ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

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最終章《秋桐家の花嫁》

【一】

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 何かが離れていく感覚があった。生まれた時からずっと中にあったそれを、忌々しく思ったこともあった。だがよく助けられたのも事実で、言うなれば共に生まれた兄弟のような。

 それが今、消えた。

「──……消えた?」

 何がだろう。失った感覚に覚えはなく、靄がかかったようにではなく、何もなかったかのようにすっぽり記憶が抜けていて思い出せない。
 未だ働かない頭を起こし、辺りを見る。
 真っ白なシワひとつないシーツのかかったふかふかの布団と、外の日差しが心地よく当たる部屋。
 ガランッと金属の落ちる音がした。
 目をやると、そこには驚愕と喜色の混ざった表情をした滋宇がいた。
「お紅ちゃん!」
 床に落下したタライをそのままに、滋宇は紅子に飛びついた。
「目が覚めたんだね……!もう、またしばらく目が覚めなくなって、本当に本当に心配したんだよ!」
 首が締まるほどに強く抱かれ、紅子は「滋宇、苦しい」と回した背を軽く叩く。
「ここは秋桐様の御屋敷。明菜ちゃんの式場で騒動があったの覚えてる?あの後、目が覚める気配が一切ないから、お紅ちゃんとご主人様方は屋敷に帰すことになったの」
「……騒動」
 何を指すのか、すぐには理解が及ばなかった。たしかほんのさっきまで──、と記憶を巡らし、途端に脳が覚醒する。
「や、弥生様は?」
 滋宇の肩を掴み問い詰める紅子を「落ち着いて」と宥め、
「ご主人様はまだ眠ったまま。お医者様の話では、いつ目を覚ますかわからないって。でもお紅ちゃんが目を覚ましたんだから、ご主人様も近々目を覚ましそうね」
 よかった、と零す滋宇の言葉は紅子の耳に届いていなかった。

 部屋を飛び出し、弥生のもとへ駆け出す。滋宇の制止も聞かず、すれ違う使用人の人たちの驚く顔に見向きもせず、一直線に彼の元へ向かった。

──だって、この嫌な予感は一体なに……。

「弥生様!」
 弥生の部屋のベッドに歩み寄る。大きな物音にも眉ひとつ動かさず、まるで永眠してしまったかのように顔色も蒼白だった。
「……お紅ちゃん」
 後を追ってきた滋宇は紅子の肩に手をかけ、「こっちの部屋にきて」と弥生の部屋から連れ出した。
 滋宇は客間の前で足を止め、一呼吸おいてから扉を開けた。
「あの騒動の後、春の宮様と双子ちゃんも眠りについてしまったの」
 客間には布団が三組敷かれ、春の宮とかんなぎの双子が、弥生同様に眠っていた。
 そうだ、と紅子は手を伸ばす。
 そうだいつもみたく能力チカラを使えば。
「……?お紅ちゃん」
 手を掲げてから微動だにしない紅子を、滋宇は心配そうに覗き込む。
「使えない。使っちゃ駄目なのよ。使ったらきっと、またもの」
 まだ気配の片鱗はあった。だから使おうと思えばきっと開花するのだろう。しかしそれでは駄目なのだと「だれか」が言う。紅子の中にはもう居ないはずだが、それでも声が聞こえてくる。
「それは人間には余る力です。例えあなたが悪用しなくとも、その子孫はわからない。その周囲はわからない。だからもう、欲してはならないのです」
 でも、と紅子は言いたくなる。
 でもあれは私の能力だったのだと。あれがあればこの三人を救うことができるのだと。それをみすみす逃すなんて。
「後のことなんて知らない。他の人なんて知らない。だって私が助かって欲しいって思うのは、この三人なんだもの」
 紅子は目に涙を溜め、眉根をきつく寄せた。食いしばった歯から、「でも」と呻くような声が漏れる。
「わかってる。そんなことをしたらきっと、きっと三人は浮かばれない。皆優しい人だから、罪悪感はずっとついて回る。それを抱えて生きていかなきゃいけなくなる。私がせっかく結んだ契約を破ってしまったら、何もかもが台無しになってしまう」
 わかってるけど、とうずくまる。

「本当に?」

 滋宇の声に顔を上げる。
 なにかを試すように、滋宇はじっと紅子を見つめていた。
「以前のお紅ちゃんなら、本当に三人とも目を覚ますの?その保証は?」
「か、感覚で……たぶん目を覚ますって、なんとなくわかるの」
「それは保証じゃない。勘っていうの」
 厳しい言葉で紅子の言葉を塞ぎ、腕を組んで堂々たる態度で言い放つ。
「そんな頼りないことに縋るより、懸命に看病続けた方がよっぽど治る見込みあるわよ。私がいったいどれだけの時間をお紅ちゃんに費やしたと思ってんの?一月ひとつきよ、一月!それだけの時間を費やしてから治る治らないを論議してもらおうかしら!」
「……弥生様方も同じ時間眠っているのでしょう?なら……」
「お紅ちゃんは起きたじゃない!」
 それを言われてしまうと返す言葉がなくなる。黙る紅子に、
「きっと他の人たちも順に目を覚ます。絶対目を覚ますって信じてる。──だって、お紅ちゃんがその希望を、奇跡を私に見せてくれたから。だから信じられるの」
 滋宇の目には自信が点っていた。確証のない、根拠の薄い自信だ。けれど、──……。
 紅子は眉間にこもった力を緩め、「うん」と小さく首肯する。
「そうだね、信じないと」
 その期待が裏切られたら、きっと紅子は抜け殻の人形のようになってしまうのだろう。滋宇は微かにそう予感していた。
 だが、今から憔悴していては本当に参ってしまう。希望を持ち続けている限りは、おそらくまだつはずだ。しかしそう長くは続くまい。

──近いうち、なんとか回復の兆しが見えてくれないと。

 滋宇は笑顔を浮かべ、左手に隠した右の手でひっそり拳を握った。
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