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第八章《昭平と母国の画策》
【六】
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綺麗に仕上げられた自身が目の前に在る。お人形のような顔に、作られた表情。色を宿すことを諦めた目。
──こんな姿のどこが「綺麗」なんだろう。
父親から受け継いだ、金茶色のくねった髪を指でいじる。目元も、顔立ち全てが父親に似ていると言われる。
その言葉を投げられるたび、彼女──明菜は、苦く重たい感情が腹の底から這い上がってくるような気分に襲われる。
彼女の父親は大きな家の長男。一方の母親はというと、父親が旅先で手を出した、しがない踊り子だった。後ろ盾もなにもない母親は、明菜を腹に宿した状態で父親に半ば強引に屋敷へと連れていかれた。
既に正妻がいたものの子はおらず、無事に産まれてしまった明菜に対して複雑な思いを抱かずにはいられない。
女に対して上から目線で、女に対して不誠実。
そんな父親が、明菜は大嫌いだった。しかし血の鎖は決して軽いものなどではなく、父親の言うことに対して反抗したい気持ちはあっても、それが実行に移ることは一度もなかった。
──だって怖いもの。あの低い声が、鈍く光る目が、いつだって逃がしてくれない。
明菜がすくすくと育っていき、正妻が精神的に不安定になってしまったとき。父親は躊躇なく明菜の母を捨てた。
正妻に対する愛の証明だと言わんばかりの行動。それなら明菜の母親に対して愛がなかったのかというとそうでもない。追い出す際、当分の金の工面はしたのだから。
──だけど私は違う。
愛する人との間に生まれてしまった異物。それが明菜だと、彼女は解していた。実際父親が親としてなんらかの行動をしたことなど一度もない。空気としか扱わない父親に、明菜は期待をいつしか捨てていた。
正妻は、愛人さえ遠のけばそれでよかったらしい。明菜は正妻の娘としてそれは大切に育てられた。
ただし、少しでもなにか不具合と見なされると実母のせいにされた。
──そうして大人しく頷いていたら、一回りも上の人と婚約されてしまうなんて。
相手は大御所。家と家とが結びつく、古い形式の結婚だ。
「攫ってくれるような誰かもいないし……」
独り寂しく笑みを落とす。
好いている人は、おそらく居なかった。というより、「好き」がわからなかった。一緒にいて楽しい人なら塾にたくさんいた。けれどそれと恋とは違うというじゃないか。
「──攫って欲しいのですか?」
鈴のように軽やかな声。懐かしい響きを持つその音に引かれて顔を上げる。
「え……紅子ちゃん……?」
どうして、と目が雄弁に語る。
窓の外に、居るはずのない彼女はいた。いくら平屋とはいえ警備がいたはずだというのに。
「隣国へ嫁いで行ったと耳にしました。帰ってこれたのですか?」
口をついて出た言葉に、明菜は慌てて口に手をやる。しかし溢れ出た言葉を仕舞う術などなく、彼女は気まずそうに眉を下げる。
「明菜さんの耳には既に入ってますよね?私の相手のこと」
焦りを滲ませた紅子の言葉に、再び明菜は顔を上げる。
──一緒だと思っていた。
何かを諦めたような顔をしていた当時の彼女に、明菜は親近感を覚えていた。けれどどうだろう。今の彼女の目は色を──熱を、灯している。
「そして戦の支度がなされていることもご存知のはずです」
強い炎を思わせる気迫を前に、いや机を並べた友を前に、誤魔化しはできない。
明菜は紅子の目を見返し、小さく顎を引いた。
「ええ。私の家も大きくそれに関わっていますから……ただ、私にできることなんてありません。私の家は旧い家ですから、女がそういったことに関わることをよく思っていません」
「関われ、とは言いません。明菜さんの結納の式に私を呼んで頂きたいのです」
「え」
目が見開かれる。
「それだけ、ですか?それだけのためにこの屋敷へ?」
「それだけのことが、今の私には重要なのです。お願いできませんか」
「それは勿論……」
「ありがとうございます」
紅子の屈託のない笑みに、明菜は返す言葉を失い、黙って頷いた。
「それでは、また」
向けられた背に、羽が見えた。どこへでも飛び立てるような、美しく純粋な。
「今度は」
明菜の声に、紅い髪の友人は振り返る。
「ゆっくり、お話を聞かせて頂きたいです。美味しいお菓子を用意しますので、ぜひまたお話しましょうね。……約束、ですよ」
向かい合った少女の瞳孔が僅かに揺れた。穏やかで優しい性格を体現した緑の瞳。塾に通っていたときは、彼女の瞳を見るだけで体の力が抜けるような、何かが解れるような気になった。けれど今は──、
「楽しみです」
細められた瞳が、危うい色を灯す。
手を伸ばせば触れられる距離だが、手を伸ばした瞬間に彼女は飛び立つのだろう。
窓の外へと姿を消した、もう居ない友人の背の幻影を浮かべた明菜は、独り畳に尻をついた。
外はいつの間にか、暗雲が青空を呑み込んでいた。じきに雨が降る。
明菜は自分の無力を恨みながら、白くなるほど己の指を組み、額に当てた。
──こんな姿のどこが「綺麗」なんだろう。
父親から受け継いだ、金茶色のくねった髪を指でいじる。目元も、顔立ち全てが父親に似ていると言われる。
その言葉を投げられるたび、彼女──明菜は、苦く重たい感情が腹の底から這い上がってくるような気分に襲われる。
彼女の父親は大きな家の長男。一方の母親はというと、父親が旅先で手を出した、しがない踊り子だった。後ろ盾もなにもない母親は、明菜を腹に宿した状態で父親に半ば強引に屋敷へと連れていかれた。
既に正妻がいたものの子はおらず、無事に産まれてしまった明菜に対して複雑な思いを抱かずにはいられない。
女に対して上から目線で、女に対して不誠実。
そんな父親が、明菜は大嫌いだった。しかし血の鎖は決して軽いものなどではなく、父親の言うことに対して反抗したい気持ちはあっても、それが実行に移ることは一度もなかった。
──だって怖いもの。あの低い声が、鈍く光る目が、いつだって逃がしてくれない。
明菜がすくすくと育っていき、正妻が精神的に不安定になってしまったとき。父親は躊躇なく明菜の母を捨てた。
正妻に対する愛の証明だと言わんばかりの行動。それなら明菜の母親に対して愛がなかったのかというとそうでもない。追い出す際、当分の金の工面はしたのだから。
──だけど私は違う。
愛する人との間に生まれてしまった異物。それが明菜だと、彼女は解していた。実際父親が親としてなんらかの行動をしたことなど一度もない。空気としか扱わない父親に、明菜は期待をいつしか捨てていた。
正妻は、愛人さえ遠のけばそれでよかったらしい。明菜は正妻の娘としてそれは大切に育てられた。
ただし、少しでもなにか不具合と見なされると実母のせいにされた。
──そうして大人しく頷いていたら、一回りも上の人と婚約されてしまうなんて。
相手は大御所。家と家とが結びつく、古い形式の結婚だ。
「攫ってくれるような誰かもいないし……」
独り寂しく笑みを落とす。
好いている人は、おそらく居なかった。というより、「好き」がわからなかった。一緒にいて楽しい人なら塾にたくさんいた。けれどそれと恋とは違うというじゃないか。
「──攫って欲しいのですか?」
鈴のように軽やかな声。懐かしい響きを持つその音に引かれて顔を上げる。
「え……紅子ちゃん……?」
どうして、と目が雄弁に語る。
窓の外に、居るはずのない彼女はいた。いくら平屋とはいえ警備がいたはずだというのに。
「隣国へ嫁いで行ったと耳にしました。帰ってこれたのですか?」
口をついて出た言葉に、明菜は慌てて口に手をやる。しかし溢れ出た言葉を仕舞う術などなく、彼女は気まずそうに眉を下げる。
「明菜さんの耳には既に入ってますよね?私の相手のこと」
焦りを滲ませた紅子の言葉に、再び明菜は顔を上げる。
──一緒だと思っていた。
何かを諦めたような顔をしていた当時の彼女に、明菜は親近感を覚えていた。けれどどうだろう。今の彼女の目は色を──熱を、灯している。
「そして戦の支度がなされていることもご存知のはずです」
強い炎を思わせる気迫を前に、いや机を並べた友を前に、誤魔化しはできない。
明菜は紅子の目を見返し、小さく顎を引いた。
「ええ。私の家も大きくそれに関わっていますから……ただ、私にできることなんてありません。私の家は旧い家ですから、女がそういったことに関わることをよく思っていません」
「関われ、とは言いません。明菜さんの結納の式に私を呼んで頂きたいのです」
「え」
目が見開かれる。
「それだけ、ですか?それだけのためにこの屋敷へ?」
「それだけのことが、今の私には重要なのです。お願いできませんか」
「それは勿論……」
「ありがとうございます」
紅子の屈託のない笑みに、明菜は返す言葉を失い、黙って頷いた。
「それでは、また」
向けられた背に、羽が見えた。どこへでも飛び立てるような、美しく純粋な。
「今度は」
明菜の声に、紅い髪の友人は振り返る。
「ゆっくり、お話を聞かせて頂きたいです。美味しいお菓子を用意しますので、ぜひまたお話しましょうね。……約束、ですよ」
向かい合った少女の瞳孔が僅かに揺れた。穏やかで優しい性格を体現した緑の瞳。塾に通っていたときは、彼女の瞳を見るだけで体の力が抜けるような、何かが解れるような気になった。けれど今は──、
「楽しみです」
細められた瞳が、危うい色を灯す。
手を伸ばせば触れられる距離だが、手を伸ばした瞬間に彼女は飛び立つのだろう。
窓の外へと姿を消した、もう居ない友人の背の幻影を浮かべた明菜は、独り畳に尻をついた。
外はいつの間にか、暗雲が青空を呑み込んでいた。じきに雨が降る。
明菜は自分の無力を恨みながら、白くなるほど己の指を組み、額に当てた。
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