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一人と一人
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いつもふらりと流されているような気がする。
あっさりと「君のことが嫌い」と言ったわりに、翌日にはあっさりと「好きだよ」とも言ってくれる。何が本当なのか、そもそもあの人が何を考えているのかがさっぱりわからないでいる。
それでも、そうだからこそなのか。
いつも呼ばれるがままに来てしまう。陽のあたらないマンションの一室、あの人が住んでいる家の前に来てインターホンを押せずに立ち止まってしまう。
本当に入っていいのだろうか、またいつものように「嫌い」と言われてしまうのではないかなどと思って、いつもインターホンが押せないでいる。
それを知っているのか、いつもと同じようにガチャリと鍵を開ける音がしてドアが開く。
「よっ」と弾むような声。「よく来たね」
何も言わずに彼女の顔を見ていると「まあ入った入った」とやけに明るいトーンだった。こういう時は、どういう時なのかよくわかっている。言われるがままに部屋に入ってしまう。
キッチンを過ぎてドアを開けた先の1Kの彼女の部屋は空気が籠っていて、いつも少し暖かい。春夏秋冬、いつも同じぐらいの温度だ。脱ぎ捨てた衣類やら家計簿も付けないのに貰っているレシートやら破り捨てられた何かの描かれた紙がとっ散らかっていて部屋は足の中には踏み場がない。
それを全部踏んで、部屋の片隅にある小さな丸椅子に座っていると、彼女も後から部屋に入ってきてベッドの方を指差す。
いつも通り、僕は流される。
ベッドに寝そべり、彼女が入れるように布団を捲る。
彼女はふわりと儚く微笑みを浮かべて「いつもありがと」と思ってもいないだろう一言を口にする。布団に入ってきた彼女の体はこの暖かい部屋とは違ってひんやりとしていた。甘い匂いに混じって、コーヒーの匂いがした。
顔をよく見ると目の下にうっすらと化粧でも隠しきれていない隈がある。
そっと彼女を抱きしめる。この瞬間にはいつもああ、と思ってしまう。こんなままでは居られないと知っていても、どうしようもない。少しだけ早まった心臓を余所に彼女はほとほとと泣き始めた。
「うまく描けないの」
彼女は僕に強く抱きついてそう言った。いつものことだった。破り捨てられたあの紙がその証拠だ。上手くいかないといつも彼女はこうやって涙を流す。
知ってるよ、とは言わなかった。言えなかった。
ただただ何も言わずに、割れ物でも扱うようにそっと抱きしめて頭を撫でる。
「いつも上手く描けない。私が思ってるように描けない、なんでなんだろう。みんなはいい絵を描くのに、私は描けないの。なんでなんだろう? やっぱり私には才能がないのかな……」
泣きじゃくる彼女の頭を撫でる。
絵が上手く描けないと、彼女はいつもこうだった。それでも僕は彼女の描く絵を知っている。
始めて見た時、それをすごい絵だと思った。絵をよく知らない僕のような人であっても一目見て、そう思わせられるような、そんな絵だった。それから絵を知らないなりに色々なものを見て、それでもやはりというか彼女の絵は一目でわかるような印象強くて、すごい絵だった。
それだけに彼女に絵の才能がないとはとても思えない。
「才能があるのか無いのかは知らないけど、僕は君の描く絵が好きだよ」
いつもとは違って、なんとなくでそんな声が出た。彼女はいっそう強く泣いていた。
「君が好きでも、それだけじゃダメなの」
涙で震える声で彼女は確かに、しっかりとそう言った。血の気が引いて行くような気分だった。今ならば僕も泣いてしまうのではないかとすら思ったが、それでもぐっと堪えていた。
それからも彼女は延々と何かを嘆いていた。それすらも耳に入らない。機械仕掛けになったかのように僕の腕は彼女を抱きしめて、頭を撫でて、それだけだった。
いつも通り、何も変わらない。
暫くすると彼女は泣きつかれたのか、微かな寝息を立てて眠っていた。
それを見て、少しの安心があった。きっと彼女は明日から、いつものように絵を描くのだろう。僕が好きな、すごい絵を。
いつまでこんな風に一人と一人でいられるのだろうか。
そんなことを考えながら外を見ると、外はもう暗くなっていた。
あっさりと「君のことが嫌い」と言ったわりに、翌日にはあっさりと「好きだよ」とも言ってくれる。何が本当なのか、そもそもあの人が何を考えているのかがさっぱりわからないでいる。
それでも、そうだからこそなのか。
いつも呼ばれるがままに来てしまう。陽のあたらないマンションの一室、あの人が住んでいる家の前に来てインターホンを押せずに立ち止まってしまう。
本当に入っていいのだろうか、またいつものように「嫌い」と言われてしまうのではないかなどと思って、いつもインターホンが押せないでいる。
それを知っているのか、いつもと同じようにガチャリと鍵を開ける音がしてドアが開く。
「よっ」と弾むような声。「よく来たね」
何も言わずに彼女の顔を見ていると「まあ入った入った」とやけに明るいトーンだった。こういう時は、どういう時なのかよくわかっている。言われるがままに部屋に入ってしまう。
キッチンを過ぎてドアを開けた先の1Kの彼女の部屋は空気が籠っていて、いつも少し暖かい。春夏秋冬、いつも同じぐらいの温度だ。脱ぎ捨てた衣類やら家計簿も付けないのに貰っているレシートやら破り捨てられた何かの描かれた紙がとっ散らかっていて部屋は足の中には踏み場がない。
それを全部踏んで、部屋の片隅にある小さな丸椅子に座っていると、彼女も後から部屋に入ってきてベッドの方を指差す。
いつも通り、僕は流される。
ベッドに寝そべり、彼女が入れるように布団を捲る。
彼女はふわりと儚く微笑みを浮かべて「いつもありがと」と思ってもいないだろう一言を口にする。布団に入ってきた彼女の体はこの暖かい部屋とは違ってひんやりとしていた。甘い匂いに混じって、コーヒーの匂いがした。
顔をよく見ると目の下にうっすらと化粧でも隠しきれていない隈がある。
そっと彼女を抱きしめる。この瞬間にはいつもああ、と思ってしまう。こんなままでは居られないと知っていても、どうしようもない。少しだけ早まった心臓を余所に彼女はほとほとと泣き始めた。
「うまく描けないの」
彼女は僕に強く抱きついてそう言った。いつものことだった。破り捨てられたあの紙がその証拠だ。上手くいかないといつも彼女はこうやって涙を流す。
知ってるよ、とは言わなかった。言えなかった。
ただただ何も言わずに、割れ物でも扱うようにそっと抱きしめて頭を撫でる。
「いつも上手く描けない。私が思ってるように描けない、なんでなんだろう。みんなはいい絵を描くのに、私は描けないの。なんでなんだろう? やっぱり私には才能がないのかな……」
泣きじゃくる彼女の頭を撫でる。
絵が上手く描けないと、彼女はいつもこうだった。それでも僕は彼女の描く絵を知っている。
始めて見た時、それをすごい絵だと思った。絵をよく知らない僕のような人であっても一目見て、そう思わせられるような、そんな絵だった。それから絵を知らないなりに色々なものを見て、それでもやはりというか彼女の絵は一目でわかるような印象強くて、すごい絵だった。
それだけに彼女に絵の才能がないとはとても思えない。
「才能があるのか無いのかは知らないけど、僕は君の描く絵が好きだよ」
いつもとは違って、なんとなくでそんな声が出た。彼女はいっそう強く泣いていた。
「君が好きでも、それだけじゃダメなの」
涙で震える声で彼女は確かに、しっかりとそう言った。血の気が引いて行くような気分だった。今ならば僕も泣いてしまうのではないかとすら思ったが、それでもぐっと堪えていた。
それからも彼女は延々と何かを嘆いていた。それすらも耳に入らない。機械仕掛けになったかのように僕の腕は彼女を抱きしめて、頭を撫でて、それだけだった。
いつも通り、何も変わらない。
暫くすると彼女は泣きつかれたのか、微かな寝息を立てて眠っていた。
それを見て、少しの安心があった。きっと彼女は明日から、いつものように絵を描くのだろう。僕が好きな、すごい絵を。
いつまでこんな風に一人と一人でいられるのだろうか。
そんなことを考えながら外を見ると、外はもう暗くなっていた。
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