ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

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第九章《赫姫と国光》

【八】

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 紅子の瞼がピクリと波打った。
 自身の刺激に意識が浮上する。
「……ここは」
 真っ暗な世界を前に、紅子はひとり呟く。水も草木もなにもない。終わりの見えない、果てのない空間らしい。寒くも暑くも、痛くも苦しくもない。喜怒哀楽の感情が全て失われてしまったかのような、不思議な感覚だけが今の彼女に残っていた。
 どうしてこの空間にいるのか、今まで自分が何をしていたのか、突然ハッと思い出す。
 焦りがじわりと込み上げた。

「あら、もう起きたの?我が子ながらしっかり者ね」

 丸まった背に、懐かしい声がかけられた。
 まさか、と紅子は目を見張る。
「いつの間にかこんなに大きくなって。隣で成長を見届けられなくて本当に残念」
 温かく、あまり高くない音域の声。幼い頃唐突にその存在を失い、絶望を目の当たりにした。どんなに切望しても自分の元に帰ってきてはくれなかった存在の声が、今背中越しに聞こえる。
 嬉しいと同時に、これが夢であることを肌が感じていた。決して戻らない存在なのだと、紅子の脳が警鐘を鳴らす。
 けれど一目見たい。一目でいいから、もう一度顔を見たい。鮮明に思い出したい。脳に刻みたい。
「振り返っては駄目よ」
 考えを見透かしたように、紅子の母は言う。
「振り返らないで。私はもうこの世にいてはいけない存在。まして、生者あなたと関わるなんて許されてないの」
 許されなくたっていい、と叫びたかった。だが声を出すことができなくなっていた。まるで声を吸い取られてしまったかのように、息を吐き出すことしかできない。
 悔しさに目尻が濡れる。
「さて本題よ。貴方が見たのは、異質な力を生み出してしまった少女の記憶。そして、それに深く関わった男の記憶。だいぶ印象が変わっているけど、光臣と呼ばれていた男がいたでしょう?その男が『国光様』なのよ。
 そして私たち一族は、悲劇を生んだ元凶とも言える秋桐松の子孫。髪は焔の能力者だから赤いだけ。松には子どもがいたの。齢十四になる男の子と、齢十二になる女の子が。男の子のほうはそのまま秋桐を継ぎ、女の子のほうは嫁に出された。そして皮肉にも、その二人に能力が宿ったのよ。秋桐家は龍神が、そして嫁に出された女の子のほうは焔の能力が」
 驚くべき発言なのだろうが、紅子は「ああ、そうか」と納得が上回る。だからあの人はあんなにもを殺したがっていたのかと。
 あの人は緋子が死んだことをちゃんとわかっていた。だからこそ、復讐に走ったのだ。
 伝話の中では「領主の弟が赤い髪の女に惚れた」旨の記述があったが、大きな誤解だったのだ。そもそも領主の弟こと国光は、身分を隠して「光臣」と名乗っていたのだ。土地の調査か役人の不正の監視か、とかく国の要人として仕事をしている最中だったのだ。

 その数年後に、松によく似た女が自国を訪ねてきたのだ。

 見たわけではないが、そうなのだと言える確信めいたものがあった。

 母の言葉が途切れる。
 その先を告げることを躊躇うような葛藤を背中越しに感じる。
「……貴方が、能力であの男を焼けば、そこでこの連鎖は断ち切られる。貴方も、貴方の子どもも、殺される脅威にさらされることなく過ごすことができるようになるわ。能力も、きっと……」
 それは、たぶん違う。芝神社の神主も勘違いしていた。過去の中で龍神はたしかに「男と結ばれれば」等言っていた。なれば、殺すのでは駄目なのだ。
 だがもう手遅れか、と紅子は唇を噛む。
 あんな場所で倒れていては、誰かが男を殺してしまっていても不思議はない。
 折角相手がわかったのに。どうするべきかが見えたのに。負の連鎖が断ち切れる寸前まできたというのに。
「……っお母様、私、今すぐに戻らないと」
 振り返りかけた紅子の背に、なにかがピタリと張りつく。重みも温もりもない「それ」が、今の母だと気づいて「お母様」と消え入りそうな声で呟く。
「背負わせて、ごめんなさいね」
 母の声は震えていた。
 紅子は首に回された腕らしきものに触れる。
「任せて。全部終わらせるから。終わらせてみせるから……見守っててね」
 だんたんと温もりに似た感触が遠ざかっていく。惜しいが、それを引き留めてはいけないとわかっていた。
 必死に涙を堪える紅子の背後で微笑む気配があった。

「大好きよ、紅子」

 駄目だ、と紅子は喉を引き攣らせる。
 そんなこと言わないでよ。折角泣くの我慢したのにもう無理だよ。もう二度と会えないなんてつらすぎる。忘れるなんてできない。
 でもどうせ最後なら──、

「私も、大好き」

 薄れゆく意識の中、紅子はぐしゃぐしゃになった顔に笑みを浮かべた。

 パキンと音を立て、真っ暗な世界に白く光るヒビが入る。崩れた暗い世界の先には、色彩豊かに咲く見たことのない花々が上を向いていた。
「……あと、もうひと仕事ありそうね」
 娘に会うことはもうないだろう。生きていたときには見られなかった、ほんのり白く発光する肌をさする。
 まだあの子は、事の大きさがわかっていない。神が人間世界に干渉してしまったら、生半可な代償では終わらない。

──誰もが幸せな結末なんて有り得ない。

 これから娘を襲うであろう悲しみの嵐を予期し、紅子の母は胸の前で指を組んで頭を垂れた。
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