死にゆく私に「愛さない」と誓った旦那様。約束通り、私は貴方を愛したまま、貴方の知らない場所で死んであげます。

しょくぱん

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第8話:呪いの正体

夜会からの帰路、馬車の中は墓場のような静寂に包まれていた。
車輪が石畳を叩く音だけが、アルベルトの鼓膜を執拗に攻め立てる。
隣に座るエリスは、死人のような青白さで座席に身を預け、薄く開いた唇からは熱を孕んだ吐息が漏れていた。

アルベルトは、自身の掌を見つめる。
先ほど、彼女を抱き上げたときに感じた、あの幽かなかすかな重み。
公爵夫人として、あるいは一人の女性として、あまりにも不自然なほどに彼女の肉体は削ぎ落とされていた。
手袋越しに伝わってきた彼女の体温は、この極寒の夜気よりもなお、冷え切っていたのだ。

(何を隠している。あの日、庭で見せたあの笑みは、一体何だったのだ)

屋敷に到着するなり、アルベルトは意識を失ったエリスをマーサに託し、そのまま地下深くへと向かった。
そこは、歴代のアイゼンベルク公爵のみが入室を許される、禁忌の書庫だ。
埃の匂いと、澱んだ魔力が漂う空間で、彼は一族の血脈に刻まれた「呪い」の正典を手に取った。

『アイゼンベルクの魔力は、絶望ぜつぼうを糧として覚醒かくせいする』

古びた羊皮紙に記された文字が、琥珀色の瞳に焼き付く。
そこには、これまで彼が避けてきた残酷な真実が、一切の情を排して綴られていた。
代々の当主がなぜ冷酷と呼ばれたのか。なぜ彼らが、最強の魔力を得ると同時に心を壊していったのか。

『真なる覚醒の鍵は、最愛さいあいなる者の死にあり。その魂が消えゆく瞬間の、取り返しのつかない喪失こそが、眠れる漆黒の翼を呼び覚ますにえとなる』

アルベルトの指先が、激しく震えた。
彼はこれまで、呪いを断絶するために「誰も愛さない」と決めてきた。
エリスを離宮に追いやり、言葉の刃で突き放してきたのは、彼女を守るためではなく、自分自身が覚醒という名の破滅に陥らないための、卑怯な保身だったのだ。

しかし、書典の次の一行が、彼の心臓を冷たい氷の杭で貫いた。

『覚醒は、対象を愛していると自覚した瞬間に開始される。主の心が動けば、贄となる者の命は、魔力の源泉として内側から焼き尽くされていく』

「な、んだと……?」

アルベルトの脳裏に、これまでのエリスの姿が走馬灯のように駆け巡った。
夕食会での食欲不振。
庭園で見つけた、不自然に盛り上がった雪。
そして、今夜のダンスで見せた、命を振り絞るような微笑。

彼女の体調が悪化したのは、いつからだ。
彼が彼女を「邪魔な女」ではなく、「守るべき存在」だと、無意識にでも認め始めたのはいつだったか。
あの手袋を贈ろうと考えた、その瞬間ではなかったか。

「俺が……。俺の心が、彼女を殺しているというのか」

アルベルトは呻き、本を床に叩きつけた。
なんという皮肉だろうか。
呪いを恐れて愛を拒絶してきた男が、知らぬ間に抱いてしまった微かな情愛が、もっとも守るべきはずの者の命を啜っている。

エリスは気づいていたのだ。
自分が死にゆく原因が、夫の心にあることを。
だから彼女は、血を吐きながらも笑ってみせた。
彼にを抱かせないために。彼を「人殺し」にしないために。
彼女は、自分の愛を隠し、彼の愛すらも拒絶することで、アルベルトを救おうとしていたのだ。

「エリス……!」

アルベルトは書庫を飛び出し、階段を駆け上がった。
彼女の寝室へ向かう廊下は、永遠に続くかのように長く感じられた。
部屋の前に辿り着いたとき、中から漏れてきたのは、マーサの嗚咽と、重く湿った咳の音だった。

扉を開けると、そこには寝台の上で身をよじり、血を吐き散らすエリスの姿があった。
シーツは鮮血で汚れ、彼女の銀髪が赤く染まっている。
アルベルトは彼女の元へ駆け寄ろうとしたが、その足が止まった。

今の自分が彼女を想えば想うほど、彼女の命はさらに激しく燃やされてしまう。
彼が彼女を抱きしめ、「愛している」と告げることは、彼女への引導を渡すことと同義なのだ。

アルベルトは、血に塗れたエリスの細い指先を見つめながら、その場に立ち尽くした。
触れたい。救いたい。
そのそのものが、彼女を殺す猛毒であるという絶望。
最強の魔力を手に入れようとしている男は、今、世界で最も無力な存在として、愛する者の苦悶を見守ることしかできなかった。

窓の外では、呪いのように雪が降り積もっていく。
二人の間に横たわるのは、神も仏もない、ただ純粋な悪意に満ちた運命の断絶だった。
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