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夫のオフィスにて
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夫の所為で朝寝坊してしまった私は渡せなかったお弁当を届けに久しぶりに本省の省舎へと訪れた。
ついで……と言っては本人は嘆くだろうけど父の顔も見て行こうと思って、レグランのオフィスに行く前に父の所へ立ち寄る。
(実家は近くなので母親とはマメに会っている)
父の今の役職は法務部の部長。
アデリオール魔術学園やハイラント魔法学校卒ではなく街の私塾の出身でありながら入省試験に次席で合格した父は云わば叩き上げの高官だ。
上に厳しく下に優しく、そして己にも厳しく娘(私)には甘い豪快で懐深い、私の自慢の父なのだ。
恥ずかしいから父には滅多に言わないけど。
(一度感謝の気持ちを込めて言ったら号泣されて大変だったから)
父のオフィスの前で顔見知りの職員に声を掛け、部長室のドアをノックする。
中から「はい」と返事があり、父の副官の方がドアを開けてくれた。
「お父さん」
副官の方に挨拶をして父を呼ぶと、書類に目を落としていた父がぱっと顔を上げて笑顔になった。
「おお、リオナ!どうしたんだ急に」
「レグランにお弁当を届けに来たの。その前にお父さんの顔を見ていこうと思って」
「嬉しいなぁ。どうだ結婚生活は?仲良くやっているか?」
「ええまぁ普通にね。他と比べる所がないからわからないけど、順調だと思う」
「そうか、そうか。あ、その弁当を一万五千エーンで買い取ってもいいぞ?」
「それってレストランのディナー並の金額じゃない。お母さん仕込みの味なんだから、お父さんは持ってきたお弁当を食べてください。これは夫のために作ったものです」
「そうか……お前、本当に嫁に行ったんだなぁ……」
急にしみじみとそう言う父に向かって、私は前々から気になっていた事を訊ねた。
「そういえばお父さん。お見合い前にレグランに何と言って私を紹介したの?」
「ん?俺の娘は可愛いくていい子だぞ~っ、本当はどこにも嫁がさず一生手元に置きたいが、お前になら任せてやってもいいぞ~っだったかな」
「それじゃレグランにしてみれば押し付けられたも同然じゃない!上官にそう言われて、彼に拒否権なんてないでしょう!」
「そんなわけあるか。それにだな、きっかけはそうだったかもしれんが……「もういい、聞きたくないわっ」
と、私はこれ以上は言わすまいと言葉を遮った。
父の紹介での見合いなんだから当然なんだけど、如何にも無理やり押し付けられたレグランが気の毒になってしまう。
まぁ今さら何を言っても詮無いことだけど。
それからは最近実家で飼い出した子犬が父より母に大切にされているという愚痴というか惚気を聞いて、私は父のオフィスを後にした。
そして今度はレグランのオフィスへと向かう。
監査室を訪れるのは初めてなので少し緊張しながら室内に居た入省してまだ年数が浅そうな若い男性職員にレグランへの取り次ぎを願う。
「室長への面会ですか?お約束はされていますか?」
「ええ。ランチタイムに伺うと朝に伝えています」
「そうなんですね。えっと、失礼ですがお名前は……」
「レグラン・グライユルの妻、リオナ・グライユルと申します。主人がいつもお世話になっております」
「えっ……室長の実の奥さんっ……あ!し、失礼しましたっ!」
実の奥さんとはなによ。
なるほど。監査室の職員ならいつもレグランと“仕事上の妻”であるラミレスさんの様子を見ているんだものね。
レアな本妻が現れた、といって驚いたというところかしら。
悪気はないのはわかっているけど、あまり良い気がしないわ。
だけど私はそれをおくびにも出さず笑顔で返した。
「いいえ。お気になさらず。……主人はオフィスにいるのでしょうか?」
「は、はいっ……」
「それなら自分で声を掛けさせて頂きますわね。ご対応、ありがとうございます」
「は、はいっ……」
職員の方、なんだか急に顔を赤らめたけど何がそんなに恥ずかしいのかしら。
あ、きっと自分の失言に恥じ入ったのね。
私はそう勝手に解釈して軽く会釈をしてからレグランのオフィスへと歩みを進めた。
そしてノックしようとドアに手を差し掛けた時、中からラミレスさんの声が聞こえてきた。
部屋の外にいる私にまで聞こえるのだから、わりと大きな声で話しているらしい。
「私はべつに出世したいとは思っておりませんっ。やり甲斐のある仕事に就き、思うように働ければそれでいいんですっ……!」
そんなラミレスさんの声に続き、レグランの声も聞こえてきた。
「しかしだな、キミのよう優秀な人を一補佐官に留めておくのは魔法省全体の損失となると私は思うんだ」
「私の異動はまだ決定ではないのですよねっ?取り下げてください、グライユル室長のお側で働きたいんですっ……!」
「……そう言わず、キミ自身のために前向きに検討してほしい」
「室長っ……!」
これは昨夜レグランが言っていた、ラミレスさんの転属の話ね。
やはりラミレスさんはそれを拒否するわけか。
好きな人の側で働きたい、そう願うのは一万歩譲ってわからなくはない、わからなくはないけれど……。
たまたまドアの前に来て聞こえてしまったから仕方ないと思うけど、これ以上は盗み聞きになってしまう。
なので私は思いきってドアをノックした。
「はいどうぞ」
レグランの応ずる声が聞こえたのでドアを開けて中へ入室する。
「お仕事中にごめんなさい。朝に届けると言っていたお弁当です」
室内を見て私がそう告げるとレグランは席を立って私のところまで来た。
ラミレスさんは俯いている。
「リオナ。わざわざすまないな、ありがとう」
私は場の重い雰囲気を変えようとわざと明るく話す。
「いいえ。今日のランチボックスの中身はタンドリーチキンサンドよ。キャロットラペや紫キャベツにキュウリ。お野菜も沢山サンドしてあるから栄養満点だからね」
「それは美味そうだ。早速いただくよ」
レグランがそう言いながらお弁当を受け取る。
その様子を見ていたラミレスさんが私に向かって鷹揚に言った。
「まぁ奥様、ご存知なかったのですか?グライユル室長は人参と紫キャベツがお嫌いなんですよ?」
「え?そ、そうなの?」
そんなの初耳だわ。
結婚生活の初日に嫌いな食べ物を訊いたらとくに好き嫌いはないと言っていたのに。
「いや、それはだな、」
レグランが気まずそうに私に何かを告げようとしたのに被せるようにラミレスさんが尚も言う。
「だから申し上げたじゃないですか、室長の事は何でも私に訊いてくださいと。そうしたらこんなミスをせずに済みましたのに」
「……ミス?」
結婚したばかりの夫の嫌いな食べ物を知らなかっただけでそれをミスと扱う?
なんとまぁ大袈裟な。
もしかして今、彼女に八つ当たりされてる?
私はなんだか相手にするのもバカバカしくなって彼女の発言を無視してレグランに向かって素直に謝る。
「嫌いだと知っていたら入れなかったわ。本当にごめんなさい」
するとレグランはとても優しい声色で私に言った。
「違うんだリオナ。確かに以前は人参も紫キャベツも好きではなかった。人参は野菜のくせに甘いし紫キャベツはあの禍々しい色が食べ物に見えず嫌遠していた。だけど結婚前からリオナやお義母さんの作る食事でそれらを食べるようになって、初めてその美味しさを知ったんだ。おかげで今ではどちらも嫌いではない。だからキミに言わなかったんだよ」
「そうだったのね……良かった……!」
レグランの言葉に私はほっとしてラミレスさんを見た。
彼女は何やら勝手にショックを受けたような顔をしている。
なにが何でも訊いてくれよ。
レグランデータが更新されてないじゃない。
私はラミレスさんに笑顔で告げる。
「ですって。さすがのラミレスさんも何でも知っているわけではなかったようですね」
「っ……」
それに対し、彼女は何も言わずに無表情を貫いていたがきっと内心悔しがっている事だろう。
それにしても……ラミレスさんは本当にレグランの事が好きなのね……。
一体いつから?
彼女はいつからレグランに特別な感情を抱いていたのかしら……?
ついで……と言っては本人は嘆くだろうけど父の顔も見て行こうと思って、レグランのオフィスに行く前に父の所へ立ち寄る。
(実家は近くなので母親とはマメに会っている)
父の今の役職は法務部の部長。
アデリオール魔術学園やハイラント魔法学校卒ではなく街の私塾の出身でありながら入省試験に次席で合格した父は云わば叩き上げの高官だ。
上に厳しく下に優しく、そして己にも厳しく娘(私)には甘い豪快で懐深い、私の自慢の父なのだ。
恥ずかしいから父には滅多に言わないけど。
(一度感謝の気持ちを込めて言ったら号泣されて大変だったから)
父のオフィスの前で顔見知りの職員に声を掛け、部長室のドアをノックする。
中から「はい」と返事があり、父の副官の方がドアを開けてくれた。
「お父さん」
副官の方に挨拶をして父を呼ぶと、書類に目を落としていた父がぱっと顔を上げて笑顔になった。
「おお、リオナ!どうしたんだ急に」
「レグランにお弁当を届けに来たの。その前にお父さんの顔を見ていこうと思って」
「嬉しいなぁ。どうだ結婚生活は?仲良くやっているか?」
「ええまぁ普通にね。他と比べる所がないからわからないけど、順調だと思う」
「そうか、そうか。あ、その弁当を一万五千エーンで買い取ってもいいぞ?」
「それってレストランのディナー並の金額じゃない。お母さん仕込みの味なんだから、お父さんは持ってきたお弁当を食べてください。これは夫のために作ったものです」
「そうか……お前、本当に嫁に行ったんだなぁ……」
急にしみじみとそう言う父に向かって、私は前々から気になっていた事を訊ねた。
「そういえばお父さん。お見合い前にレグランに何と言って私を紹介したの?」
「ん?俺の娘は可愛いくていい子だぞ~っ、本当はどこにも嫁がさず一生手元に置きたいが、お前になら任せてやってもいいぞ~っだったかな」
「それじゃレグランにしてみれば押し付けられたも同然じゃない!上官にそう言われて、彼に拒否権なんてないでしょう!」
「そんなわけあるか。それにだな、きっかけはそうだったかもしれんが……「もういい、聞きたくないわっ」
と、私はこれ以上は言わすまいと言葉を遮った。
父の紹介での見合いなんだから当然なんだけど、如何にも無理やり押し付けられたレグランが気の毒になってしまう。
まぁ今さら何を言っても詮無いことだけど。
それからは最近実家で飼い出した子犬が父より母に大切にされているという愚痴というか惚気を聞いて、私は父のオフィスを後にした。
そして今度はレグランのオフィスへと向かう。
監査室を訪れるのは初めてなので少し緊張しながら室内に居た入省してまだ年数が浅そうな若い男性職員にレグランへの取り次ぎを願う。
「室長への面会ですか?お約束はされていますか?」
「ええ。ランチタイムに伺うと朝に伝えています」
「そうなんですね。えっと、失礼ですがお名前は……」
「レグラン・グライユルの妻、リオナ・グライユルと申します。主人がいつもお世話になっております」
「えっ……室長の実の奥さんっ……あ!し、失礼しましたっ!」
実の奥さんとはなによ。
なるほど。監査室の職員ならいつもレグランと“仕事上の妻”であるラミレスさんの様子を見ているんだものね。
レアな本妻が現れた、といって驚いたというところかしら。
悪気はないのはわかっているけど、あまり良い気がしないわ。
だけど私はそれをおくびにも出さず笑顔で返した。
「いいえ。お気になさらず。……主人はオフィスにいるのでしょうか?」
「は、はいっ……」
「それなら自分で声を掛けさせて頂きますわね。ご対応、ありがとうございます」
「は、はいっ……」
職員の方、なんだか急に顔を赤らめたけど何がそんなに恥ずかしいのかしら。
あ、きっと自分の失言に恥じ入ったのね。
私はそう勝手に解釈して軽く会釈をしてからレグランのオフィスへと歩みを進めた。
そしてノックしようとドアに手を差し掛けた時、中からラミレスさんの声が聞こえてきた。
部屋の外にいる私にまで聞こえるのだから、わりと大きな声で話しているらしい。
「私はべつに出世したいとは思っておりませんっ。やり甲斐のある仕事に就き、思うように働ければそれでいいんですっ……!」
そんなラミレスさんの声に続き、レグランの声も聞こえてきた。
「しかしだな、キミのよう優秀な人を一補佐官に留めておくのは魔法省全体の損失となると私は思うんだ」
「私の異動はまだ決定ではないのですよねっ?取り下げてください、グライユル室長のお側で働きたいんですっ……!」
「……そう言わず、キミ自身のために前向きに検討してほしい」
「室長っ……!」
これは昨夜レグランが言っていた、ラミレスさんの転属の話ね。
やはりラミレスさんはそれを拒否するわけか。
好きな人の側で働きたい、そう願うのは一万歩譲ってわからなくはない、わからなくはないけれど……。
たまたまドアの前に来て聞こえてしまったから仕方ないと思うけど、これ以上は盗み聞きになってしまう。
なので私は思いきってドアをノックした。
「はいどうぞ」
レグランの応ずる声が聞こえたのでドアを開けて中へ入室する。
「お仕事中にごめんなさい。朝に届けると言っていたお弁当です」
室内を見て私がそう告げるとレグランは席を立って私のところまで来た。
ラミレスさんは俯いている。
「リオナ。わざわざすまないな、ありがとう」
私は場の重い雰囲気を変えようとわざと明るく話す。
「いいえ。今日のランチボックスの中身はタンドリーチキンサンドよ。キャロットラペや紫キャベツにキュウリ。お野菜も沢山サンドしてあるから栄養満点だからね」
「それは美味そうだ。早速いただくよ」
レグランがそう言いながらお弁当を受け取る。
その様子を見ていたラミレスさんが私に向かって鷹揚に言った。
「まぁ奥様、ご存知なかったのですか?グライユル室長は人参と紫キャベツがお嫌いなんですよ?」
「え?そ、そうなの?」
そんなの初耳だわ。
結婚生活の初日に嫌いな食べ物を訊いたらとくに好き嫌いはないと言っていたのに。
「いや、それはだな、」
レグランが気まずそうに私に何かを告げようとしたのに被せるようにラミレスさんが尚も言う。
「だから申し上げたじゃないですか、室長の事は何でも私に訊いてくださいと。そうしたらこんなミスをせずに済みましたのに」
「……ミス?」
結婚したばかりの夫の嫌いな食べ物を知らなかっただけでそれをミスと扱う?
なんとまぁ大袈裟な。
もしかして今、彼女に八つ当たりされてる?
私はなんだか相手にするのもバカバカしくなって彼女の発言を無視してレグランに向かって素直に謝る。
「嫌いだと知っていたら入れなかったわ。本当にごめんなさい」
するとレグランはとても優しい声色で私に言った。
「違うんだリオナ。確かに以前は人参も紫キャベツも好きではなかった。人参は野菜のくせに甘いし紫キャベツはあの禍々しい色が食べ物に見えず嫌遠していた。だけど結婚前からリオナやお義母さんの作る食事でそれらを食べるようになって、初めてその美味しさを知ったんだ。おかげで今ではどちらも嫌いではない。だからキミに言わなかったんだよ」
「そうだったのね……良かった……!」
レグランの言葉に私はほっとしてラミレスさんを見た。
彼女は何やら勝手にショックを受けたような顔をしている。
なにが何でも訊いてくれよ。
レグランデータが更新されてないじゃない。
私はラミレスさんに笑顔で告げる。
「ですって。さすがのラミレスさんも何でも知っているわけではなかったようですね」
「っ……」
それに対し、彼女は何も言わずに無表情を貫いていたがきっと内心悔しがっている事だろう。
それにしても……ラミレスさんは本当にレグランの事が好きなのね……。
一体いつから?
彼女はいつからレグランに特別な感情を抱いていたのかしら……?
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