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第八章《昭平と母国の画策》
【五】
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──さて、どう動きますかね。
捕らわれた弥生は、独り牢の中で息を吐く。
見張りはご丁寧なことに屈強な男が二人付けられているため、なかなか下手なことはできない。加えて水も食料も生きていくための最低限量──水は一日三杯まで、食事は一回玄米のみ。体に負荷がかかる能力を使う場合、生きるか死ぬかの瀬戸際を勝負することになる。
それでもいい、と思わないわけじゃなかった。
──だが時期じゃない。
今抜け出したところで何も無い。情報もなければ行く宛ても心もとない。それに抜け出したら部下や紅子たちに何があるかわからない。
慎重な選択が求められるこの状況下、弥生は「何もしない」ことを選んだ。
何もせず大人しくしている。それだけでいい。反応は大きく二つに分かれることだろう。安堵して警戒を怠るか、不気味だと警戒を強めるか。後者は紅子たちの警戒のほうが緩くなるだろうから、どちらにせよ好機となる。
「お兄さん、今はお昼時でしょうか」
「……」
話しかけても応答がない。
他愛ない話、突っ込んだ話、悪口、どれも試したが効果はない。
だがおそらく、全て上の者に報告されているのだろう。
「……すみませんが、厠に連れて行ってもらってもいいですかね」
縄に繋がれたまま厠に入る。中に固いものが編み込まれているらしく、容易く切る事はできそうにない。
厠には鉄格子の窓が一つと松明が一つ。しかし鉄格子を外したとして子どもなら通れるだろう大きさだ。脱出は非現実的だろう。
着物の裾を上げたその時──、
「……様、弥生様」
聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。
どれほどこがれてしまっているんだ。思春期の男児か、と己を責める。
「聞こえますか弥生様、紅子です」
そんな馬鹿な。
言い返しかけた弥生は言葉を呑む。
扉を一枚隔てたところには見張りがいる。大声は出せない。小声でずっと話すのも無理がある。
「……ゴホッ ケホッ」
咳払いだけを返す。
すると反応は顕著で、彼女の声色が緊張を帯びた。
「現状だけ、お伝えしたいと思います。もうご存知かもしれませんが、弥生さんが捕まってから宿でお会いした男性──昭平さんが春の宮様に危害を加え、レンとともに私を連れて私の母国へ逃走しました。二人は同盟関係にあると考えられます。そして昭平さんが春の宮様に危害を加えた理由はおそらく戦争を引き起こすためです。黒幕は我が国の領主と考えられます。以上です──……弥生様、お迎えに上がりますか?」
「あ、紙が少ない……ああ、いえいえ大丈夫足りそうです。ありがとうございます……──やっぱり、俺は貴方のそういうところが好きです」
独り言だと言い張るのは多少無理があるような下手な芝居だ。だが鈍いのかそれともわざとなのか、見張りの男は何も突っ込む気配がない。
扉を開けてからようやく気づく。
「なにもそんな気味悪そうにしなくてもいいでしょうに……」
どうやらとんでもない勘違いをされてしまったようだ。
増えた面倒事に、弥生は何度目かのため息を吐いた。
***
「……紅子様、大丈夫です。えっと、愛し合う者同士なら普通のやり取りですよ」
「そうです。夫婦なのですから」
気遣わしげに向けられた四つの目に耐えきれず、紅子は真っ赤になった顔を覆っていた。
「絶ッ対最後の一言は危ない橋でした……っなんでそんなっ……もう!」
案じる気持ちと嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちがごちゃりと混ざり、彼女の表情筋はどっちつかずな動きをする。
「本当に助かりましたが……どうして二人はこちらにいらしたのですか?」
戸惑いを口にした紅子は、屋敷に戻る途中で別れたはずの双子──ユリとユラに視線を向ける。
「話しませんでしたっけ」とユラは小首を傾げ、
「ちょっと先の未来が予知夢となって見えたんです。私たちにも関わってきちゃうことだから、一足先に避難してたんですよ」
そう言ったユラの表情は暗い。
「良くない未来を見たということですよね。……戦争が始まるのですか」
「それは、まだわからない」
とユラは首を振った。
「なら、どうしてそんなに不安そうな顔をしているのですか?」
紅子の問いに、ユリが「それは」と口を開いた。
「主は、独りで神社に残っているから」
ぐっと小さな拳がつくられる。膝の上でそれは小刻みに震えていて、ユリが、双子が今どんな気持ちなのかを具現化していた。
「だけど今は絶対戻れない。国境超えるような動きをしたら、絶対私たちの存在がバレてしまうし、主がかえって危なくなる」
ユリの言葉を継いだユラが、「だから私たちは、大丈夫じゃないけど大丈夫」と眉を下げて微笑した。
「……そうですか。ならなるべく早く、決着をつけなければなりませんね」
紅子は「ユラちゃん、ユリちゃん」と声をかけ、
「どうすればいいのか私にはまだ判断しかねる部分がある。だから、力を貸してほしい」
もし、と彼女は語を繋ぐ。
「もしも戦争にならないのならそれに越したことはない。止めたいの。私だけじゃどうしようもないけど……ううん どうしようもないから、助けてほしい」
紅子の助けを求める声に、二人が頷くまで時間はかからなかった。
捕らわれた弥生は、独り牢の中で息を吐く。
見張りはご丁寧なことに屈強な男が二人付けられているため、なかなか下手なことはできない。加えて水も食料も生きていくための最低限量──水は一日三杯まで、食事は一回玄米のみ。体に負荷がかかる能力を使う場合、生きるか死ぬかの瀬戸際を勝負することになる。
それでもいい、と思わないわけじゃなかった。
──だが時期じゃない。
今抜け出したところで何も無い。情報もなければ行く宛ても心もとない。それに抜け出したら部下や紅子たちに何があるかわからない。
慎重な選択が求められるこの状況下、弥生は「何もしない」ことを選んだ。
何もせず大人しくしている。それだけでいい。反応は大きく二つに分かれることだろう。安堵して警戒を怠るか、不気味だと警戒を強めるか。後者は紅子たちの警戒のほうが緩くなるだろうから、どちらにせよ好機となる。
「お兄さん、今はお昼時でしょうか」
「……」
話しかけても応答がない。
他愛ない話、突っ込んだ話、悪口、どれも試したが効果はない。
だがおそらく、全て上の者に報告されているのだろう。
「……すみませんが、厠に連れて行ってもらってもいいですかね」
縄に繋がれたまま厠に入る。中に固いものが編み込まれているらしく、容易く切る事はできそうにない。
厠には鉄格子の窓が一つと松明が一つ。しかし鉄格子を外したとして子どもなら通れるだろう大きさだ。脱出は非現実的だろう。
着物の裾を上げたその時──、
「……様、弥生様」
聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。
どれほどこがれてしまっているんだ。思春期の男児か、と己を責める。
「聞こえますか弥生様、紅子です」
そんな馬鹿な。
言い返しかけた弥生は言葉を呑む。
扉を一枚隔てたところには見張りがいる。大声は出せない。小声でずっと話すのも無理がある。
「……ゴホッ ケホッ」
咳払いだけを返す。
すると反応は顕著で、彼女の声色が緊張を帯びた。
「現状だけ、お伝えしたいと思います。もうご存知かもしれませんが、弥生さんが捕まってから宿でお会いした男性──昭平さんが春の宮様に危害を加え、レンとともに私を連れて私の母国へ逃走しました。二人は同盟関係にあると考えられます。そして昭平さんが春の宮様に危害を加えた理由はおそらく戦争を引き起こすためです。黒幕は我が国の領主と考えられます。以上です──……弥生様、お迎えに上がりますか?」
「あ、紙が少ない……ああ、いえいえ大丈夫足りそうです。ありがとうございます……──やっぱり、俺は貴方のそういうところが好きです」
独り言だと言い張るのは多少無理があるような下手な芝居だ。だが鈍いのかそれともわざとなのか、見張りの男は何も突っ込む気配がない。
扉を開けてからようやく気づく。
「なにもそんな気味悪そうにしなくてもいいでしょうに……」
どうやらとんでもない勘違いをされてしまったようだ。
増えた面倒事に、弥生は何度目かのため息を吐いた。
***
「……紅子様、大丈夫です。えっと、愛し合う者同士なら普通のやり取りですよ」
「そうです。夫婦なのですから」
気遣わしげに向けられた四つの目に耐えきれず、紅子は真っ赤になった顔を覆っていた。
「絶ッ対最後の一言は危ない橋でした……っなんでそんなっ……もう!」
案じる気持ちと嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちがごちゃりと混ざり、彼女の表情筋はどっちつかずな動きをする。
「本当に助かりましたが……どうして二人はこちらにいらしたのですか?」
戸惑いを口にした紅子は、屋敷に戻る途中で別れたはずの双子──ユリとユラに視線を向ける。
「話しませんでしたっけ」とユラは小首を傾げ、
「ちょっと先の未来が予知夢となって見えたんです。私たちにも関わってきちゃうことだから、一足先に避難してたんですよ」
そう言ったユラの表情は暗い。
「良くない未来を見たということですよね。……戦争が始まるのですか」
「それは、まだわからない」
とユラは首を振った。
「なら、どうしてそんなに不安そうな顔をしているのですか?」
紅子の問いに、ユリが「それは」と口を開いた。
「主は、独りで神社に残っているから」
ぐっと小さな拳がつくられる。膝の上でそれは小刻みに震えていて、ユリが、双子が今どんな気持ちなのかを具現化していた。
「だけど今は絶対戻れない。国境超えるような動きをしたら、絶対私たちの存在がバレてしまうし、主がかえって危なくなる」
ユリの言葉を継いだユラが、「だから私たちは、大丈夫じゃないけど大丈夫」と眉を下げて微笑した。
「……そうですか。ならなるべく早く、決着をつけなければなりませんね」
紅子は「ユラちゃん、ユリちゃん」と声をかけ、
「どうすればいいのか私にはまだ判断しかねる部分がある。だから、力を貸してほしい」
もし、と彼女は語を繋ぐ。
「もしも戦争にならないのならそれに越したことはない。止めたいの。私だけじゃどうしようもないけど……ううん どうしようもないから、助けてほしい」
紅子の助けを求める声に、二人が頷くまで時間はかからなかった。
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