ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

文字の大きさ
98 / 102
最終章《秋桐家の花嫁》

【七】

しおりを挟む
 おかしい、と紅子は窓の外を眺める。
 いくらなんでも誰も寄らなさすぎる。今はもう昼だ。ワゴンが置かれているだけで使用人が一人もいないこともそうだが、なにより人の気配が感じられない。
「どうかしました?」
 紅子の髪を結いながら、男は常と変わらない飄々とした笑顔で問う。それが、妙に引っかかった。
「屋敷の人たちの気配がないな、と」
 率直に懸念を話す紅子に、男は「ああ」と笑みを深める。
「近寄らないよう言いつけたんです。二人の時間を邪魔しないでほしかったので」
「なるほど」と紅子は振り返る。
 その目は疑念を露にしていた。男は予想外の反応だったのか笑みを引き攣らせた。
「では私が部屋を出てもなにも問題はありませんね」
 にこり、と微笑み返した紅子は立ち上がる。
 男が制止をかける前に扉がノックされた。
 二人はピタリと同時に動きを止め、互いに顔を見合わせた。一向になにも言ってこない相手に、男は紅子を背にかばいながら「はい」と応じる。
「……開けても、平気かしら」
 紅子は聞いたことのない声だった。しかし男の方は瞬時に顔色を変え、
「紅子さん、続き扉から隣の部屋に行っていてください」と早口で言った。
 ただならぬ様子の正体がうっすらわかったものの、本当にこの場を離れて良いものかわからない。
「お願いします」
 焦りの滲む声に戸惑う。感情をあまり表に出さない彼がそこまで取り乱す相手なのかと思うと肩が強ばる。
「……席を外せというのは、私が秋桐家に関係のない人間だからですか」
「紅子さん」
「私は貴方の味方でありたい。後ろで守られる存在ではなく、横に並んで共に生きていきたい。ずっとそう言ってるのに、貴方はわかったふりばかり。本当に私を尊重しているのなら、私のことを信じてくださるのなら、……お願いします」
 涙腺が緩んでいるのを紅子自身自覚していた。けれど引けなかった。いくら言葉にして共に在りたいと伝え続けても、きっとこの先もこの人は無意識に紅子を後ろに庇うのだろう。
 嬉しい気持ちがまったくないと言えば嘘になる。紅子の望む行動ではないと言った方が正しいだろう。
 男は言葉を喉の奥につかえさせたように口を半開きのまま固まる。しかし「紅子さん」と慎重に声を発した。
「私は貴方が傷つくのを見たくない。できたら後ろで囲われていてほしい。それはたぶん、変えることができないかと……だから、その都度言ってほしい。貴方の想いをぶつけてほしい。僕も、そうするから」
 その目はまだ不安を孕んでいる。だが焦燥はなくなり、覚悟を決めたように真っ直ぐ紅子を見つめていた。
「入りますよ?」
 扉の前に待たせた人物は随分せっかちらしい。許可が出る前に扉が開かれる。こんなときクロがいればもう少し留められたのかもしれない、と居ない人間の喪失を嘆く。
 ガチャ、とノブの捻る音と共に姿を表したのは女だった。水浅葱の瞳だけが唯一男との血縁を感じさせる。雪のように真っ白な髪が肩の高さに切り揃えられたその人は美しさと儚さを纏っており、童話に出てくる雪女を連想させる。
「あら、知らない顔……」
 目を丸くした女は細い指で口を隠す。
「お初にお目にかかります、元婚約者の紅子と申します」
 頭を垂れる紅子に、女は「これはご丁寧に」と微笑む。
「楼主の秋桐すみれよ。それで──」
「お帰りください」
 剣呑な表情で割って入った男に、楼主は小さく息をつく。
「貴方が私を嫌っているのは構いませんが、いま私を帰してしまって良いのですか?」
 懐から取りだしたのは一枚の紙切れだ。うっすら黄色味を帯びて、なにやら重要そうな書類に見える。
「これは貴方の戸籍を戻すための書類です。持っているのは私ですよ?それでも帰れというのなら従いますが」
 あってないような選択肢に、男はぐしゃりと髪を搔いた。


「──お茶です」
 楼主の前に置かれた茶器には緑が鮮やかな煎茶が淹れられていた。
「ありがとう。貴方の話は絹峰から伝え聞いているのよ。会えて嬉しいわ」
「私も楼主様にお会いできて光栄です」
 と微笑む紅子に、楼主は「まあ」と目を開く。
「もっと早く会いに来たかったのだけど、なかなか外出の許可が出なくて」
「お体がつらいのですか?」
「そうね、そんな感じ」
 はぐらかされたような気がするものの、これ以上は野暮だろうし誰も得をしない結果となるだろう。大人しく矛を収めた紅子は、
「実は身内からお饅頭が届いていて、よろしければぜひ」と饅頭が詰められた箱を開ける。
 しっとりした皮と甘すぎない餡が売りの、宿屋自慢の商品だ。
「頂こうかしら」
 一つを手に取り、ぱくりと食む。
「美味しいわ。甘いけど、くどくなくて」
 ぺろりと食べきった楼主は「もうなくなってしまったわ」と少し残念そうに茶を啜る。眉が下がったその表情が、どことなく男と似ていた。
「あの、よろしければもう一つどうぞ」
「あら嬉しい。でも後にしておくわ。どこかの誰かさんが、早くしろって睨んでくるんだもの」
 呆れたようにため息を一つ吐き出し、書類を紅子と男に向けて広げた。ほわっとしていた雰囲気はいつの間にか消え去り、冷気を感じさせる瞳で二人を見る。
「ここに貴方の名前を書けば、戸籍は元に戻せます。証人欄は私の印を押してあります。もう一つの欄は紅子さんの印を押してください」
 と万年筆を男に渡す。

『秋桐 美月』

 書かれた名をまじまじ見つめる。ミツキと発音はわかっていたものの、いざ字面を前にすると、なぜだか尊いものに思えてならない。この世でこれ以上ない美しいものであるかのような錯覚に陥るのだ。

──けど、『弥生』とは名付けの傾向がだいぶ違うような。

 紅子の戸惑いが伝わったのか、楼主が口を開いた。
「その名前は私が付けたものです。弥生のほうはもう先代の領主様がお決めになっていたので、私が名を付けることはできませんでした」
 話すことを止めた楼主の頬はほんのり赤く染まり、汗が首筋を伝っていた。
 暑いのか、と問おうとした紅子の目の前で、カシャンとカップが床に落ちて破片を散りばめた。その破片めがけて、楼主の体がぐらりと傾ぐ。
「──ッ!」
 手を伸ばしたが届かない、間に合わないことは明白だった。
 しかし。
 一人、並ならぬ速度で反応した者がいた。椅子から落ちたかに思えた楼主を支えた男──美月は、ほっと息を零した。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

処理中です...