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第一章
シイナとリリー〈1〉
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ネロトニア国の王都ターラは、なだらかな円錐状の地形で、街全体を見渡す事が出来る中央に宮殿がある。昔からの景観を損なわないよう、王都に建てられる住宅や商店はすべて赤を基調としたレンガ造りで、建てられる建物の高さも上限があり高い建物はない。
絶対君主制であるこの国は、王によって民の生活が大きく変わる。
この国は長い間、王の独裁政権による圧政に苦しんできた。
いつしか民衆の中から反乱軍が生まれ、その勢力は拡大していった。
反乱軍と王国軍による内戦は十年に渡り続いた。
内戦が長引く程、王国軍の中にも反乱軍へ希望を見いだす者が増えていった。
前国王による国は、内部から脆く崩れ去る。
今から二十年前、前王は弑逆されたのだ。
その後、王の座に就いたのは、前王の腹違いの弟だった。これが今の現王である。
長く圧政を敷いてきた王の血縁と言う事で、彼が王の座に就く事に異議を唱える者も多かった。だが、反乱軍に参加した多くの民が、彼を選んだ。
母親の身分の低さもあり、一応は王の血を引く者として王家に名を連ねてはいたが、その生活は民衆に近いものだった。
国と民による内戦が始まると、彼はその身分を使い、反乱軍の援助を密かに行っていた。
王が玉座を下ろされた後、優位に動く為――そのための行動だったのかもしれない。しかし、その身の危険を省みず援助を続けたその行動は、彼が王に選ばれるには十分だった。
国の名前を現在のネロトニア国と変え、現王が国を治め始めてから二十年――。
わずか二十年で国は大きく変わった。
しかし、まだまだ課題は多く残る。内乱によって増えたスラム街や孤児の多さもその一つだ。わずかだが旧王国派もまだ残っており、裏取引や闇市などでその勢力を拡大しようとしている。
シイナ・セルスの婚約者、リリー・ロイスは三年前、そんな旧王国派の襲撃を受け倒れた。
リリー・ロイスは少し変わった人間だった。
シイナが彼女と最初に出会ったのは、小さな町の小さな教会内にある孤児院だった。
シスターが連れて来たその子は、白く痩せ細り、栄養の行き渡っていない髪は艶もなくボサボサで、生気のない顔をしていた。
内戦が終わり数年経ち、国は落ち着きを取り戻し、劇的に変わり始めてはいたが、王都を離れるとまだその力が及ばず治安はあまり良くなかった。
内戦によって身寄りを無くした子供達は、身売りや人身売買される事も少なくなく、リリーは隣町の地主の家に売られ、長い間不当な扱いを受けながら働かされていたところを保護されたという。
そのような子供が新しく加わる事は珍しくなかったので、シイナは特別興味は抱かなかった。
「シイナ君の髪と瞳の色ってキレイねぇ」
その髪も肌も艶を取り戻し始めた頃、リリーは突然シイナの顔を覗き込んで言った。
窓辺で本を読んでいたシイナは、突然出てきた顔に驚き、のけぞった。
が、すぐに冷静に読んでいた本を閉じ、リリーから少し離れる。
「ただの黒色だろ……」
素っ気なく答えるが、リリーは気にせずにシイナとの開いた距離を詰める。
「黒色って優しい色だわ。見たくないものをそっと隠してくれるもの」
おかしな事を言う女だと思った。
「それからね、黒は全てを塗りつぶしてくれるの。リセットの色」
「塗りつぶしたら、それはもうただの黒であって、リセットではないだろ」
「あら、黒から光が生まれるのよ。黒は始まりの色。黒が爆発して――」
ばぁんと言ってリリーは両手を広げた。
「宇宙になるの」
それからね、と広げた手を胸の前に合わせ、リリーは緩やかに口元を上げた。
「黒は死の色なの」
返す言葉が見つからなかった。人を死神とでも言いたいのか?
黙り込んだシイナの手を、リリーは突然掴んだ。
「だから私、あなたの傍にいてもいい?」
「はあ?」
思いがけず大きな声が出てしまい、周りで遊んでいた子供達が一斉に振り返った。
リリーは気にせず、キラキラとした瞳を向けてくる。
「私ね、いつもこの瞬間が終わりだと思って生きているの。だから、次の瞬間を愛しく思うわ。
ここに来られたのも奇跡、ごはんをちゃんと食べられるのも奇跡、あなたとこうしてお話しているのも奇跡。
死を意識すると、世界が違って見えるわ。世界が愛しく見えれば、生きる希望を見いだせるの」
シイナは目を細めて、目の前のキラキラした瞳を始めてきちんと見返した。
それは彼女なりの悟りなのだろうと思う。
絶望の中でその考えに至れるのだから、やはり変わっているとシイナは思った。
いや、むしろ「そうまでして生きたい理由がある、か」独り言のようにぼそりと言うと、リリーの栗色の瞳が大きくなった。
「……シイナ君ってすごい人ね」
シイナの手を握りしめたまま、リリーがふわりと笑った。
「弟がね、いるの。ずっと前に離ればなれになって、もうどこにいるか、生きているのかも分からないけど、あの子に会うまで生きていなくちゃ。この世界で、なにがあっても生き抜かなくちゃいけないの」
「そうか……」
少し羨ましく思った。
生まれた時から孤児院を転々として、家族というものを知らない。生きたいと思う気持ちも、死にたいと思う気持ちもない。
シイナの中はいつも無だった。
「俺といても、お前の言う生きる希望は感じられないんじゃないか? 俺は空の人間だからな」
「あなたは空っぽじゃないわ。優しい人」
「……どこを見たらそう思うんだ」
渋い顔をしてリリーを睨んでも、彼女は動じない。
「私はここに来てまだ浅いけど、見ていれば分かるもの。シイナ君は決して人を振り払わないわ。今の私に対してもそう」
言われてすぐに、リリーに握られたままだった手を振り払う。
どうだと言わんばかりにリリーを見れば、彼女は声を出して笑い出した。
「おかしな人ね」
「……お前に言われたくない」
これが、シイナ一六歳、リリーは一三歳の出会いだった。
その日からリリーは、本当にシイナの傍で過ごすようになった。
シイナも振り払う事はなかった。
彼女といると、自分の中の無が埋められていく気がした。
一八歳になり、孤児院を出て行く年齢になった頃、シイナは王国軍に入隊する決意をする。
王都にいて、軍に所属していた方がリリーの弟の情報も得やすいのではないかと考えたからだ。
そう思う程にはリリーはもう、自分の一部になっていた。空っぽだった分、余計にそう思うのかもしれない。
「私ね、いつもこの瞬間が終わりだと思って生きているの」
別れの朝、いつか聞いたのと同じセリフを口にして、リリーはシイナの手を握った。
泣き出しそうな顔だった。
「――知ってる」
三年間、訓練生として過ごした後、必ずリリーを迎えに行く。
渋るリリーにそう約束をして、孤児院を出た。
絶対君主制であるこの国は、王によって民の生活が大きく変わる。
この国は長い間、王の独裁政権による圧政に苦しんできた。
いつしか民衆の中から反乱軍が生まれ、その勢力は拡大していった。
反乱軍と王国軍による内戦は十年に渡り続いた。
内戦が長引く程、王国軍の中にも反乱軍へ希望を見いだす者が増えていった。
前国王による国は、内部から脆く崩れ去る。
今から二十年前、前王は弑逆されたのだ。
その後、王の座に就いたのは、前王の腹違いの弟だった。これが今の現王である。
長く圧政を敷いてきた王の血縁と言う事で、彼が王の座に就く事に異議を唱える者も多かった。だが、反乱軍に参加した多くの民が、彼を選んだ。
母親の身分の低さもあり、一応は王の血を引く者として王家に名を連ねてはいたが、その生活は民衆に近いものだった。
国と民による内戦が始まると、彼はその身分を使い、反乱軍の援助を密かに行っていた。
王が玉座を下ろされた後、優位に動く為――そのための行動だったのかもしれない。しかし、その身の危険を省みず援助を続けたその行動は、彼が王に選ばれるには十分だった。
国の名前を現在のネロトニア国と変え、現王が国を治め始めてから二十年――。
わずか二十年で国は大きく変わった。
しかし、まだまだ課題は多く残る。内乱によって増えたスラム街や孤児の多さもその一つだ。わずかだが旧王国派もまだ残っており、裏取引や闇市などでその勢力を拡大しようとしている。
シイナ・セルスの婚約者、リリー・ロイスは三年前、そんな旧王国派の襲撃を受け倒れた。
リリー・ロイスは少し変わった人間だった。
シイナが彼女と最初に出会ったのは、小さな町の小さな教会内にある孤児院だった。
シスターが連れて来たその子は、白く痩せ細り、栄養の行き渡っていない髪は艶もなくボサボサで、生気のない顔をしていた。
内戦が終わり数年経ち、国は落ち着きを取り戻し、劇的に変わり始めてはいたが、王都を離れるとまだその力が及ばず治安はあまり良くなかった。
内戦によって身寄りを無くした子供達は、身売りや人身売買される事も少なくなく、リリーは隣町の地主の家に売られ、長い間不当な扱いを受けながら働かされていたところを保護されたという。
そのような子供が新しく加わる事は珍しくなかったので、シイナは特別興味は抱かなかった。
「シイナ君の髪と瞳の色ってキレイねぇ」
その髪も肌も艶を取り戻し始めた頃、リリーは突然シイナの顔を覗き込んで言った。
窓辺で本を読んでいたシイナは、突然出てきた顔に驚き、のけぞった。
が、すぐに冷静に読んでいた本を閉じ、リリーから少し離れる。
「ただの黒色だろ……」
素っ気なく答えるが、リリーは気にせずにシイナとの開いた距離を詰める。
「黒色って優しい色だわ。見たくないものをそっと隠してくれるもの」
おかしな事を言う女だと思った。
「それからね、黒は全てを塗りつぶしてくれるの。リセットの色」
「塗りつぶしたら、それはもうただの黒であって、リセットではないだろ」
「あら、黒から光が生まれるのよ。黒は始まりの色。黒が爆発して――」
ばぁんと言ってリリーは両手を広げた。
「宇宙になるの」
それからね、と広げた手を胸の前に合わせ、リリーは緩やかに口元を上げた。
「黒は死の色なの」
返す言葉が見つからなかった。人を死神とでも言いたいのか?
黙り込んだシイナの手を、リリーは突然掴んだ。
「だから私、あなたの傍にいてもいい?」
「はあ?」
思いがけず大きな声が出てしまい、周りで遊んでいた子供達が一斉に振り返った。
リリーは気にせず、キラキラとした瞳を向けてくる。
「私ね、いつもこの瞬間が終わりだと思って生きているの。だから、次の瞬間を愛しく思うわ。
ここに来られたのも奇跡、ごはんをちゃんと食べられるのも奇跡、あなたとこうしてお話しているのも奇跡。
死を意識すると、世界が違って見えるわ。世界が愛しく見えれば、生きる希望を見いだせるの」
シイナは目を細めて、目の前のキラキラした瞳を始めてきちんと見返した。
それは彼女なりの悟りなのだろうと思う。
絶望の中でその考えに至れるのだから、やはり変わっているとシイナは思った。
いや、むしろ「そうまでして生きたい理由がある、か」独り言のようにぼそりと言うと、リリーの栗色の瞳が大きくなった。
「……シイナ君ってすごい人ね」
シイナの手を握りしめたまま、リリーがふわりと笑った。
「弟がね、いるの。ずっと前に離ればなれになって、もうどこにいるか、生きているのかも分からないけど、あの子に会うまで生きていなくちゃ。この世界で、なにがあっても生き抜かなくちゃいけないの」
「そうか……」
少し羨ましく思った。
生まれた時から孤児院を転々として、家族というものを知らない。生きたいと思う気持ちも、死にたいと思う気持ちもない。
シイナの中はいつも無だった。
「俺といても、お前の言う生きる希望は感じられないんじゃないか? 俺は空の人間だからな」
「あなたは空っぽじゃないわ。優しい人」
「……どこを見たらそう思うんだ」
渋い顔をしてリリーを睨んでも、彼女は動じない。
「私はここに来てまだ浅いけど、見ていれば分かるもの。シイナ君は決して人を振り払わないわ。今の私に対してもそう」
言われてすぐに、リリーに握られたままだった手を振り払う。
どうだと言わんばかりにリリーを見れば、彼女は声を出して笑い出した。
「おかしな人ね」
「……お前に言われたくない」
これが、シイナ一六歳、リリーは一三歳の出会いだった。
その日からリリーは、本当にシイナの傍で過ごすようになった。
シイナも振り払う事はなかった。
彼女といると、自分の中の無が埋められていく気がした。
一八歳になり、孤児院を出て行く年齢になった頃、シイナは王国軍に入隊する決意をする。
王都にいて、軍に所属していた方がリリーの弟の情報も得やすいのではないかと考えたからだ。
そう思う程にはリリーはもう、自分の一部になっていた。空っぽだった分、余計にそう思うのかもしれない。
「私ね、いつもこの瞬間が終わりだと思って生きているの」
別れの朝、いつか聞いたのと同じセリフを口にして、リリーはシイナの手を握った。
泣き出しそうな顔だった。
「――知ってる」
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