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第4話:味方の引き抜き(ヘッドハンティング)
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王宮から帰宅したディートリヒの顔は、土気色を通り越して白を通り越して、もはや形容しがたい惨めなものだった。
「どういうことだ、エルゼ!あの報告書、国王陛下から『数字の根拠が不明瞭だ』と、こっぴどく叱責されたじゃないか!」
玄関ホールに響き渡る弟の怒鳴り声。私は階段の上から、優雅に彼を見下ろした。
「あら、おかしいですわね。私は完璧に仕上げたつもりですけれど……。ディートリヒ、もしかして、計算式の変数について、ご自分の言葉で説明できなかったのですか?」
「へ、変数だと……!?あんなもの、お前が適当に作ったデタラメだろう!」
「デタラメではありませんわ。魔導演算を用いた、最新の経済理論です。……ああ、そういえば、あなたは学院時代、算術の成績が『落第寸前』でしたわね。理解できないのは、私のせいではなく、あなたの不勉強のせいではありませんこと?」
「貴様……ッ!」
ディートリヒが拳を振り上げる。しかし、私は一歩も引かなかった。
前世の私なら怯えて謝っていただろう。けれど、今の私の背後には、昨日ギルドで契約を交わしたシオンの影がある。
「暴力は感心しませんわ。……そんな暇があるのなら、明日までに提出し直すよう命じられた再報告書、ご自分で作成されたらどうです?」
私は冷たく言い捨てると、そのまま踵を返した。
背後で「覚えていろよ!」と喚く声が聞こえるが、もはや心地よい子守唄にしか聞こえない。
自室に戻るふりをして、私は屋敷の裏口へと向かった。
そこには、一人の若い男が待っていた。
「……お呼びでしょうか、お嬢様」
御者のトニだ。彼は、前世で私が無実の罪を着せられ処刑場へ送られる際、最後まで「お嬢様はそんなことをする方ではない!」と叫び、騎士たちに殴り倒された唯一の人物だった。
「トニ。あなた、確か病気がちなお母様がいらしたわね」
「……ええ。ですが、お嬢様から頂いたお薬代のおかげで、今は落ち着いております」
「そう。……トニ、あなたに話があるの。私は近いうちに、この家を出るわ。……私と一緒に、隣国へ来ないかしら?」
トニの目が驚きで見開かれる。
私は彼の手をそっと握り、言葉を続けた。
「もちろん、お母様も一緒よ。隣国の保養地に近い場所に、家と、私の商会の専属御者としての職を用意するわ。……このままここで、父様やディートリヒに使い潰されるだけの人生でいいの?」
「……お嬢様……」
トニの瞳に涙が溜まる。
彼は深く頭を下げた。
「お嬢様が行かれる場所なら、地獄の果てまでお供します。俺の命は、あの時お嬢様に拾われた時から、貴女様のものです」
「ありがとう、トニ。心強いわ」
これで、料理長のハンスに続き、御者のトニも確保した。
公爵家という巨大な屋敷を動かすための「血管」を、私は一本ずつ自分のものへと繋ぎ変えていく。
その夜。
私は父に呼び出された。書斎には、不機嫌そうな父と、泣き腫らした顔のディートリヒがいた。
「エルゼ。ディートリヒから聞いたぞ。お前、弟に嫌がらせをしたそうだな」
父は酒臭い息を吐きながら、私を睨みつけた。
「嫌がらせなど滅相もございません。ただ、ディートリヒ様の理解力に合わせて書類を調整しなかったのは、私の落ち度かもしれませんわ」
「ふん、ならいい。……それより、お前に話がある。成金貴族のボルマン伯爵から、お前を後妻に迎えたいという打診があった。多額の結納金を提示されている。受けるな?」
前世と同じ展開。
私を「物」として売り払い、自分たちの贅沢品やギャンブルの種銭にするつもりなのだ。
前世の私は、家のためだと思い込み、泣きながら承諾した。
けれど、今の私は――。
「……わかりましたわ、お父様。そのお話、前向きに検討させていただきます」
私は深く頭を下げ、顔を隠して不敵に微笑んだ。
ボルマン伯爵。金だけは持っている、傲慢な男。
彼が差し出す結納金、そして公爵家の名義で行われる全ての「契約」。
それらはすべて、私が用意した個人口座へと流れ落ちるように、すでに魔法の契約書を書き換えてある。
「ああ、楽しみですわ。お父様。……あなたがその結納金を手にしようとした時、金庫の中がどうなっているか」
私は心の中で呟いた。
公爵家の崩壊は、私という『便利屋』がいなくなるその瞬間に、爆発的に始まるのだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます! 「続きが気になる!」「面白そう!」と思っていただけたら、 【お気に入り登録】と【感想やいいね】をいただけると執筆の励みになります!
「どういうことだ、エルゼ!あの報告書、国王陛下から『数字の根拠が不明瞭だ』と、こっぴどく叱責されたじゃないか!」
玄関ホールに響き渡る弟の怒鳴り声。私は階段の上から、優雅に彼を見下ろした。
「あら、おかしいですわね。私は完璧に仕上げたつもりですけれど……。ディートリヒ、もしかして、計算式の変数について、ご自分の言葉で説明できなかったのですか?」
「へ、変数だと……!?あんなもの、お前が適当に作ったデタラメだろう!」
「デタラメではありませんわ。魔導演算を用いた、最新の経済理論です。……ああ、そういえば、あなたは学院時代、算術の成績が『落第寸前』でしたわね。理解できないのは、私のせいではなく、あなたの不勉強のせいではありませんこと?」
「貴様……ッ!」
ディートリヒが拳を振り上げる。しかし、私は一歩も引かなかった。
前世の私なら怯えて謝っていただろう。けれど、今の私の背後には、昨日ギルドで契約を交わしたシオンの影がある。
「暴力は感心しませんわ。……そんな暇があるのなら、明日までに提出し直すよう命じられた再報告書、ご自分で作成されたらどうです?」
私は冷たく言い捨てると、そのまま踵を返した。
背後で「覚えていろよ!」と喚く声が聞こえるが、もはや心地よい子守唄にしか聞こえない。
自室に戻るふりをして、私は屋敷の裏口へと向かった。
そこには、一人の若い男が待っていた。
「……お呼びでしょうか、お嬢様」
御者のトニだ。彼は、前世で私が無実の罪を着せられ処刑場へ送られる際、最後まで「お嬢様はそんなことをする方ではない!」と叫び、騎士たちに殴り倒された唯一の人物だった。
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「そう。……トニ、あなたに話があるの。私は近いうちに、この家を出るわ。……私と一緒に、隣国へ来ないかしら?」
トニの目が驚きで見開かれる。
私は彼の手をそっと握り、言葉を続けた。
「もちろん、お母様も一緒よ。隣国の保養地に近い場所に、家と、私の商会の専属御者としての職を用意するわ。……このままここで、父様やディートリヒに使い潰されるだけの人生でいいの?」
「……お嬢様……」
トニの瞳に涙が溜まる。
彼は深く頭を下げた。
「お嬢様が行かれる場所なら、地獄の果てまでお供します。俺の命は、あの時お嬢様に拾われた時から、貴女様のものです」
「ありがとう、トニ。心強いわ」
これで、料理長のハンスに続き、御者のトニも確保した。
公爵家という巨大な屋敷を動かすための「血管」を、私は一本ずつ自分のものへと繋ぎ変えていく。
その夜。
私は父に呼び出された。書斎には、不機嫌そうな父と、泣き腫らした顔のディートリヒがいた。
「エルゼ。ディートリヒから聞いたぞ。お前、弟に嫌がらせをしたそうだな」
父は酒臭い息を吐きながら、私を睨みつけた。
「嫌がらせなど滅相もございません。ただ、ディートリヒ様の理解力に合わせて書類を調整しなかったのは、私の落ち度かもしれませんわ」
「ふん、ならいい。……それより、お前に話がある。成金貴族のボルマン伯爵から、お前を後妻に迎えたいという打診があった。多額の結納金を提示されている。受けるな?」
前世と同じ展開。
私を「物」として売り払い、自分たちの贅沢品やギャンブルの種銭にするつもりなのだ。
前世の私は、家のためだと思い込み、泣きながら承諾した。
けれど、今の私は――。
「……わかりましたわ、お父様。そのお話、前向きに検討させていただきます」
私は深く頭を下げ、顔を隠して不敵に微笑んだ。
ボルマン伯爵。金だけは持っている、傲慢な男。
彼が差し出す結納金、そして公爵家の名義で行われる全ての「契約」。
それらはすべて、私が用意した個人口座へと流れ落ちるように、すでに魔法の契約書を書き換えてある。
「ああ、楽しみですわ。お父様。……あなたがその結納金を手にしようとした時、金庫の中がどうなっているか」
私は心の中で呟いた。
公爵家の崩壊は、私という『便利屋』がいなくなるその瞬間に、爆発的に始まるのだ。
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