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第5章 ~ペイン海賊団編~

―90― 襲撃(34)~いつもの覗き見~

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 ローズマリー・クリスタル・ティーチは、トレヴァー・モーリス・ガルシアのことが気になってたまらない。
 肉体的には成人した24才の女性であるローズマリーであるが、恋愛面においては彼女の半分以下の少女と変わらぬ初々しさ(?)のままであった。

 フランシスに頼み事をしたにも関わらず、バツが悪いのか彼より目を逸らしているローズマリーの丸い輪郭の両頬は、恋の熱にうかされているがごとく染まっていた。
 そんな彼女を見たフランシスは、フフッと口元をほころばせた。

「分かりました。ここはあなたのその切ない恋心を尊重することといたしますか」
「……なっ! 何が”切ない恋心”だっっ!! 私は単に強い奴の戦い方ってのを見たいだけだ! 強いっていうなら、あのフレディとかいうガキや他のアドリアナ王国の奴らだって、剣さばきはなかなかのモンだ。でもよ、やっぱ”場数をかなり踏んでる”ことは間違いない”あの海賊の戦い方”を見たいだけだっつーの、誰もあのトレヴァーなんていうガキに興味なんてねえよ!!」
 恋の導火線ではなく、別の導火線に着火したかのごとく、頬をカッとさらなる朱に染め、早口でまくしたてたローズマリー。彼女のその様子は、”私はトレヴァーが好きだ、大好きだ”と、こうして皆の前で絶叫しているかのようであった。
 ネイサンが、”こいつ、本当に(恋愛面に関しては)俺より9才も年上なのかよ……?”と言いたげな顔――レイナの世界で言うとしたら、チベットスナギツネのような表情になっていた。

 フランシスは「まあ、そう熱く語らずに」と余裕に満ちた態度を全く崩さずに、右手を宙にかざし――ローズマリーの容貌を聞き入れ、彼女が”本当に望む者”にいつもの覗き見のさざ波の焦点を合わせようとしていた。
 だが、その時――

 オーガストの両腕に宝物のごとく優しく抱かれていたマリアの首が、頭上の彼に何かを囁いたらしかった。
 命に代えても愛する者の甘い囁き声に、彼女をさらに抱き込むようにしてい耳を傾けるオーガスト。

「あ、あの……フランシス……さん……」
 顔をあげたオーガストの頬もまた赤く染まっていた。そして、なぜか彼の赤い頬は、少し引き攣ってもいた。

「え、えと、その……”もう1人の海賊の方”に焦点を合わせることって可能……ですか? マリア王女があの黒髪の海賊の方を見たいっておっしゃっていて……」
「!!」
 部屋にいる者たちの視線が、ザッとオーガストと彼の腕の中のマリアへと集まった。

 王女マリア・エリザベスは、覗き見のさざ波の中でローズマリーがより強いと太鼓判を押している3人の内の1人――リーダー格っぽい海賊のうちのもう片方へと焦点を合わせて欲しいと……
 
「ダメ……ですか?」
 皆の視線を受けてしまい狼狽しかけているオーガストが再度、”敬語で”フランシスに子犬のような目で問う。
 オーガストはいつの間にかフランシスに対して敬語を使うようになっていた。それは、ひとえに彼が愛するマリア王女のためだとフランシスだけではなく、誰もが理解していた。フランシスの機嫌を損ねれば、”今度こそ”マリア王女の魂の存続は危ないなんてモンじゃない。
 さらに言うなら、当のマリア王女自身もフランシスと直接、話をすることは一切なくなっていた。以前はフランシスに散々しな垂れかかり、濃厚に体を重ね合った仲であるというのに。
 今現在は、先ほどのように”オーガストを介して”の必要最低限(?)の会話しか交わさない。
 魂のひとかけらだけにされてしまった時の恐怖を――底知れぬ何かを秘めていることは明らかではあるも表向きは穏やかな物言いと振る舞いのフランシスをブチ切れさせてしまった時の恐怖を、マリアも当たり前であるが忘れられはしないだろう。
 次はない、とは分かっている。けれども、マリアは自身の”疼く欲望”を押さえきれずにフランシスとのコミュニケーションツール(?)であるオーガストを介して、フランシスへと頼みごとをしているのだ。


 マリア王女の中で押さえきれなくなっている”疼く欲望”を瞬時に汲み取ったフランシスは、鼻を鳴らす。
「おやおや、マリア王女。あなた様にとってはニューフェイスである、あのイケメン海賊の姿をじっくり眺めたいっていうわけでございますね。全くあなた様の”守備範囲の広さ”には驚かされますよ。自身のお兄様に始まり……”類まれな美しさを持つ魔導士である私”、あなた様に今もなお、魂まで捧げんばかりに懸命な人形職人ときて、今はあの野蛮な……いえワイルドな魅力の海賊の青年へ目を付けたとはね」

 さりげなく自分まで紛れ込ませたフランシスのナルシストさには、オーガストだけでなく誰も突っ込まなかった。ただ、今度はサミュエルとヘレンが「…………」とチベットスナギツネのような表情になっていた。
 
 オーガストは、腕の中のマリア王女を”どこへも行かせない”というかのように、より強く抱き込んだ。
 彼も理解はしていた。マリア王女のお兄様――ジョセフ王子に始まる(全く持って相手になどされなかったが)近親相姦という彼女の性癖、そのうえ、そこそこの見てくれの若い者たちが大半(いや、一人だけ飛び抜けた物凄い美形の赤毛の男もいるが)”希望の光を運ぶ者たち”も彼女の守備範囲に充分に入る。さらに言うなら、覗き見のさざ波の中には兵士隊長パトリック・イアン・ヒンドリーの姿もあった。オーガストも彼のことは、マリア王女に招き入れられた城内で遠くより何度か見かけたことがあり知っていた。親子といってもおかしくないほど年は離れているものの、精悍な佇まいで鍛え上げられた肉体のあの男もマリア王女の守備範囲内に入っているような直感が働いていたのだ。
 実は、このオーガストのマリア王女に対する直感は見事なもので、以前にマリア王女はパトリックを城内で誘惑したが、彼にあしらわれてしまったというオーガストの知らない一幕があったのだ。
 留まることをしらないマリア王女の性の欲望は、今は彼女にとってのニューフェイスである黒髪の海賊へと注がれていた。
 彼女の美しい青い瞳からあふれ出る甘い蜜は、いかにも気性が荒そうなうえに、その性根も極悪そうなことが直接言葉を交わさなくても見て取れる黒髪の年若い海賊に注がれている。まずまず顔が整っているあの黒髪の海賊だって、女神のごとき美貌のマリア王女を前にしたなら絶対に(男として)首を横に振るようなことはしないだろう、とオーガストの頬は引き攣っていた。

 そして……
 今、この部屋にいるサミュエル、ヘレン、ネイサンの3人は”さあ、どうなる?”と、徐々に張りつめゆく空気のなか、成り行きをうかがっていた。
 空飛ぶ神人の船の中で、ぶつかりあった2つの要求。
 目の前の覗き見のさざ波の操り主である魔導士フランシスは、平民の武闘派レディ・ローズマリーとアドリアナ王国第一王女・マリアのどちらの要望を聞き入れ、どちらの要望を却下するのであろうか? その答えは言うまでもなく、きっと……
 だが、フランシスの優美な口元より紡ぎ出された優雅な言葉は、この部屋にいる者たちの予想とは違っていた。

「おやおや、2人の女性のご要望がダブルブッキングしてしまうとは……まあ、通常はマリア王女のご身分と我儘を尊重すべき流れになるかと思うのですが、私はこうして同じ船に乗るという縁があった女性たちの依怙贔屓はしたくないものでして……ここはお二方のご要望を”同時に聞き入れる”ことといたしましょうか」

「!?」
 部屋にいる誰もが、フランシス以外の者は驚く。
 フランシスは当然のごとく、平民の女の要望を聞かなかったことにし、首だけになったとはいえ高貴な王女の要望を聞き入れるものだと思っていた。

 当のマリア王女自身も、フランシスの言葉に驚くとともに相当にムッとしたようであった。
 身分も美しさも自分の足元にも及びやしない、そもそも性別を間違えて生まれてきたとしか思えない下品(げぼん)な筋肉女を、フランシスは”同じ神人の船に乗る女”として同列に扱おうとしている。自分の方が女としても、”この世に生を受けた時”からしても格上であるというのにも関わらず……

 マリア王女の魂のひとかけらに瞬時に駆け巡った、王族である自分に対しての無礼な振る舞いへの怒り。それはきっと、彼女を抱いているオーガストにも伝わっているだろう。
 だが、マリアもオーガストもフランシスに何も言わなかった。
 彼に口答えをすることは、そう、彼の機嫌を損ねることは、自殺行為でしかないことを身を持って知っているのだから。

 
 けれども、2人の女の要望を”同時に聞き入れる”つもりらしいフランシスは一体、どうするというのか?
 ローズマリーの真の狙いである青年も、マリア王女が狙いを定めている海賊も、目の前のさざ波を見る限り、それぞれが相対する敵とやや離れたところで戦っている。背中合わせで戦っているというわけではない。
 ”同時に聞き入れる”というなら、目の前の覗き見のさざ波は2つ必要となるのだが……

「なあに、こうすれば万事解決ですよ」
 落ち着き払った穏やかな声のフランシスは、その両手を眼前のさざ波へと向かってかざし……そして、両手にグッと力を入れ、まるでさざ波を左右へ向かって分裂させるかのように、その両手を広げた。

「!!!」
 覗き見のさざ波は、バッと二手に分かれた。
 必要であった2つのさざ波が現れた。

「すげっ……!」
 少年魔導士・ネイサンの両の瞳が、”やっぱ、すげえや。この人……!”と、瞬時に知的好奇心&向上心による輝きを取り戻した。以前にフランシスが離れたところにいながらにして、港町の宿を一瞬で氷漬けにした時のように。
 己の力を伸ばすことに興味がある――いや、己の力を伸ばすことに”しか”興味のない彼にとっては、身近にこうした卓越した力を見せてくれる師ともいえる存在(?)は、非常に勉強になるのだろう。
 そして、ローズマリー、オーガスト、マリアだけでなく、”長年の付き合い”でフランシスの魔導士としての実力を存分に知っているはずのヘレンも驚いてはいた。
 ”フランシスは、こんな応用を利かすことまで顔色一つ変えずにできるの……?!”と――
 覗き見のさざ波を2つに分け、それぞれの焦点をコントロールすることは相当の力とコントロールを有する。にもかかわらず、フランシスの横顔からは、全く持って必死さなどは伝わってはこないのだ。
 決して大きな声じゃ言えないが、”別に覗き見なんて悪趣味なことに自分の力を使う気はないし、下にいる人たちには興味もないけれど、私にはこんなことはまだまだ難しいわ”と、ヘレンは考えずにはいられなかった。
 サミュエルは、”フン、やるじゃねえか”と言いたげに鼻からフッと息を吐いた。


 自他ともに認める類まれな美しさだけでなく、魔導士としても類まれな力を持つ魔導士フランシスの覗き見のさざ波。
 遥か上空にて、その帆を靡かせる神人の船にて、海にいる者たちの生死を映し出している覗き見のさざ波は二手に分かれた。
 左のさざ波には、赤茶けた髪でひょろ長い体躯の海賊ルイージ・ビル・オルコットと、ローズマリーの真の狙いである”希望の光を運ぶ者たち”のうちの1人、トレヴァー・モーリス・ガルシアの姿があった。
 そして、右のさざ波には、ニンフォマニアなマリア王女に狙いを定められることとなったニューフェイスの海賊ジェームス・ハーヴェイ・アトキンスと、トレヴァーと同じく”希望の光を運ぶ者たちのうちの1人、ディラン・ニール・ハドソンの姿が映し出されていた――
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