表情の裏でなにを考えているのか。まだ心には別の男が居着いているのか。

 想い人のことを考えていたら、もう既に辺りは真っ赤な日に照らされる時刻になっていた。

──今日もこなかったか。

 と立ち上がった時だ。

「ご主人様、こちらにいらしたのですね」

 と少し高い声に呼び止められる。
 ぴたりと動きを止め、声の主を振り返らずに笑みを浮かべる。
「……どうして、あなただけがここに居るのでしょうか」
「火急の用でお暇を頂いたのです。その際言伝も賜っております」
 と軽く跳ねた息を長く吐き出し、女は呼吸を整える。
「若奥様からは、『お元気にしていらっしゃいますでしょうか。私は最近ようやく起きたら屋敷の天井ではないことに驚かなくなりました。それほどまでに、貴方様と一緒にいた時間を恋しく思ってしまうのです。直接は語れないと思いますので、こうして事を伝えて頂きました』……だそうです。若奥様は、とても純真で愛らしい方でいらっしゃいますよね。私、あの方がとても好きですわ」
 ふふっと笑った女──紅子の専任女中であるノアは、その瞳を優しく細めた。
 弥生は緩慢な仕草で振り返り、常時貼り付いている笑顔で言う。
「……では、彼女が悲しむであろう選択をしないで頂けるということなのでしょうか」
「あら、それはどういうことでしょう?」
「あくまでも、知らぬ存ぜぬで通す気ですか。私の前では演技の意味が無いのでは?」
 二人の間につかの間の静寂が落ちたかと思うと、ノアの口から大きなため息が長々と吐き出された。
「……もう、その喋り方やめてくださいませんか?。その喋り方とその貼り付けたような笑顔を見る度、はらわたが煮えて溶けてしまいそうな心地になるの」
 敬語をやめた野杏ノアは、後ろで丸く束ねていた髪を解いた。
 真っ黒な髪が夕暮れの陽を浴びての色になる。かすかに縮れた髪を指先で弄りながら、野杏は表情を歪めた。
「それで?屋敷の人間を全員別の場所へ匿った理由を聞かせてくださるのかしら。こんなにもわざとらしい見え透いた罠に、敵が喜んで飛び込んでくるとでも?」
 馬鹿にしたような物言いにも眉一つ動かさず、彼は相変わらずの呑気な表情で彼女の目を見返す。
「ええ、喜んで飛びついてくると思いましたよ。そしてそれは、どうやら大当たりだったようですね」
 眼鏡の奥の瞳を光らせ、彼は野杏に言い放った。

「そうだろう?秋桐の裏切り者……いや、神話の力を受け継ぎし、ゆえ姫様?」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

処理中です...