うら寂しい人々の日々

藤田はじめ

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Drift

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 一通の電話が予期せぬ訃報を私に伝えた。彼氏が死んだらしい。つい昨日のことだったようだ。
 首を吊って、自分の部屋で。遺書らしきものも何一つとして残していない。あっさりとした自殺だった。
 彼の母親からの電話で、それを聞いたときに、驚くよりも先に「ああ」という声が自然と出ていた。嘆くようでいてどこか無理矢理自分を納得させようとするような声だった。まるっきり嘆いてもいなければ納得なんてしていない。感情の整理すらできないうちに出た声だった。
 しばらくの間、黙って彼の母親が何かを喋っているのを聞いていた。何を言っているのかはまるっきり頭に入ってこない。そういえば一昨日に彼と遊びに行ったっけ、なんてとりとめのないことを考えてただ相槌を打っている。
 彼の母親はひとしきり喋り終わって、告別式の日を告げて「また」と言って電話を切った。
 ぷつりと糸が切れたように私はその場にへたり込んだ。
 なんで死んだのかわからない。そんなことを彼の母親は言っていた。私だってそうだ。何もわかるわけがない。一昨日、私は彼と出かけたばかりだ。
 終電間近の駅のホームで、暗がりに二人並んで、私の乗る電車を待っていた。吐く息が白く曇るような日で、何も言わないで手を繋いでぼおっと待っていると彼は「また今度、旅行にでも行きたいな」なんてことを言い出したのだった。いつも旅行に行こうと言うのは私からで彼から言い出すようなことはめったになかった。
 それを気にするでもなく、何の気なしに「温泉行きたい」と子供じみた返事をした。ただ旅行に行くなら温泉ぐらいの安直な考えでの返事だった。
「いいね、温泉っていうと……箱根とかかな?」
 楽しげに笑う彼の横顔を見ているだけで旅行になんか行かずとも、なんとなく幸せだったようにすら思えてくる。
 電車が来て「じゃあね」と別れを告げると、珍しく私の手首をつかんで引き留めて、そっと優しくキスをしてふにゃりと笑って「じゃあね」と言った。そんなことを一度たりともしたことがない。人に甘えた風に喋ることはあっても甘えるようなことはめったにない人だったから、私は目を丸くして彼の顔を見た。
 彼はどんな顔をしていたのか、まだ二日しか経っていないのにおぼろげだ。なんとなく寂しくなって「またね」と笑って私は電車に乗った。
 これっきり、私と彼は会うことは無くなってしまった。私は一人でほとほとと泣いていた。そのまま疲れて地べたで寝てしまうぐらいに茫然自失。
 寝ていても夢の中で彼のことを思い出さされる。普通のなんてことない夢でも悪夢になって私に襲い掛かってくる。
 私は彼の悲しげな顔を見た記憶がなかった。彼が吐いた弱音を聞いたことがなかった。私には彼が何を考えていたのかが、まるっきりわからないままだ。長い間、隣に居たはずなのにわからないようじゃ他人と何も変わらない。
 私は彼に、何もできないままでいたのではないだろうか。
 目が覚めて暫くの間、何をするでもなくぼんやりと彼のことを考えていた。
 死んでしまった。もう会えない。そんな当たり前のことを一緒に、彼の思い出を確かめるように思い出している。
 色々なことを思い出すと、不思議と悪いことを思い出せない。彼のことを面倒だとか思うことがあったはずなのに、それが思い出せない。頭の中で勝手に美化されてしまって、彼の良いところしか思い出せないようになっていく。
 こうやって、私は彼のことを忘れていくのではないだろうか。
 それを避けたいと思う一方で、避けられないとも思う自分が居る。
 頭の中であれやこれやと思い出をかき集めていくと、一つだけ明確に、今だからこそ思い出せるような話をしたことを思い出した。なんでそんな話をしたのか、経緯は覚えていないが確かにそんな話をした。
 私が呑気に「骨を宝石にすることができるんだって」と言った記憶が確かに残っている。ケータイでそんなものを見て、言ったことだ。ぽかんとする彼にケータイの画面を見せながら「もしも私が死んだら、これで私の骨を指輪にして持っててよ」なんて馬鹿げた話をしていた。その時は、まさかこうも早く死んでしまうとは考えていなかった。
 彼は拗ねた子供のような顔をしていて、しまったという気持ちになった。私は慌てて「冗談だよ」と言うと、彼は今思い出すとぞっとするような一言を言ったのだ。
「もしお前が死んだら、俺も死ぬよ」
 思い出した途端に鳥肌が立つ。彼は確かに、はっきりと、そういうことを言っていたのだ。
 それならば、と私は確かな意志を持って立ち上がった。地べたで寝ていたせいで身体の節々が痛むが、それさえも意に介さずに財布、ケータイ、部屋の鍵だけを持って化粧一つしないで外に出た。
 ごちゃごちゃとしたチラシの入ったポストを一瞥し、つかつかと駅に向かって歩いていく。道行く人の顔も何もかもが意識に入ってこない。雑音一つ耳に入らないで、本当に世界に一人っきりになってしまったような気さえした。彼が死んでも私という人間は平然とのうのうと生きていけてしまう。自分がひどく薄情に思えてくる。それでも彼が居ないという事実は私の胸にぽっかりと穴があいたような気持ちにさせられる。
 電車に乗って、椅子に座って、ようやく疲労感がこみあげてくる。その割には頭はくっきりとしていて身体を無理に操縦しているような気分にすらなってくる。
 電車に揺られながら何もしないでいると、またふつふつと彼のことを思い出してしまって人目もはばからずに泣いてしまいそうになって、慌ててケータイを取り出した。かといって何かすることがあるわけでもなくて、彼とのやり取りを見直していた。他愛のないやり取りばかりだ。この二人は結局、客観的に見れば一緒に居ただけで他人同士のようにすら思えてくる。それがただただ寂しくて具合が悪い時のように前のめりになってうつむいてケータイを触る。
 どうしようもなくて『温泉どこ行く?』と指先で送ってみるが、既読が付くわけでもなければ返事も来ない。当然だ。死んでしまって、もうこの世にはいない人と連絡なんてとれっこない。
 隣駅について、ふらふらとした足取りでホームセンターに向かった。買うものは決まっている。
 登山用品のコーナーに行って、ロープを買う。ロープ自体は店頭に並んでいても、ぐるぐるに巻かれているだけで持って行きようがない。どう買っていいものかわからない。
 店員さんに「すいません」と声をかける。がらついたみっともない声にぎょっとして店員さんはこちらを向いた。そのまま「あの、ロープを買いたいんですけど」と言うと訝しげに「どのぐらいの長さが必要ですか?」と尋ねてくる。
 わからない。変に短いと疑われるだろうか。かといってどのぐらいの長さが適切なのかもわからない。適当に「五メートルぐらいください」と言った。
 それっきり何かを気にする様子もなく店員さんは慣れない手つきでロープを切って、レジに持って行った。支払いを済ませて、袋に入ったずっしりと重いロープをぶら下げてそそくさとホームセンターを出た。
 帰りの電車に乗っている最中、自分が何を考えているのかがわからなくなってきていた。それでも家路につく足取りがしっかりとしている。何ならどこか軽くさえ感じる。昔見た映画みたいに軽やかなステップさえ踏めそうだ。それが良いことにはまるで思えないけど。
 家に帰って、ロープの入った袋を椅子に置いて、それからいつ死のうということを考えていた。
 夜だ。死ぬなら夜というのはなんとなく前々からあった。今夜にでも死のうと一度決めてしまえば、それであとは夜を待つだけになる。
 そこまで決めると不思議と食欲がわいてきて、電気ポットのスイッチを入れる。インスタントでいいからと買いだめしてあったラーメンを取って、蓋を半分だけ開けてお湯が沸くのを待つ。沸いたら沸いたで、それを跳ねないようにゆっくりと注いで、机に突っ伏す。
 三分というのはやけに長い。ぼんやりとした頭で何かを考えていると、思い出すのはやはり彼のことだった。思い出せば思い出すほど、彼が生きていた時と違って良いことばかり思い出してしまう。
 自分に嫌気がさす。
 もっと何か言えなかったのだろうかと思いながら冷蔵庫から缶チューハイを出して、のみ始めた。
「あーあ、なんで死んじゃうかな」
 なんて言っても誰も答えてくれない。もっと何か言ってほしかったという気持ちが部屋を満たしている。無音に耐えかねて、ケータイで音楽をかけて、それを聞きながら、聞いてる風を装っては彼のことばかり考えている。
 三分なんて遠の昔にすぎていて、私は伸びたラーメンを貪るように食べた。
 これが最後の晩餐になるのだろうかと食べ終えて、お腹がむかむかしてきて、すぐに食べるのをやめて再び机に突っ伏す。木目をぼんやりと眺めながら、少しだけ涙が出てきた。
 それからチューハイもすっかり飲み切って酔いが回ったのか、いよいよ泣くぐらいしかできなくなって私は、ケータイのアラームをセットして、そのままゆっくりと眠りについた。
 
 
 気が付くと、寝ている私は夢を見ている。
 彼と二人で温泉街に居る。硫黄の匂いがする街を二人並んで歩いている。どこにいくのなんて言わずに和やかな風景を、周りなんて気にしないで腕を組んで歩いて、少し照れ臭そうに笑う彼が私を見ている。
「これからもずっと、こうしてたいね」
 そんな一言を聞いても彼はいつものようにふにゃりと笑って、照れ臭そうに私を見ているだけだった。
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