8 / 9
第1章:即時徴収と絶望の始まり
第8話:鏡に映る見知らぬ女
しおりを挟む
朝の光が、埃の舞う伯爵家の自室に差し込んでいた。
エレナは、古びたドレッサーの前に立ち、そこにある鏡を凝視していた。
「……これが、私?」
震える指先が、鏡の中の輪郭をなぞる。
そこには、昨夜までの「枯れ果てた令嬢」の姿はどこにもなかった。
徴収した魔力が細胞の一粒一粒に行き渡り、時間を強引に巻き戻したかのように、肌には生命力溢れる透明感が宿っている。絹のように滑らかな銀髪は、わずかな動きで真珠のような光沢を放ち、伏せられた睫毛は以前よりも長く、濃く、その奥にある紫の瞳は、理知的な光を湛えて鋭く澄み渡っていた。
それは、十年前の「天才魔導令嬢」と呼ばれた頃の姿ですら、まだ通過点に過ぎなかったと思わせるほどの、完成された美(ヴィーナス)だった。
「お、お嬢様……お召し替えを……」
入室してきた侍女長の手から、洗面用の銀盆がガシャリと音を立てて床に落ちた。
彼女は、かつてカシアンに冷遇されるエレナを鼻で笑い、ろくな食事も与えなかった使用人の筆頭だ。しかし、いま彼女は、目の前に立つエレナから溢れ出す「根源的な格の差」に、蛇に睨まれた蛙のように硬直していた。
「どうしたの? 早く片付けなさい」
エレナの声音は低く、そして鈴の音のように凛としていた。
その一言に含まれた無意識の威圧感に、侍女長は悲鳴に近い吐息を漏らし、その場に崩れるように膝をついた。
「も、申し訳ございません……! すぐ、すぐに!」
頭を床に擦り付ける使用人を冷ややかに見下ろし、エレナは部屋を出た。廊下ですれ違う使用人たちは皆、彼女の姿を認めると、まるで王族を迎えるかのように壁際へ飛び退き、深々と頭を下げる。
彼らは理解したのだ。この屋敷の主が誰であるか、本能が警告を発している。
一階の応接間では、リュカ・サリバンが優雅に茶を啜っていた。
エレナが姿を見せると、彼はカップを置き、眼鏡の奥の瞳に隠しようのない驚嘆を宿して立ち上がった。
「……予想を遥かに超えています。徴収された魔力が、貴女という器の中で完全に『覚醒』したようですね」
「お褒めに預かり光栄ですわ、リュカ様。それで、例の件は?」
リュカは表情を引き締め、一通の赤い封筒を差し出した。
「公爵家から差し押さえた帳簿を精査しましたが、お母様の遺品『女神の涙』は、三ヶ月前にカシアン氏によって闇のオークションに流されていました。買い手は――今夜、王宮で開催される夜会の主催者の一人です」
エレナの瞳に、冷たい炎が宿る。カシアンは、彼女の愛だけでなく、亡き母の思い出さえも金に換えていたのだ。
「今夜の夜会には、カシアンに媚びを売っていた貴族たちが勢揃いします。彼らに、本来の貴女の姿を見せつける絶好の機会です」
リュカは跪き、恭しくエレナの手を取った。
「エレナ・フォン・ラングリス閣下。……私に、その『女神』の帰還をエスコートさせていただけませんか?」
エレナは微かに口角を上げ、その手を取った。
それは、奪われたすべてを奪い返すための、華麗なる反撃の合図だった。
エレナは、古びたドレッサーの前に立ち、そこにある鏡を凝視していた。
「……これが、私?」
震える指先が、鏡の中の輪郭をなぞる。
そこには、昨夜までの「枯れ果てた令嬢」の姿はどこにもなかった。
徴収した魔力が細胞の一粒一粒に行き渡り、時間を強引に巻き戻したかのように、肌には生命力溢れる透明感が宿っている。絹のように滑らかな銀髪は、わずかな動きで真珠のような光沢を放ち、伏せられた睫毛は以前よりも長く、濃く、その奥にある紫の瞳は、理知的な光を湛えて鋭く澄み渡っていた。
それは、十年前の「天才魔導令嬢」と呼ばれた頃の姿ですら、まだ通過点に過ぎなかったと思わせるほどの、完成された美(ヴィーナス)だった。
「お、お嬢様……お召し替えを……」
入室してきた侍女長の手から、洗面用の銀盆がガシャリと音を立てて床に落ちた。
彼女は、かつてカシアンに冷遇されるエレナを鼻で笑い、ろくな食事も与えなかった使用人の筆頭だ。しかし、いま彼女は、目の前に立つエレナから溢れ出す「根源的な格の差」に、蛇に睨まれた蛙のように硬直していた。
「どうしたの? 早く片付けなさい」
エレナの声音は低く、そして鈴の音のように凛としていた。
その一言に含まれた無意識の威圧感に、侍女長は悲鳴に近い吐息を漏らし、その場に崩れるように膝をついた。
「も、申し訳ございません……! すぐ、すぐに!」
頭を床に擦り付ける使用人を冷ややかに見下ろし、エレナは部屋を出た。廊下ですれ違う使用人たちは皆、彼女の姿を認めると、まるで王族を迎えるかのように壁際へ飛び退き、深々と頭を下げる。
彼らは理解したのだ。この屋敷の主が誰であるか、本能が警告を発している。
一階の応接間では、リュカ・サリバンが優雅に茶を啜っていた。
エレナが姿を見せると、彼はカップを置き、眼鏡の奥の瞳に隠しようのない驚嘆を宿して立ち上がった。
「……予想を遥かに超えています。徴収された魔力が、貴女という器の中で完全に『覚醒』したようですね」
「お褒めに預かり光栄ですわ、リュカ様。それで、例の件は?」
リュカは表情を引き締め、一通の赤い封筒を差し出した。
「公爵家から差し押さえた帳簿を精査しましたが、お母様の遺品『女神の涙』は、三ヶ月前にカシアン氏によって闇のオークションに流されていました。買い手は――今夜、王宮で開催される夜会の主催者の一人です」
エレナの瞳に、冷たい炎が宿る。カシアンは、彼女の愛だけでなく、亡き母の思い出さえも金に換えていたのだ。
「今夜の夜会には、カシアンに媚びを売っていた貴族たちが勢揃いします。彼らに、本来の貴女の姿を見せつける絶好の機会です」
リュカは跪き、恭しくエレナの手を取った。
「エレナ・フォン・ラングリス閣下。……私に、その『女神』の帰還をエスコートさせていただけませんか?」
エレナは微かに口角を上げ、その手を取った。
それは、奪われたすべてを奪い返すための、華麗なる反撃の合図だった。
35
あなたにおすすめの小説
聖女の力に目覚めた私の、八年越しのただいま
藤 ゆみ子
恋愛
ある日、聖女の力に目覚めたローズは、勇者パーティーの一員として魔王討伐に行くことが決まる。
婚約者のエリオットからお守りにとペンダントを貰い、待っているからと言われるが、出発の前日に婚約を破棄するという書簡が届く。
エリオットへの想いに蓋をして魔王討伐へ行くが、ペンダントには秘密があった。
聖女追放 ~私が去ったあとは病で国は大変なことになっているでしょう~
白横町ねる
ファンタジー
聖女エリスは民の幸福を日々祈っていたが、ある日突然、王子から解任を告げられる。
王子の説得もままならないまま、国を追い出されてしまうエリス。
彼女は亡命のため、鞄一つで遠い隣国へ向かうのだった……。
#表紙絵は、もふ様に描いていただきました。
#エブリスタにて連載しました。
森聖女エレナ〜追放先の隣国を発展させたら元婚約者が泣きついてきたので処刑します〜
けんゆう
恋愛
緑豊かなグリンタフ帝国の森聖女だったエレナは、大自然の調和を守る大魔道機関を管理し、帝国の繁栄を地道に支える存在だった。だが、「無能」と罵られ、婚約破棄され、国から追放される。
「お前など不要だ」 と嘲笑う皇太子デュボワと森聖女助手のレイカは彼女を見下し、「いなくなっても帝国は繁栄する」 と豪語した。
しかし、大魔道機関の管理を失った帝国は、作物が枯れ、国は衰退の一途を辿る。
一方、エレナは隣国のセリスタン共和国へ流れ着き、自分の持つ「森聖力」の真価 に気づく……
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
尽くしてきた婚約者に裏切られたので、婚約を解消しました〜彼が愛に気づいたのは、すべてを失ったあとでした〜
ともどーも
恋愛
「今回で最後だ。誓うよ」
これは二度目の『結婚式キャンセル』の時に言われた言葉。
四年間、愛する婚約者ディートリッヒのため尽くし続けてきたイリス。
だがディートリッヒは、イリスの献身を当然のものとし、やがて初恋の令嬢エレノアを優先するようになる。
裏切り、誤解、そして理不尽な糾弾。
心も身体も限界を迎えた夜、イリスは静かに決意した。
──もう、終わらせよう。
ディートリッヒが「脅しのつもり」で差し出した婚約解消の書類を、イリスは本当に提出してしまう。
すべてを失ってから、ようやく自分の愛に気づいたディートリッヒ。
しかしもう、イリスは振り返らない。
まだ完結まで執筆が終わっていません。
20話以降は不定期更新になります。
設定はゆるいです。
女神に頼まれましたけど
実川えむ
ファンタジー
雷が光る中、催される、卒業パーティー。
その主役の一人である王太子が、肩までのストレートの金髪をかきあげながら、鼻を鳴らして見下ろす。
「リザベーテ、私、オーガスタス・グリフィン・ロウセルは、貴様との婚約を破棄すっ……!?」
ドンガラガッシャーン!
「ひぃぃっ!?」
情けない叫びとともに、婚約破棄劇場は始まった。
※王道の『婚約破棄』モノが書きたかった……
※ざまぁ要素は後日談にする予定……
【完結】たぶん私本物の聖女じゃないと思うので王子もこの座もお任せしますね聖女様!
貝瀬汀
恋愛
ここ最近。教会に毎日のようにやってくる公爵令嬢に、いちゃもんをつけられて参っている聖女、フレイ・シャハレル。ついに彼女の我慢は限界に達し、それならばと一計を案じる……。ショートショート。※題名を少し変更いたしました。
『婚約破棄された悪役令嬢ですが、嫁ぎ先で“連れ子三人”の母になりました ~三人の「ママ」が聞けるまで、私は絶対に逃げません~』
放浪人
恋愛
「母はいりません」と拒絶された悪役令嬢が、最強の“ママ”になるまでの物語。
「君のような可愛げのない女は、王妃にふさわしくない」
身に覚えのない罪で婚約破棄され、“悪役令嬢”の汚名を着せられたクラリス。 彼女が新たに嫁いだのは、北方の辺境を守る「氷の公爵」ことレオンハルト・フォン・グレイフだった。
冷え切った屋敷で彼女を待っていたのは、無表情な夫と、心に傷を負った三人の連れ子たち。 「僕たちに、母はいりません」 初対面で突きつけられた三つの拒絶。しかし、クラリスは諦めなかった。
「称号はいりません。私が欲しいのは――あなたたち三人の『ママ』になれる日だけです」
得意の生活魔法『灯(ともしび)』で凍えた部屋を温め、『鎮(しずめ)』の歌で夜泣きを癒やし、家政手腕で荒れた食卓を立て直す。 クラリスの献身的な愛情は、頑なだった子供たちの心を解きほぐし、やがて不器用な夫の氷の心さえも熱く溶かしていく。
これは、不遇な悪役令嬢が「最強の母」となり、家族を脅かす元婚約者や魔獣たちを華麗に撃退し、最愛の家族から「ママ」と呼ばれるその日までを綴った物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる