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第5章 ~ペイン海賊団編~

―50― 襲撃(2)~囚われの船~

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 来るな――
 殺してやる――

 ゆっくりと近づいてくる2人の海賊――ジムとルイージより逃げ出すこともできず、そしてジムとルイージの息の根を止めるためにこの拳を振るうこともできずに、柱に縛られたままのゴッティに、相反する2つの感情が湧き上がった。
 湧き上がったその感情のどちらも、ゴッティの口から発せられるはずなどなく、粘ついた喉から低い呻き声が漏れただけであった。

 ここ数日、ゴッティは海賊たちに殴られてはいなかった。
 満足な食事とはいかないが、生命をかろうじて維持できるだけの食事も一応は与えられている。排泄の意を示せば、見はりつきではあるものの、トイレに行くこともできた。
 そのうえ、横になっての睡眠も許されていた。
 無論、手足を拘束され、汚れたこの床にゴロリと転がされるだけではあったが……
 許された睡眠時間。
 それは太陽の光が眩しく大海原をキラキラと輝かせている頃であったり、沈みゆく太陽が切ないまでに大海原を赤く染め上げている頃であったり、規則性は全くなかった。まさに海賊たちの気分次第といったとこか。
 ゴッティに食事や睡眠を与えるためにこの部屋にやってくる下っ端だと思われる海賊たちは、”まだ、この男(ゴッティ)を生かしておけ”との指示を上から受けているのだろう。


 まさに今――
 ゴッティに近づいてくる2人の海賊――ジムとルイージこそ、下っ端の海賊たちに指示をした者たちに違いない。
 うち1人の紫がかった黒髪に榛色の瞳の男。
 今、この船にいる海賊たちの中で、力関係においては一番上にいると思われる、ジムという名の男の手には水差しが握られていた。


「ほら、おっさん、水飲めよ。まだ死なれちゃ、困るからよ」
 そう言ったジムは、水差しの注ぎ口を、ゴッティの血にまみれ、ひび割れ乾ききった唇へガッとこじ入れた。


「うぅ……ぐげほ……っ」
 まさか、小便などの汚水を飲まされるのではと思っていたが、ゴッティの恐怖で粘ついていた喉に流れ込んできたのは、まごうことなき水であった。
 欲していた水。
 けれども、その恵みの水を自分のペースで飲むことはできない。そのうえ、口の中の傷や砕けた歯に水が滲み……

 ゴホゴホと咳き込みながら水をゴハッと吐き出したゴッティに、ジムは――ゴッティよりも目線の低いこの海賊は「汚ねえな」と顔をしかめた。
 黙ってこの光景を眺めていたルイージは、ククッと笑う。
 
 2人の海賊が、この部屋にやってきた理由。それは、自分に水を与えるためではないだろう。
 しかも「海賊」といっても、この者たちは”あの”「ペイン海賊団」の構成員なのだ。
 襲撃の日、この者たちはご丁寧に自分たちから名乗ってくれた。
 この2人は、下っ端の海賊たちに指示をできる立場からして、「ペイン海賊団」における地位も高い――つまりは残虐性も戦闘能力も極めて高いことは明らかであった。

 ゴッティも、「ペイン海賊団」の噂、それも恐ろしい噂は聞いたことがあった。
 その時はまさか、自分がこうして「ペイン海賊団」に遭遇してしまい、暗黒の世界へと引きずり込まれ、囚われの身になるとは想像だにしていなかった。同じこの世界にいても、自分や妻や娘などとは違う世界で生を紡いでおり、一生関わり合いになることなどない者たちという認識であった。
 この恐ろしい「ペイン海賊団」に襲撃された船はひとたまりもない。
 「ペイン海賊団」から逃れることができた船など、記録に残っている限り、一隻もない。
 男は全員皆殺し。女は全員、奴らに”連れ去られる”のだ。

 だが、男であるゴッティは”まだ”生きている。いや、生かされている。
 先ほど、ジムは言っていた。
 ”まだ死なれちゃ、困るからよ”と――


 パオロ・リッチ・ゴッティはエマヌエーレ国においては相当な地位にある貴族であった。
 平民が、おおよその寿命の10倍の時を与えられ、汗水たらして日々働き続けたとしても手に入れることなどできない、並外れた領地と財産を生まれた時から保有していた。人脈も広く、エマヌエーレ国の貴族のみならず王族、そして他国の王族にだって謁見したことがある。
 そんな自分が乗った船が予定の日を過ぎても、エマヌエーレ国の港に姿を現さない。
 海にて消息を絶っているとの連絡は、すぐにエマヌエーレ国に伝わるであろう。
 
 間違いなく、捜索隊が差し向けられる。
 この海賊たちは、そのエマヌエーレ国の捜索隊とやり合い、”ある物”を――いや、最新式の殺戮の武器を手に入れることを考えているらしかった。
 ゴッティは、その武器を手に入れるまでの人質だ。
 ゴッティを完全に殺してしまうよりも、目に見える人質(高貴な身分の者を人質にしている)として、甲板で捜索隊に誇示するつもりなのだと。
 海賊たちは欲する最新式の武器――”銃”と呼ばれるものをゴッティ自身は、触ったこともなければ、見たことすらなかった。
 その”銃”という細い筒状の武器は、その筒状に設置してある引き金を引くだけで、筒の先から小さな玉を音とともに発射し、離れたところにいる獲物の息の根を一瞬で止めることができるらしい。
 東方にある他国よりエマヌエーレ国に伝わった武器とのことで、一般にはまだ噂だけでしか広まってはおらず、国の上層部において改良と開発を進めているとの話であった。
 この「ペイン海賊団」は、その最新式の殺戮の武器を手に入れる――捜索隊から奪い、自分たちの更なる殺戮のための武器とすることを企んでいる。



「……君たち……この船にあるものは全て君たちにくれてやる……私を人質としても、捜索隊の船が君たちが望む”もの”を乗せているとは限らないし、捜索隊がいつこの船を見つけることになるかも分からないだろう? 今の時点で私たちを解放してくれれば、君たちではなく、他の海賊に襲われたとも証言もする……だから……」
 ”解放してくれ”とゴッティがかすれた声で続ける前に、ジムの榛色の瞳がギロリと光を放った。
 恐ろしい。
 残酷なその光に、すくみあがったゴッティの足元から冷たくなっていく。

 ジムの年齢は、男とも青年ともどちらとも形容できる20そこそこといったところであるだろう。
 ゴッティの子供は、このジムたちに連れ去られた一人娘だけであり、息子はいない。だが、自分の子供であったとしてもおかしくない年頃の青年が、これほどまでに荒み切った瞳をするものであろうか。
 対するルイージは、面白そうに口元を歪めたまま、自分たちの様子をうかがっていた。


「あのよ、おっさん……余計な口はつぐんで、大人しくしてろ。用が済んだら、”解放”してやるからよ」
 解放。
 ジムの口から紡がれたその言葉は、死を意味していた。
 ゴッティの魂を、散々痛めつけられ血だらけとなっている、この肉体から”解放”するということだ。


「頼む……私はどうなってもいい……だから、頼む。妻と娘には”何もせずに”解放してやってくれ」
 これはゴッティが囚われの身になってから、何度もかすれ震えた声で繰り返した願いであった。そして、魂からの切なる願いであった。


 ジムが”馬鹿言うなよ”と言いたげに、フン、と鼻を鳴らした。
「何度も同じこと言いやがって、しつけえな。じゃあ、はっきり言うけどよ。俺らだって一応、選ぶ権利ってモンがあンだよ。まあ、選ぶ権利っつうより、率直に表現すると単に勃たねえだけだけど」

「おい、言ってやるなよ。ジム」
 ルイージがブッと吹き出した。

 今のジムの言葉は、自分の妻と娘の容姿に対する侮辱であるだろう。
 だが、ゴッティの心の中では安堵の方が勝っていた。
 妻と娘の貞操は無事であるということなのだから。外道どもに汚されてはいない。
 この地獄の中に、ポッと咲いたまるで白い花のような希望の光だ。

 ジムは、ふぅと、わざとらしげに大きな溜息を吐いた。
 そして、ルイージは笑いが残っている口元を手で覆ったまま、次なる笑いを押さえ込んでいるようであった。
 一重瞼で一見温和そうなルイージの栗色の瞳であったが、そこにもやはり只ならぬ光は宿り、口元は妙な歪み方をし、ゴッティにはまるで長身痩躯の薄気味悪い道化師を思わせた。


「なあ、おっさん……てめえから大事な妻と娘の話を振ってきたから、乗ってやるけどよ……てめえはその年でも、俺らに殴られる前はそこそこの見てくれ”だった”ってことが分かるのに、なんであのおばはんと結婚したわけ? 貴族サマならではのセーリャク結婚(政略結婚)ってやつ? それとも、単なるブス専? てめえの血よりおばはんの血の純度100%って感じで、俺ら海賊たちにまで華麗にスルーされちまう娘まで設けるなんてよ」
 ジムの言葉に、ついにルイージが腹を抱えてブハハと笑い出した。


「ちょ……ジム、お前きつすぎっ……今日、一番笑ったわ……っ……!」
 ルイージは、ヒイヒイと苦しそうに、誰かこの笑いを止めてくれというように、腹を抱えたまま爆笑していた。

 
「でもまあ、この状況ではてめえの妻と娘が、女としてのハズレくじを引いちまったことを、神に感謝しといた方がいいだろ。神なんてモンがいるならの話だけど。別嬪っつうアタリくじを引いちまった女は、俺らの”親方”に献上か、俺とこいつ(ルイージ)の2人で”可愛がって”やることになったろうし……このセレブ船自体のクオリティは高いけど、女のクオリティは低すぎだろ。侍女も年増ばっかだし、テンションダダ下がりだっての……」

 爆笑し続けるルイージを横目で見たジムは、”そこまでウケるなよ”というように言いたげであったが、自身もニヤリと下卑た笑いを浮かべ、ゴッティの傷口に塩を塗り込もうとした。
 

 だが――
「…………地獄に落ちろ……この外道ども……」
 ゴッティの口より吐き出された憤怒の言葉を聞いた、ジムとルイージはピタリと笑いを止めた。
 数秒前まで目じりを下げ、爆笑していたルイージもみるみるうちに真顔に戻っていった。

 嵐の前の静けさ。
 ゴッティは、自分の死の引き金を自分の手で引いてしまったことを理解した。
 数秒後にこの部屋に生じるであろう嵐は渦を巻きながらぽっかりと口を開け、ゴッティを完全に「光無き死」へと飲み込もうとしているのだと……


 ジムがへッと笑い、ルイージに向き直った。
「ルイージ……東方のある国ではよ、人間の肉を少しずつ削いでいく死刑があるって知ってたか?」

「なんだ、それ? そんなのあンのか? 物知りだな、お前」
 ルイージは”肉を少しずつ削ぐ”といった表現に顔を一瞬しかめたものの、すぐにジムの意図していることがわかったらしく、片方の唇の端を歪ませた。

「1か月ぐれえ前の襲撃で死んじまった学者崩れから聞いたンだよ」
「ああ、あいつか。そういや、やたら、インテリぶった奴いたなあ……案の定、獲物に反撃されてあっけなく死んじまったけど」
 ルイージはジムに相槌を打ちながら、目配せした。”もったいぶってないで、早く本題に入れよ”と言いたげに。

「肉をゆっくりと削がれるって、相当痛えだろうな。しかも、なかなか死ねないらしいぜ。まさに生き地獄だよな」
 鼻を鳴らしたジムは、ゆっくりと、ゴッティへと視線を戻した。


 ジムとルイージが今から自分に何をする気なのか、ゴッティは聞かなくても分かっていた。
 この外道たちは、腰に差している各々の剣で、ゴッティの肉をゆっくりと削いでいくつもりなのだ。

「や、やめろ……来るなっ……!」
 自身を拘束している戒めから逃れようとゴッティは必死にもがいた。
 全身から吹き出る冷たい汗とともに、胃から先ほど与えられた水が逆流してきた。
「た、頼むっ……!! やめてくれ……っ!」
 口回りを吐瀉物で汚したゴッティは必死で、徐々に迫りくる人間の形をした外道どもに懇願した。


「俺らに何回も頼みごとなんて、すンじゃねえよ。まあ、一度も聞き入れてやったことねえけど。それによぉ、おっさん、さっき、てめえが俺らのことを外道呼ばわりしたんだろ。てめえの期待に応えて、俺らも外道らしい振る舞いをしてやるよ」
 そう言ったジムは、腰に差している剣にそっと手を伸ばした。
「だがよ、安心しな。今夜は”最期までは逝かねえ”よ。死なねえ程度にやってやる。てめえの利用価値はまだ残っているからな」


 ジムと同じく、幾人もの血をたっぷりと吸った剣を抜いたルイージが、ゴッティの顔面蒼白となった顔を覗き込んだ。
「そ、ジムの言う通り、俺たちは今夜はあんたを殺す気はねえ。まあ、いわゆる予行演習ってヤツだ。ぶっつけ本番じゃなくて、事前に予行練習をしてやる俺らの思いやりってモンが分かるだろ」


「や、やめ………………」
 人の心を持たぬ外道どもを前にした恐怖と、数秒後にこの身に刻み込まれるであろう痛みへの恐怖がグチャグチャに混じり合い、ゴッティはついに聞き入れられることのない懇願の言葉すら出すことがきなく……


 だが――
「ジム!! ルイージ!!」
 突如、ジムとルイージを制止する”少年”の声が、この部屋に響いてきたのだ。
 涙に滲んだ瞳のゴッディ、そして部屋の扉へと振り返ったジムとルイージが見たのは……

 今まさに切り刻まれる寸前であるゴッティと同等なまでに顔面蒼白となり、血の気の失った唇をガクガクと震わせている、ペイン海賊団の見張りボーイ、ランディー・デレク・モットであった。
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