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第5章 ~ペイン海賊団編~
―59― 砕け散った鏡(5)
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部屋の空気は一気に張りつめた。
ディランは高熱にうなされながらも、ランディーたちの背筋が一斉にビシッと伸びたのを感じ取った。
彼らの背筋が揃って伸びたのは、日頃の訓練によるものなどでは決してない。
この部屋に足を踏み入れた、親方セシル・ペイン・マイルズのが放つ、”強烈な畏怖の念を抱かせる緊張感”のためだ。
セシル・ペイン・マイルズ。
年齢は40を少し過ぎたところかと、ディランは記憶していた。
現在の親方は、独身であり、若い頃には妻がいた時期もあったらしいが、夜逃げされたとの噂を古株の少年たちから聞いたことがあることも、ディランは記憶していた。そして子供も、どうやらいなかったらしいということも。
”一目見たら忘れられない人”と形容されるのは、何も美しさを持って生まれた者だけに対する言葉でもない。
この親方のような者も、世の大多数の者は”一目見たら忘れられない”であろう。
ツルツルに剃りあげたスキンヘッドに、極太の吊り上がった漆黒の眉毛。その眉毛は、やけに艶が良く綺麗に整っており、毎日手入れしているのだろうか、それとも生まれつきかと、ディランは不思議に思っていた。
”酒を飲んでいない状態でも赤らんでいる”その顔の下半分は、極太の眉毛と同じく、艶のある濃く太い漆黒の髭で覆われていた。
肉体も、その強烈な風貌に見事に比例したガチムチのマッチョ体型の長身である。腕まくりをすれば、濃い体毛に覆われた、太く硬い腕が剥き出しとなり、荒々しさをほとばしらせている。
親方が先頭を切って道を歩くと、大抵の者は慌てて道をあけ、彼の緑がかった瞳とは決して目が合わないように視線をそらすのだ。
慌てて視線をそらした者の顔には、例え大の男であっても、”恐えよ、何だ、あれ?!”と書いてあるようであった。
見る者に強烈な畏怖の感情を抱かせる、彼に連れられた自分たち少年は、まさにボス猿に引き連れられた子猿たちといったところであったろう。
ディランは生まれてこの方、山賊や海賊などには一度も遭遇したことはない。だが、親方はディランの脳内想像図における山賊や海賊によりピッタリそぐうような外見をしていた。
だが、いくら賊のような外見をしていたとしても、親方は真っ当に生きる善良な民であった。
「出来た人だ」との評価が、周りの者からの親方への評価であった。
教育も受けていない、身寄りのない少年たちを集め、レンガ積みや煙突掃除などの肉体労働を提供し、その日暮らしとはいえ、眠る場所と報酬を与えているのだから。
大人の男を雇うより、子供を雇う方が賃金が安く済む(約3分の2程度であるらしく)ので、自分たち子供の肉体労働者の需要があったのも、事実ではあるが……
「……まあ、こいつら3人とも、心配していたほどではないみたいだな」
熱で苦しみ続けている自分たちを見た親方の野太い声。
夕暮れ時の今、さすがの親方も酒などは飲んではいないようであったが、その野太い声は酒やけしたものであった。
――何だよ?! ”心配していたほど”って……充分苦しいんだよ。ルークも、エルドレッドも、俺も……これ以上のことになったら、絶対に……!!
ディランは、心の中で苦痛の叫びを、絶叫せんばかりにあげていた。
「あ、あの……親方……やっぱりお医者さんを呼んでいただけないでしょうか? 俺たちが町の偉い薬師さんに調合をお願いした薬ももうすぐ届くとは思います。でも……」
恐る恐るといった感じで、ランディーが切り出した。
そのランディーの後ろからも「俺からもお願いします」「俺も」と少年たちの声が聞こえた。
数秒の沈黙――
だが、少年たちの懇願を聞いた親方の返答は、少年たちの懇願をまるで無視したものであったのだ。
「こいつら(ルークとディラン)は頑丈だから、”おそらく”大丈夫だ。問題はエルドレッドだが……こいつも、頭が割れてるわけでもないし、あと数日、寝込んだら起き上がれるだろ。俺も、”医者が必要であったなら”すぐに医者を呼ぶ。でも、今のこいつらは伝染病にかかっているわけでもなく、単なる発熱とかすり傷なわけだしな」
確かにあの激流において、ディランはエルドレッドが岩に頭部を打ち付けたのだと思っていた。だが、実際は頭部が岩にかすっていただけであり、頭部から激突したわけではなかった。
頭蓋骨まで岩に粉砕されていたら、エルドレッドはルークと自分が川より助け出した時点で、ほぼ瀕死であっただろう。
「親方……このまま、ルークたちの高熱が続いたら取返しのつかないことになるかもしれないんです……っ……もしも、一生に影響があるほどの後遺症が残ってしまったら……」
オドオドとしながらも、ランディーは少年たちの心の内を代表するかのように、言葉を紡ぎ出した。
ランディーたちも、ディランも医学の専門的な知識は皆無であるも、高熱の状態が長期にわたって続いたことで、頭(脳)にダメージを受けたり、胸のあたりにある臓器(肺)まで侵され、命を奪うことがあるらしいとの話は聞いたことがあった。
そもそも、ランディー自身が、”取返しのつかないことになってしまったこと”を現在進行形で――今というこの時も引きずり続け、彼のその肉体の命の炎が消える時まで引きずり続けるであろう左脚で知っているのだ。
彼が幼い頃、馬車に轢かれるという不運な事故に遭い、明らかな重傷を負った時、彼のいた孤児院という名ばかりの施設の大人が自己流の治療ではなく、医者を呼んでさえくれていれば、彼はこうも一生ものの後遺症を負うことはなかったかもしれないのだから――
「……ランディー、お前の気持ちも分かるが……もし、こいつらの容態が悪化したら、”その時はその時”だ」
「で、でもっ……!」
親方に異を唱えようとしたランディーの肩を、少年たちの誰かが「ランディー」と小声で止めた。
その少年は、きっと”親方にこれ以上、言っても無駄だ”と続けたかったのだろう。
――何が”その時はその時”だよ……! なんで、最悪の事態にならないようにするんじゃなくて、最悪の事態になってから改めて考えることになるんだよ……! もう……本当にマジでこのまま”殺される”かもな、俺たち…………
真冬の川の冷たい水の中で覚悟した死が、今度はディランたちの肉体にジワジワと迫りきていた。
自分たちの寝台のすぐ近くに死神が立ち、自分たちの肉体がこの苦痛にとうとう耐えられなくなる時を待ち構えている。”その時”が来たら、死神はニタリと笑い、死の鎌をザッと振り下ろすのではないかと――
――これが、身分なく生まれ、そして親にも捨てられた者の最期か……
そうだ。仮に今、寝台でこうして苦しんでいる被害者のうち1人に”平民ではない身分の者”がいたなら、親方もすぐに医者を呼ぶだろうし、ジムやルイージも自分より身分の高い者を虐めたりすることなど絶対にしなかったというか、そもそも、知り合うことすらなかっただろう。
それに、同僚であるランディーたちがお金を出し合って、薬を買うこと自体、おかしなことである。本来なら、監督者であり保護者でもある者が手配すべきことだろう。
決して、3人分の薬を買えない&医者を呼ぶことすらできないほど、雇い主である親方の経済状況は逼迫しているとは、ディランは普段の彼の酒豪ぶりからは到底思えなかった。
高熱で朦朧としてるディランが、”見捨てられた者の哀れな死”を覚悟していることなど思いもよらないであろう親方は、「おい、お前ら」と”扉の方に”振り返った。
”お前ら”……
親方に”お前ら”と呼ばれて姿を現したのは、本件の加害者であるジムとルイージの2人であった。
彼ら2人とも、親方と一緒に来ていたのだ。身軽な彼らの足音はきっと、親方の大きな足音にかき消されていたのだろう。
熱で霞むものの、薄目で彼らの姿を確認したディランの手が毛布の中で震えた。
ランディーはビクッと飛びあがり、後ずさった。
そして――
エルドレッドもきっと、彼らがこの部屋に足を踏み入れたことが分かったのだろう。嫌がるように呻き、逃げようとするかのように身をよじらせたのだから――
ランディーたち少年の間に、親方が登場した時”以上の”緊張感が瞬く間に走っていった。
自分たちの登場にビビりまくっているランディーたちを見たルイージは、唇の端を歪ませ、この場には一番そぐわない笑顔なんてものを見せた。
ジムは憮然とした表情で唇を尖らせたまま、”ああ、めんどくせえな”というように、寝台で苦しみ続けている被害者3人にチラリと目をやった。
ディランは高熱にうなされながらも、ランディーたちの背筋が一斉にビシッと伸びたのを感じ取った。
彼らの背筋が揃って伸びたのは、日頃の訓練によるものなどでは決してない。
この部屋に足を踏み入れた、親方セシル・ペイン・マイルズのが放つ、”強烈な畏怖の念を抱かせる緊張感”のためだ。
セシル・ペイン・マイルズ。
年齢は40を少し過ぎたところかと、ディランは記憶していた。
現在の親方は、独身であり、若い頃には妻がいた時期もあったらしいが、夜逃げされたとの噂を古株の少年たちから聞いたことがあることも、ディランは記憶していた。そして子供も、どうやらいなかったらしいということも。
”一目見たら忘れられない人”と形容されるのは、何も美しさを持って生まれた者だけに対する言葉でもない。
この親方のような者も、世の大多数の者は”一目見たら忘れられない”であろう。
ツルツルに剃りあげたスキンヘッドに、極太の吊り上がった漆黒の眉毛。その眉毛は、やけに艶が良く綺麗に整っており、毎日手入れしているのだろうか、それとも生まれつきかと、ディランは不思議に思っていた。
”酒を飲んでいない状態でも赤らんでいる”その顔の下半分は、極太の眉毛と同じく、艶のある濃く太い漆黒の髭で覆われていた。
肉体も、その強烈な風貌に見事に比例したガチムチのマッチョ体型の長身である。腕まくりをすれば、濃い体毛に覆われた、太く硬い腕が剥き出しとなり、荒々しさをほとばしらせている。
親方が先頭を切って道を歩くと、大抵の者は慌てて道をあけ、彼の緑がかった瞳とは決して目が合わないように視線をそらすのだ。
慌てて視線をそらした者の顔には、例え大の男であっても、”恐えよ、何だ、あれ?!”と書いてあるようであった。
見る者に強烈な畏怖の感情を抱かせる、彼に連れられた自分たち少年は、まさにボス猿に引き連れられた子猿たちといったところであったろう。
ディランは生まれてこの方、山賊や海賊などには一度も遭遇したことはない。だが、親方はディランの脳内想像図における山賊や海賊によりピッタリそぐうような外見をしていた。
だが、いくら賊のような外見をしていたとしても、親方は真っ当に生きる善良な民であった。
「出来た人だ」との評価が、周りの者からの親方への評価であった。
教育も受けていない、身寄りのない少年たちを集め、レンガ積みや煙突掃除などの肉体労働を提供し、その日暮らしとはいえ、眠る場所と報酬を与えているのだから。
大人の男を雇うより、子供を雇う方が賃金が安く済む(約3分の2程度であるらしく)ので、自分たち子供の肉体労働者の需要があったのも、事実ではあるが……
「……まあ、こいつら3人とも、心配していたほどではないみたいだな」
熱で苦しみ続けている自分たちを見た親方の野太い声。
夕暮れ時の今、さすがの親方も酒などは飲んではいないようであったが、その野太い声は酒やけしたものであった。
――何だよ?! ”心配していたほど”って……充分苦しいんだよ。ルークも、エルドレッドも、俺も……これ以上のことになったら、絶対に……!!
ディランは、心の中で苦痛の叫びを、絶叫せんばかりにあげていた。
「あ、あの……親方……やっぱりお医者さんを呼んでいただけないでしょうか? 俺たちが町の偉い薬師さんに調合をお願いした薬ももうすぐ届くとは思います。でも……」
恐る恐るといった感じで、ランディーが切り出した。
そのランディーの後ろからも「俺からもお願いします」「俺も」と少年たちの声が聞こえた。
数秒の沈黙――
だが、少年たちの懇願を聞いた親方の返答は、少年たちの懇願をまるで無視したものであったのだ。
「こいつら(ルークとディラン)は頑丈だから、”おそらく”大丈夫だ。問題はエルドレッドだが……こいつも、頭が割れてるわけでもないし、あと数日、寝込んだら起き上がれるだろ。俺も、”医者が必要であったなら”すぐに医者を呼ぶ。でも、今のこいつらは伝染病にかかっているわけでもなく、単なる発熱とかすり傷なわけだしな」
確かにあの激流において、ディランはエルドレッドが岩に頭部を打ち付けたのだと思っていた。だが、実際は頭部が岩にかすっていただけであり、頭部から激突したわけではなかった。
頭蓋骨まで岩に粉砕されていたら、エルドレッドはルークと自分が川より助け出した時点で、ほぼ瀕死であっただろう。
「親方……このまま、ルークたちの高熱が続いたら取返しのつかないことになるかもしれないんです……っ……もしも、一生に影響があるほどの後遺症が残ってしまったら……」
オドオドとしながらも、ランディーは少年たちの心の内を代表するかのように、言葉を紡ぎ出した。
ランディーたちも、ディランも医学の専門的な知識は皆無であるも、高熱の状態が長期にわたって続いたことで、頭(脳)にダメージを受けたり、胸のあたりにある臓器(肺)まで侵され、命を奪うことがあるらしいとの話は聞いたことがあった。
そもそも、ランディー自身が、”取返しのつかないことになってしまったこと”を現在進行形で――今というこの時も引きずり続け、彼のその肉体の命の炎が消える時まで引きずり続けるであろう左脚で知っているのだ。
彼が幼い頃、馬車に轢かれるという不運な事故に遭い、明らかな重傷を負った時、彼のいた孤児院という名ばかりの施設の大人が自己流の治療ではなく、医者を呼んでさえくれていれば、彼はこうも一生ものの後遺症を負うことはなかったかもしれないのだから――
「……ランディー、お前の気持ちも分かるが……もし、こいつらの容態が悪化したら、”その時はその時”だ」
「で、でもっ……!」
親方に異を唱えようとしたランディーの肩を、少年たちの誰かが「ランディー」と小声で止めた。
その少年は、きっと”親方にこれ以上、言っても無駄だ”と続けたかったのだろう。
――何が”その時はその時”だよ……! なんで、最悪の事態にならないようにするんじゃなくて、最悪の事態になってから改めて考えることになるんだよ……! もう……本当にマジでこのまま”殺される”かもな、俺たち…………
真冬の川の冷たい水の中で覚悟した死が、今度はディランたちの肉体にジワジワと迫りきていた。
自分たちの寝台のすぐ近くに死神が立ち、自分たちの肉体がこの苦痛にとうとう耐えられなくなる時を待ち構えている。”その時”が来たら、死神はニタリと笑い、死の鎌をザッと振り下ろすのではないかと――
――これが、身分なく生まれ、そして親にも捨てられた者の最期か……
そうだ。仮に今、寝台でこうして苦しんでいる被害者のうち1人に”平民ではない身分の者”がいたなら、親方もすぐに医者を呼ぶだろうし、ジムやルイージも自分より身分の高い者を虐めたりすることなど絶対にしなかったというか、そもそも、知り合うことすらなかっただろう。
それに、同僚であるランディーたちがお金を出し合って、薬を買うこと自体、おかしなことである。本来なら、監督者であり保護者でもある者が手配すべきことだろう。
決して、3人分の薬を買えない&医者を呼ぶことすらできないほど、雇い主である親方の経済状況は逼迫しているとは、ディランは普段の彼の酒豪ぶりからは到底思えなかった。
高熱で朦朧としてるディランが、”見捨てられた者の哀れな死”を覚悟していることなど思いもよらないであろう親方は、「おい、お前ら」と”扉の方に”振り返った。
”お前ら”……
親方に”お前ら”と呼ばれて姿を現したのは、本件の加害者であるジムとルイージの2人であった。
彼ら2人とも、親方と一緒に来ていたのだ。身軽な彼らの足音はきっと、親方の大きな足音にかき消されていたのだろう。
熱で霞むものの、薄目で彼らの姿を確認したディランの手が毛布の中で震えた。
ランディーはビクッと飛びあがり、後ずさった。
そして――
エルドレッドもきっと、彼らがこの部屋に足を踏み入れたことが分かったのだろう。嫌がるように呻き、逃げようとするかのように身をよじらせたのだから――
ランディーたち少年の間に、親方が登場した時”以上の”緊張感が瞬く間に走っていった。
自分たちの登場にビビりまくっているランディーたちを見たルイージは、唇の端を歪ませ、この場には一番そぐわない笑顔なんてものを見せた。
ジムは憮然とした表情で唇を尖らせたまま、”ああ、めんどくせえな”というように、寝台で苦しみ続けている被害者3人にチラリと目をやった。
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