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第八章《昭平と母国の画策》
【十】
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ずっと会ってなかったわけじゃない。太陽邸に滞在していたときの方がよほど長い期間離れていた。
──それなのに、どうしてこんなにも泣きたくなるのだろう。
熱くなった目頭に力を入れて溢れようとするものを留める。
「……というか、ここへいらしてて平気なのですか?」
「ああ、平気です平気です。正規ルートで牢をぬけたので」
「正規ルート?」
眉をひそめる紅子に、弥生はにこやかに「はい」と応える。
「皇室警備の人らが言ってた人身売買の証拠っていうのが、信ぴょう性に欠けるものと判断されたってだけですよ」
「……え?」
そんなことが有り得るのか。
仮にも皇室付の警備団だ。そうやすやすと動くことは動けるとは思えない。それなりの証拠があったからあんなにも横柄──いや、堂々たる態度だったのではないのか。
「ええ。証拠っていうのが文書のやり取りとのことだったので、我が警備団に調べてもらったのです。そうしたら、祝い金を賄賂だと言い張っていたことが判明しまして」
「お祝い金が賄賂……ええと、なぜそのような解釈に至ったのでしょう」
こめかみに手をやり唸る紅子に、
「祝い金の額がとんでもなかったからですね。おそらく七兵衛殿はそういった意味合いも兼ねてたのでしょうが、祝い金には上限金額が定められてるわけではないですし、あくまで『大事な娘への贈り物として大御所の家が渡す金額の範囲を出ない』という判断になったんですよ。ちなみにその判断を下したのは祭神の君ですよ」
「祭神の──春の宮様……!ご無事でよかったです──けど、春の宮様がそういった判断をして大丈夫なのですか?」
「春の宮様は皇族の一員ですので、太陽妻より権力は劣れど、皇室付き警備団を動かすことはできるらしいですよ──と、その祭神の君から言伝を貰いまして、『約束は守らせて頂きます』と」
──春の宮様、私に守られてくださいませんか。そして……今度は、春の宮様が私のことを助け出してください。
春の宮を太陽邸に置きざりにしたその日、紅子は春の宮に耳打ちした。
春の宮を留まらせるための言葉だったのだが──……。
耳がじわりと熱を持つ。
「良き友人を得られたようですね」
陽だまりのように温かな笑みを向けられ、紅子の胸が甘く疼く。気取られないよう、赤く色付いた目尻を隠すように俯いた。
「そ、それより……っここに居ては、おちおち話もできないのでは?場所を移動しませんか」
紅子の提案に、弥生は目を瞬き──おもむろに手で口を覆い、視線を逸らした。
「まさか君の方から誘ってくれるとは思っていなくて……面食らいました」
意味深な発言に、紅子は「なっ」と否定を口にしようとする。しかしそれが声に出されることはなく、代わりに、
「……そう、ですね。二人きりになりたいと、思ってなくはないです」
と、ややまどろっこしい言葉を返した。
「え」
予想外な反応だったのか、手を口に当てたまま弥生は硬直した。
そんな彼の反応に、脆い乙女心はパキッと音を立てて悲鳴をあげた。
「ちが……か、からかってるって、わかってましたから。ちゃんと。ほんとに、あの、ノリで返しただけですから。……私、熱気に当てられちゃったみたいなので、お水もらってきますっ」
その場から逃げ出すように駆け出した紅子の手は容易く捕らえられる。
「具合が悪くなってしまったなら、介抱しなくてはなりませんね。遠慮せず、もたれかかってください」
肩に手を回され、さりげなく人気の無い方へと誘導される。優しい声音とは裏腹に、支える手は力強い。
もう二度と離さないでほしいと思うほど、その手の温もりに安堵した。
群衆が垣間見える緑陰に設置されていた長椅子に並んで座る。
肩に回された腕はそのままで、離れる気配はない。
──……少しだけ、なら、許されるかな。
息を止め、弥生の肩に小さな頭を寄せた。
濡れた葉のような緑の香りに、紅子は静かに目を閉じる。
「……安心しきってるところ悪いのですが」
さら、と髪を梳いた指が、意地悪く紅子の耳の輪郭を触れるか触れないかの間合いでなぞった。
小さく声を漏らした彼女に、男は色香漂う笑みを向ける。
「そんな可愛らしいことをされたら、触れたくなるでしょう」
潤む瞳を上げた紅子の頬に手を添え、弥生は吐息ごと呑み込むように深く口付けた。
互いの熱が絡まり、溶けていく。
「……っ!?」
離されたはずの唇が細い首筋を伝い、襟元付近まで降りていき──軽く食まれ、柔い皮膚が吸われた。
チクリとした痛みと共に、赤い痕が真っ白な肌にくっきり浮かぶ。
「?あの 弥生様、なにを……?」
体感したことの無い甘い痺れに、紅子は戸惑いを口にする。
「悪い虫が変な気を起こさないよう、呪いをかけただけですよ」
男は掴みどころのない笑顔で言った。
「それより、戦です。レンとかいう女の方はわからないのですが、太陽妻は正式な実権者である『太陽』になるため、また隣国の領主の目的は単純に領地拡大のために戦を起こすって感じですね」
どこからそこ情報を得たのか、とやぶ蛇になりそうな質問を呑み、
「太陽になるため、夫を殺す……って言ってますよね?」
「まぁそうでしょうね。あの人は権力への執着が異常なので。あ、理解しようと思わない方がいいです。あの人は自分が一番じゃないと気が済まないってだけなので」
言うなり、弥生は立ち上がる。
「ってわけなので、血の気の多い輩が多くこの場にいると思います。紅子さんは私の近くに居てください。じゃないと気が気じゃないので」
差し伸べられた手を見つめた彼女は、その手を取らずに立ち上がる。
「守られるだけは性に合いません。私は私のできることをします」
強気に押され、弥生は「やっぱり」と言いたげに黒髪を搔く。
「……貴方が守られるだけの存在であったら、どれだけ気が楽だったか」
「あら、守られるだけの私に、果たしてご興味があったのかしら」
見透かしたような目に、弥生は苦笑を唇に浮かべた。
──刹那、その目が見開かれる。
その眼球の動きが、紅子にはとてもゆっくりと動いて見えた。
視界の端から黒い影が一瞬よぎり、気づけばそれは、弥生のすぐ側に居て──彼の腹部に、鈍く光った獲物を突き立てた。
「……っいやぁぁぁ!!」
藍の着物が紅の色を吸い込み、じわりと染みを広げていた。
──それなのに、どうしてこんなにも泣きたくなるのだろう。
熱くなった目頭に力を入れて溢れようとするものを留める。
「……というか、ここへいらしてて平気なのですか?」
「ああ、平気です平気です。正規ルートで牢をぬけたので」
「正規ルート?」
眉をひそめる紅子に、弥生はにこやかに「はい」と応える。
「皇室警備の人らが言ってた人身売買の証拠っていうのが、信ぴょう性に欠けるものと判断されたってだけですよ」
「……え?」
そんなことが有り得るのか。
仮にも皇室付の警備団だ。そうやすやすと動くことは動けるとは思えない。それなりの証拠があったからあんなにも横柄──いや、堂々たる態度だったのではないのか。
「ええ。証拠っていうのが文書のやり取りとのことだったので、我が警備団に調べてもらったのです。そうしたら、祝い金を賄賂だと言い張っていたことが判明しまして」
「お祝い金が賄賂……ええと、なぜそのような解釈に至ったのでしょう」
こめかみに手をやり唸る紅子に、
「祝い金の額がとんでもなかったからですね。おそらく七兵衛殿はそういった意味合いも兼ねてたのでしょうが、祝い金には上限金額が定められてるわけではないですし、あくまで『大事な娘への贈り物として大御所の家が渡す金額の範囲を出ない』という判断になったんですよ。ちなみにその判断を下したのは祭神の君ですよ」
「祭神の──春の宮様……!ご無事でよかったです──けど、春の宮様がそういった判断をして大丈夫なのですか?」
「春の宮様は皇族の一員ですので、太陽妻より権力は劣れど、皇室付き警備団を動かすことはできるらしいですよ──と、その祭神の君から言伝を貰いまして、『約束は守らせて頂きます』と」
──春の宮様、私に守られてくださいませんか。そして……今度は、春の宮様が私のことを助け出してください。
春の宮を太陽邸に置きざりにしたその日、紅子は春の宮に耳打ちした。
春の宮を留まらせるための言葉だったのだが──……。
耳がじわりと熱を持つ。
「良き友人を得られたようですね」
陽だまりのように温かな笑みを向けられ、紅子の胸が甘く疼く。気取られないよう、赤く色付いた目尻を隠すように俯いた。
「そ、それより……っここに居ては、おちおち話もできないのでは?場所を移動しませんか」
紅子の提案に、弥生は目を瞬き──おもむろに手で口を覆い、視線を逸らした。
「まさか君の方から誘ってくれるとは思っていなくて……面食らいました」
意味深な発言に、紅子は「なっ」と否定を口にしようとする。しかしそれが声に出されることはなく、代わりに、
「……そう、ですね。二人きりになりたいと、思ってなくはないです」
と、ややまどろっこしい言葉を返した。
「え」
予想外な反応だったのか、手を口に当てたまま弥生は硬直した。
そんな彼の反応に、脆い乙女心はパキッと音を立てて悲鳴をあげた。
「ちが……か、からかってるって、わかってましたから。ちゃんと。ほんとに、あの、ノリで返しただけですから。……私、熱気に当てられちゃったみたいなので、お水もらってきますっ」
その場から逃げ出すように駆け出した紅子の手は容易く捕らえられる。
「具合が悪くなってしまったなら、介抱しなくてはなりませんね。遠慮せず、もたれかかってください」
肩に手を回され、さりげなく人気の無い方へと誘導される。優しい声音とは裏腹に、支える手は力強い。
もう二度と離さないでほしいと思うほど、その手の温もりに安堵した。
群衆が垣間見える緑陰に設置されていた長椅子に並んで座る。
肩に回された腕はそのままで、離れる気配はない。
──……少しだけ、なら、許されるかな。
息を止め、弥生の肩に小さな頭を寄せた。
濡れた葉のような緑の香りに、紅子は静かに目を閉じる。
「……安心しきってるところ悪いのですが」
さら、と髪を梳いた指が、意地悪く紅子の耳の輪郭を触れるか触れないかの間合いでなぞった。
小さく声を漏らした彼女に、男は色香漂う笑みを向ける。
「そんな可愛らしいことをされたら、触れたくなるでしょう」
潤む瞳を上げた紅子の頬に手を添え、弥生は吐息ごと呑み込むように深く口付けた。
互いの熱が絡まり、溶けていく。
「……っ!?」
離されたはずの唇が細い首筋を伝い、襟元付近まで降りていき──軽く食まれ、柔い皮膚が吸われた。
チクリとした痛みと共に、赤い痕が真っ白な肌にくっきり浮かぶ。
「?あの 弥生様、なにを……?」
体感したことの無い甘い痺れに、紅子は戸惑いを口にする。
「悪い虫が変な気を起こさないよう、呪いをかけただけですよ」
男は掴みどころのない笑顔で言った。
「それより、戦です。レンとかいう女の方はわからないのですが、太陽妻は正式な実権者である『太陽』になるため、また隣国の領主の目的は単純に領地拡大のために戦を起こすって感じですね」
どこからそこ情報を得たのか、とやぶ蛇になりそうな質問を呑み、
「太陽になるため、夫を殺す……って言ってますよね?」
「まぁそうでしょうね。あの人は権力への執着が異常なので。あ、理解しようと思わない方がいいです。あの人は自分が一番じゃないと気が済まないってだけなので」
言うなり、弥生は立ち上がる。
「ってわけなので、血の気の多い輩が多くこの場にいると思います。紅子さんは私の近くに居てください。じゃないと気が気じゃないので」
差し伸べられた手を見つめた彼女は、その手を取らずに立ち上がる。
「守られるだけは性に合いません。私は私のできることをします」
強気に押され、弥生は「やっぱり」と言いたげに黒髪を搔く。
「……貴方が守られるだけの存在であったら、どれだけ気が楽だったか」
「あら、守られるだけの私に、果たしてご興味があったのかしら」
見透かしたような目に、弥生は苦笑を唇に浮かべた。
──刹那、その目が見開かれる。
その眼球の動きが、紅子にはとてもゆっくりと動いて見えた。
視界の端から黒い影が一瞬よぎり、気づけばそれは、弥生のすぐ側に居て──彼の腹部に、鈍く光った獲物を突き立てた。
「……っいやぁぁぁ!!」
藍の着物が紅の色を吸い込み、じわりと染みを広げていた。
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