ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

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第九章《赫姫と国光》

【一】

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 滴る血が地面に色をつけた。
 何が起こったのか、瞬時に理解はできなかった。
 苦しげに呻く弥生の腹に刺さった小刀を握りしめる人物──レンの存在を前に、紅子は青い顔で立ち尽くす。
「……なぜ、どうして、弥生様を……?」
「なぜって問いかけて、絶対に相手は答えてくれるのかい?お姫様」
 嫌味たらしく振り返った彼女に、紅子は怯む。
「君は、いいよね。いつだってどこだって、君が愛される。君が選ばれる」
 その声に嫌悪感はなかった。
 妬み、嫉みを口にしてはいるものの、その口調はひどく柔らかい。悟った人間でいるかのような口ぶりだ。
「だけどわかるんだ。君みたいなまっすぐな人、そういない。だから憧れるし、守ってあげたくもなる。わかってる。だけど私はそうなれない。だからずっと、私は振り向いてもらえない」
 わかってるんだ、と彼女は繰り返す。
 切れ長の目が寂しげに細められた。手元と哀愁漂う表情がリンクしない。

──それになんだか、さっきから気がする。

 いま、このときの話ではないような語り方だ。

 すくみそうになる足を無理に一歩前へ踏み出し、
「……どうして、ノアと弥生様を刺したのですか」
「君に絶望してもらいたいって思ったからっていうのもなくはないけど、それだけじゃない。そうだな……理由を教えたら、おとなしくしてくれるのか?」
 決まった答えを促すように、レンは目を細めた。その仕草には覚えがあった。髪は伸びたし、口調も、まとう雰囲気もちがう。

──けれど……。

「桜さん、もうやめてよ」

 気丈に振舞おうとするも、視界が勝手にぼやける。声がかすれてしまう。
 かつての塾生で友人の桜は、見た目こそ冷たく映ることが多かったが、面倒見がよく、他人に思いやりをもてる人間だった。彼女の雰囲気にもその優しさは現れていて、自然と人が集まった。

 レンは、薄く笑いながら言った。

「なんだ。友人だったの」

 吐かれた言葉の意味がわからず、紅子は唇を震わせる。
「変な感じがするなと思った。そういうことだったのか。だから君を心の底から憎むことができなかったんだ。なるほど、にとって君は、心の拠り所の一つだったんだね」
「……この子?」
 嫌な予感に胸が軋む。
 絶望を望むように、レンは晴れやかな顔で、

「君の友人は、もうだいぶ前に死んでるよ」

 弥生に突き立てた小刀を引き抜いた彼女は、瞬きの合間に紅子に寄る。
 すぐそこに、瞳がある。
 仄暗く、惹き込まれるような瞳が。
 その目の奥に、桜ではない、なにかが見えた。

「……ハスの君──?」

 紅子の声だが、紅子の記憶ではなかった。
 もっと以前の、もっと古い記憶。紅子として生まれる前の記憶が目の裏を駆けた。

「やっぱり覚えてるんだ。お久しぶりですね、

 蓮の君──かつて、曾祖父の弟である国光の妻だった女の呼び名だ。

 御簾の先にいる彼女は、俳句をたしなみ、ときに琴を奏でてと、風流で、当時はこれ以上ないとされた貴族の娘。位と美貌、加えて謙虚な性格を併せ持つ彼女は、領主の嫁候補の筆頭だった。
 しかし赫姫というイレギュラーな存在の登場により、彼女は次男の嫁となった。
 そしてその次男もまた、そのぽっと出の女に執着した。
 誰にも肯定されない初めての経験に、蓮の君は耐えきれずに自殺した。それでも長男次男ともに彼女を省みることはなかった。
「私は死んでもずっとずっとこの地に、あの人たちに縛られていた。なにを呪っていたのか、なにを望んでいたのか、全てを忘れていたというのに。だけど私の前に、この子が現れた」
 つと、自分の胸に手を滑らせる。
「この子が初めて私を見つけて、手を握ってくれたんだ。そして、もう戻れない身体を私にくれた。まさか私もだなんて思わなかったからびっくりしたよ。けど……あの子は、なんとなくわかっているような口ぶりだった。なんでかは、知らないけど」
 言葉を切ったレン──否、蓮の君は儚い笑みを浮かべた。
 その表情をしまい、パチリと手を合わせた。
「さて、無駄話はおしまい。君以外にも逝かせなきゃいけない人たちがいるんだ。だからあんまり抵抗しないでほしいな」
 シャン、と風を切る音がした。
 間一髪、右に避ける──も、かわしきれなかった左肩に赤い一線が入った。
 けれど鈍い痛みすら感じない。むしろ高揚感がある。感じたことのある、危険な高揚感。意識がだんだん遠のいて、誰かが代わりに口を開く感覚。

 任せてしまえば、楽になる。

「蓮の君は、……随分、お変わりになったのですね」

 ギリ、と唇を噛む。
 柔いそこが切れて、鉄の味を舌にのせた。

「お淑やかから随分離れてらっしゃるじゃないですか。いったいなにがあったのです?」
「なにもないよ。正体を隠すためってだけだもの。まぁでもこっちの姿の方が気楽ではあるけどね」
「正体を?」紅子の声に疑問が混ざる。
「私の正体をあの人が知ったときの反応が怖くてね。まったく別の人間のふりをしてるってわけだよ」
 恐怖を感じている、というよりは、傷つくのを避けているような──そんな気がした。

「……貴方、国光様を好いてらっしゃるんですね」

 相対する蓮の君の目が見開かれ、やがて眉を下げながら微笑した。
 溢れ出そうになる思いを口にできない、もどかしさと辛さと、どこか嬉しそうな感情とが女の瞳に宿っていた。
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