一葉のコンチェルト

碧いろは

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一葉編

1:xx13年3月27日

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都内某所。
コンビニ敷地内にあるシェアカーの駐車場に止まる一台の車があった。
黒いシェアカーの運転席には20代前半ほどの外見の青年が、後部座席に乗る少女に声をかけている。

二人の容姿はどこか似ていた。
似たような薄灰、銀に近いような髪の色。同じような青緑の瞳。
年齢や性別こそちがうが、その容姿の類似点から、二人が明確な血縁関係にあることは明白である。

運転席、そして後部座席のドアがそれぞれ開く。
滑るように降りた少女は初めて訪れる場所に、軽く周囲を見渡した。

 「俺の、いや、今日から俺たちのか。マンションはすぐそこだ」
 「コンビニが近いと、便利そうですね」
 「そうだな。お前もこれから世話になると思うぞ」

ドアを閉めてシェアカーの返却手続きを済ませながら言う青年の言葉に、
少女はコンビニにもちらと視線だけ向ける。
車の行きかう大通り沿いに面した場所、絶えず車が行き交っているが、
コンビニがある方角を見れば閑静な住宅街といった様相だ。

少女が先日までいた場所から車で約40分ほどかかったこの場所で
今日から二人は共に暮らしていく。

安らかだったあの場所を離れることに不安がないわけではない。
けれどそれでも、一歩前に歩いていくことにしたのは。

 「乃亜、どうした?」
 「いえ、なんでもないです、兄さん」

一歩前に歩いていくことを決断できたのは、ひとえに、
兄である、静という大きな存在に導かれたからだ。

静は少し心配そうに乃亜に目を向けている。

 「車に酔ったか?」
 「いいえ、大丈夫です。今日からここで暮らしていくんだと、
  改めて感じていただけですよ」
 「ならいいが、気分が悪かったら言うんだぞ」
 「はい」

静はひとまず納得したようで、家への道を案内し始めた。
コンビニのある大通りに背を向け、民家やアパートが並ぶ路地の方へ。
少し中へと進めば次第に辺りは静かになっていく。
まっすぐに伸びた道、いくつかの路地を通り過ぎて、
比較的幅の広い道に出たところで右へ。

 「あそこの角のマンションだ」

静が指し示したのはレンガ色のマンションだった。
マンションの周りには何本かの桜の木が植わっている。
今はちょうど桜の時期。
先日の雨で少し散ってしまったようだが、
それでもまだ薄紅の花はいくらも存在を主張していた。
エントランスに入り、郵便受けの場所を示す。
「斉王」と、二人の名字が書かれていた。
中には不要らしいチラシが入るばかりだったようで、
ひとまず引き取って足先をエレベータホールに向ける。

 「暗証番号はあとで教える」

オートロックらしい入口のキーを手早く押すと自動ドアが開いた。
エレベータで5階へ。
全6階建てのマンションはそこそこ築年数を感じさせるものの、
エレベータホールを含めて綺麗に掃除が行き届いているらしく
ゴミや汚れなどは見受けられなかった。

やがてエレベータが到着し、静に従いその後ろを乃亜が付いていく。
角部屋のドアに鍵を差し込んで開錠。乃亜は少し緊張を覚えた。

 「さ、入ってくれ」
 「はい。……お邪魔します」
 「今日からお前の家でもあるんだぞ」
 「そうでした……」

少しの気恥ずかしさを覚えつつ、乃亜はついに自宅となる一室へと入った。
玄関はオフホワイトの壁に明るいホワイト系のフローリングで続く廊下。
右手にあるシューズボックスには観葉植物が飾られていて
電気がつくと途端に室内に明るさを感じられる。

 「このドアの向こうが洗濯機や洗面台、風呂場だ。
  あとで自分のをしまっていいからな」
 「あ、はい」

入ってすぐ左手の扉のを見て頷く。
乃亜が靴を脱いで上がるのを待ち、廊下を進むと左右に扉がそれぞれあった。

 「左はトイレ、右のここは俺の部屋だ。
  お前の部屋はリビング側だぞ」
 「え、私の部屋、ですか?」
 「なにを驚くんだ?当たり前だろう」
 「そ、れはそうかもですが……」

考えてみれば当然ではある。
しかしそこまでのことをしてくれているということにどこか感激した。
首をかしげる兄にどこか居心地が悪くなり肩を揺らす。
静はふっと静かに笑った。

 「妹とはいえ、年頃の女の子相手に、同じ部屋をあてがうことはしない。
  まぁ、もしなにか心細いことがあれば、いつでも声をかけていいからな」
 「……はい、ありがとうございます」

静は微笑み、乃亜をさらに奥へと促す。
突き当りの扉を開けると、一気に明るい光が差し込んだ。

静に促され中に入った先はリビングダイニング。
廊下と同じくホワイト系のフローリングとオフホワイトの壁だが、
奥の窓からの光で一層室内は明るく見えた。
左手側にあるキッチンからはリビングダイニングが良く見渡せ、
4人掛けのチャコールカラーのダイニングテーブルがカウンターに密着している。
テーブルの上には玄関と同じく小さい観葉翼物が飾られて、
向かい合わせに、ネイビーとホワイトの幾何学模様のランチョンマットが並ぶ。
その奥のリビングの壁側にはテレビが壁に据え付けられており、
正面にはダークウッドの丸いローテーブルと、
2,3人ほどが座れそうなソファが鎮座していた。
それらの下には、落ち着きのある深緑のラグが広がっていた。
窓際には大きめの観葉植物、空いた壁には、
モノトーンのアートポスターが額に飾られていた。

白と緑、モノトーンが調和する室内はとても落ち着く雰囲気が漂う。
なにより、静の雰囲気がそのまま反映されたような部屋だった。

 「乃亜、こっちがお前の部屋だ」

思わず室内を見渡して立ちすくんでいた自分に声がかかった。
兄が示したのは、リビングの横の、スライド式のドアだった。
その壁が今までのような壁紙が張ったようなものではないことに気付いた。

 「兄さん、これ、もともとリビングと繋がっていたんじゃ……」
 「ああ、繋げることもできるらしいな。
  別にお前が来るから、急遽そうしたわけじゃないぞ?
  そういう形の部屋だというだけだ」

それを聞いて少しほっとする。
自分のためにもともと広く使っていた部屋を分けたのだとすれば申し訳ない。
静はそんな乃亜の心境をすぐに察したのか、ぽんと頭を軽く撫でた。
そして引き戸を開ける。
中に促され入ると、そこにはベッドと、簡易的なスチールパイプの机と椅子、
3段のカラーボックスが置かれていた。
薄いレースのカーテンがかけられ、遮光カーテンは若草色。
ベッドにはおろしたてらしいシーツに包まれた布団がすでに引かれている。
シーツの色は、以前自分が好きだと言ったラベンダーの優しい色だった。

 「ベッドは用意しておいた。
  机に関しては取り急ぎ、俺が以前使ってたモノを置いてるが、
  これから勉強する時間も増えるだろうし、今度一緒に見に行こう。
  シーツや、棚や、服、色々な」
 「いえ、これで十分です」

本当に心からそう思って口にする。
確かにモノはほとんどないが、それでも困るようなことはない。
服に関しては持ってきたものがあるし、なにより中学にはいれば制服だ。
さほど私服が急ぎ必要ということはないと考えている。
また、机に関してもひどく小さいというわけではない。

なにより、自分のために準備してくれているというのが嬉しかった。

 「十分、ということはないだろう。
  男の俺でも足りないことは分かる」
 「いえ、そんなことないですよ。
  もちろん、どうしても必要なものは出てくると思いますが、
  普通に生活するだけなら、本当に十分です」
 「お前なぁ……。……まぁ、いい。ひとまず、この場ではな。
  いいか、足りないことがあれば必ず言うんだぞ」
 「はい」

静は思い切り苦く笑い、頭を掻いていたが
乃亜としては首をかしげるほかにない。
ひとまず、という言葉でとりあえずこの場での問答は打ち切りとなり、
荷物の片づけを言われ、乃亜は新しくあてがわれた自室へと一人残った。
持ってきたショルダーバックの中に入っているのは
いくつかの私服と肌着などの衣類、文具や日用品などだ。
それに、年齢様々な友人たちが贈ってくれた折り鶴の飾り。
乃亜はそれにふっと笑い、折り鶴を大切にテーブルの上に置く。

今日からここで暮らしていく。
窓の向こうには、桜が風に揺れていた。



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