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まるでマーキング

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その日、比較的早くに帰宅した夫レグランに私は訊ねてみた。

「そういえば、朝はいつも副官のお迎えがあるけれど、遅い時間の帰宅も副官の見送りはあるの?」

レグランは日付けが変わって帰宅する事もよくあるのだけど、上官を送り届けてから帰ったのでは女性として危ないのではないかと前々から気になっていたのだ。

すると脱いだローブを私に手渡しながらレグランが答えた。

「男性職員なら帰りも送り届けがあるが、ラミレスは遅くならない時間に帰宅させているから問題ないよ。彼女のアパートは省舎のすぐ近くらしいしな」

「そうなの、良かった安心したわ」

夜遅い時間まで一緒に働いているわけじゃなくて。

もちろん監査室には他の職員もいるわけだから二人きりになる事はないとわかっていても、やはりモヤモヤしていたから。

レグランは脱いだジャケットも私に手渡しながら言う。

「それに、そろそろ副官の交代も考えているんだ」

「えっ」

思いがけない言葉に、私は思わず大きな声を出してしまった。

「なかなか思うような人材がいなくてすぐという訳にはいかないが、いつまでもラミレスを下に置いておくのもどうかと思ってな」

「そ、それは……どういう……意味かしら?」

私のために?
妻と呼ばれる人間は一人でいいからとか?

「ラミレスほど優秀な職員を副官止まりにさせておくのは魔法省全体の損失に繋がる。彼女はもっと上を目指すべきだ」

その言葉を聞き、私は膨らんだ気持ちが一気に萎んだ。
とどのつまりはラミレスさんの能力を高く評価していて、魔法省のために役立てようと考えているだけか。
まぁいいんだけどね。
“仕事上の妻”が居なくなってくれる事で、私の心の平穏は訪れるのだから。

だけどその後すぐに、
「あの噂もそろそろなんとかしたいしな」とレグランが呟いたのは私の耳には届かなかった。
だって夫のジャケットの袖の釦を見てそれどころじゃなくなったから。

私はその釦に目を落としながらレグランに訊ねる。

「これ、釦が外れたの?そして誰かが付けてくれたの?」

明らかに私の手法とは違う釦の付け方だったからすぐにわかった。

「ああ。人を避けた時に何かの金具に引っ掛けてね、釦が取れてしまったんだ。飛んだ釦がすぐに見つかって良かったよ」

「それで?この釦を付けたのはラミレスさん?」

「よくわかったな。その時、裁縫が出来る人間が彼女しかいなかったんだ。袖の釦が取れたくらい業務に差し支えがないから家で妻に付けて貰うと言ったんだが、自分が付けると彼女が申し出て手早く付けてくれたんだ」

「……そう。でもせっかくだけど使用している糸が他の釦と違うからやっぱり私が付け替えるわね」

「ああ、ありがとう」

私はその後、レグランの入浴中に早速釦の付け直しをした。

釦はこれでもかというほどガッチリとジャケットに縫い付けられていた。
それはもう、まるでレグランへの執着を示しているくらいに。

私はシャキーンと糸切り鋏を手に構え、容赦なくその糸を切っていく。

「こんなに隙間なくガッチガチに縫い付けたら遊びがなくて余計に取れやすくなるのよっ……あの人、優秀で仕事が出来るバリキャリかもしれないけど、裁縫は不出来みたいねっ……」

そうして実家の母仕込みの裁縫技術を駆使してテーラーの仕事にも負けないくらいにきちんと釦を付け替えてやった。

なんだか自分のものにマーキングされたような気がしてむしゃくしゃしていたけど、元通りにして気分はスッキリだ。

せっかく少しだけ早く帰宅した夫との時間を気持ち良くすごしたいものね。

「これでよし!」

それから私は晩酌をするレグランのために手早く数品のおつまみを作って、夫婦で一緒にお酒を楽しんだ。
それから後は新婚夫婦なら当たり前の夜となったので割愛させて頂こう。


だから……次の日の朝はうっかり寝坊してしまった。

いつもの起床時間を一時間も寝過ごしてしまったのだ。
時刻はすでに七時。
八時にはラミレスさんが迎えに訪れるからそれまでにレグランの朝食を済まさなくてはならない。

まぁそれは問題ない。
朝食メニューはたとえ少々手が込んでいても一時間もあれば作って配膳して食べさせるまで余裕だ。
スーツもシャツもローブもいつでも着れるように予備をスタンバイさせてある。

だけどお弁当までは無理だった。
私が寝坊してお弁当が間に合わない事をレグランに謝ると、彼は何でもない事のように言った。

「そんな事を気にする必要はない。むしろ今朝はゆっくり休んでいて良かったんだ。昨夜はかなり無理をさせた自覚はある……すまん、俺の所為だな。自制が利かんかった」

と昨夜の睦事を思い出させるような事を言うものだから私は思わず赤面してしまう。
もう!朝から変なことを言わないで欲しい。

するとすぐに玄関のチャイムが鳴り、ラミレスさんの訪いを知らせた。

ドアを開けて対応した私の顔がまだ少し赤いのを怪訝そうに見ながらラミレスさんがレグランに挨拶をする。

「おはようございます室長」

「おはよう。今日もよろしく」

私はふとある事を思いつき、ラミレスさんに訊ねた。

「今日の主人の昼食時の予定はどうなっていますか?」

唐突な私の質問にラミレスさんは私にだけわかるようなさり気ない不承不承といった態で答えた。

「ランチタイムですか?……とくに外に出る予定もなく省舎内にいますが……」

「良かった。今朝はお弁当を作れなかったので後で届けますね」

「……そんな、大変じゃないですか?省舎内には食堂もあるんですから」

「でも、それなら夕食も食堂となってしまいます。夫にはなるべく手作りのものを食べて欲しくて。レグラン、後で届けるわね?」

「キミがいいならそれは嬉しいが……本当に無理はするなよ?」

「ええ。大丈夫よ」

「……室長、そろそろお出にならないと」

「そうだな。じゃあリオナ、また後で」

そう言ってレグランはじっと私を見た。
一見いつもと変わらない様子で彼が何を期待しているのかが分かって、私は思わず小さく笑う。

「ふふ。行ってらっしゃい」

私はそう言って彼の頬にキスをした。


今日の彼のお弁当はいつもに増して気合いを入れて作らなきゃ。






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