私は彼の迷い猫

吉ひなた

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第5章 迷い猫

第41話 優しい言葉

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 馴染んだマンションに辿り着き、私は陽太さんに抱えられたまま彼の部屋に再び足を踏み入れた。玄関を開けた瞬間、颯が飛びかかってくる。

「バウッ! バウッ!」
「こら、おすわり」

 陽太さんは私を片手に抱き、颯に大人しくするよう叱咤した。颯はそのまま鼻を鳴らすとしっかりおすわりをして落ち着きを戻す。それを確認し、陽太さんはリビングの電気を押した。
 パッと照明が辺りを照らし、陽太さんはそっと私の体をソファに下ろした。

「ちょっと待ってろ」
「にゃあ?」

 陽太さんは浴室へ向かったかと思うと、すぐに戻ってきた。湿ったタオルを握り、ソファに腰かけて私を膝の上に乗せる。ホカホカに温かいタオルで私の体を拭き始めた陽太さん。

「お前、少し汚れてる」
「みゃ……」

 埃と砂まみれだった私の体を丁寧に陽太さんは落としていく。心地いい温もりに、私は思わず喉が鳴った。ピンッと尻尾が立ち、無意識に体を陽太さんに擦りつけた。

「にゃあ……」
「なあ、陽菜子。俺言いたいことがあるんだけどさ」

 陽太さんが息を大きく吸い込み、私の頭を撫でた。

「俺はすげえ鈍感だし、気に食わねえことがあるとすぐにカッとなるし、女の扱いがイマイチよくわかんねえ」

 突然の告白に、私はふと顔を上げた。

「和真みたいにあっさりと割り切れるわけじゃねえ。嫉妬深いし、かなりしつこい性格だと思う。おまけに大和みたいに冷静でもいられねえ。お前がいないと落ち着かないし、いつでも姿を探しちまう。そんでもって、蓮みたいに待つのが得意なわけでもねえ。会いたくて仕方ないし、触りたくてたまらない。俺はあいつらと違って精神的にガキだし、自分勝手だってこともよくわかってる」

 陽太さんが真っすぐ私に瞳を向けて続けた。

「お前が好きすぎて……好きすぎて、俺は自分の欲でしか動けねえんだよ。いつだって心は掻き乱されて……お前のことしか考えられなくなるんだ」

 陽太さんの声が私の胸に染み込むような感覚に囚われた。私は目を見開き息を小さく飲む。

(陽太さん……)

 陽太さんは僅かに頬を染めた。

「ここまで誰かを好きになったのは、生まれて初めてなんだよ。お前が嫌がったり怒ったり、逃げられると無償に構いたくなって。もっと色んな顔が見たいって思って。もっと触りたくて仕方なくて! ただ……寄り添うだけじゃ、俺はもう物足りないんだ。お前が傍にいるだけで、俺はお前を抱きたいって思う。俺だけに見せるお前の顔が見たいって思う。お前の可愛い声が聞きたいって思う。……こんな俺のこと……お前は呆れるかもしれないけど、でもこれが俺だから」

 陽太さんがよく私のことを構い倒す姿を振り返る。彼の心情を理解し、私は体が熱くなった。スカートを捲ったり、胸やお尻を触ったり。助平なんて品のない言葉を投げていたが、よく思えばあれは私限定の行為だったと思う。
 陽太さんは他の女性に靡くことがない。

「デリカシーがないのはわかってるよ。俺の周りには男しかいねえんだ。母さんは十歳の時に死んじまったし……親戚だって仲がいいわけじゃない。複雑な女心なんて……俺にはまったくわかんねえ」

 陽太さんが私の体をそっと抱き上げた。

「抱いたら怒る癖に、抱かなくても怒って。無理矢理抱いたら今度は泣いて。……俺は、お前が何して欲しいのか察するのが下手なんだよ。……だから!」

 くわっと陽太さんが声を大きく張った。

「どうして欲しいのかちゃんと口で言え。ちゃんと素直に甘えろよ。態度だけじゃ……鈍感な俺にはわかんねぇんだ」

 陽太さんがそう囁いた。
 乙女心は読めないと、結果的にそういうことを言っている陽太さん。私は僅かに口元を結んだ。
 今まで言いたいことがあった。伝えたい思いがあった。
 それを陽太さんが感じ取ってくれたことって、たぶん少ないかも。それは私にも言えることで、彼の態度だけで陽太さんが何を考えているのかすべてを理解することができなかった。

 今の私は猫だ。人間の言葉が喉から出てこない。
 それでも、強い思いは加速した。話したい。伝えたい。

 感情の枷が外れた私は、陽太さんに顔を寄せた。そして、ゆっくり唇を重ねる。

 陽太さんは驚いたように目を瞬くも、そっと私の体を引き寄せた。
 私の体が再び熱を帯び、鼓動が鳴った。陽太さんの体に縋れば、また体が白く光りを放つ。体が少しずつ大きくなり、また猫耳と尻尾という中途半端な姿に変身する私。

 唇を離し、私はそっと陽太さんの顔から離れた。


「……不安だったんです」


 私の口から人間の言葉が放たれた。裸のまま陽太さんの膝の上で向き合う体勢になるも、今は羞恥よりもさらに強い感情が心を覆う。
 涙を必死で堪え、私は震える声を出した。

「陽太さんは仕事を毎日頑張っていて。私とは全然違う生活を送っていて。でもそれは仕方ないってわかってたのに……応援したいって思ってたのに。私、子供だから……すごく幼いから。すれ違う生活を送ることに本当は寂しいと思ってたんです」

 高校を卒業してすぐに公務員への道を目指した陽太さん。
 一人の社会人として旅立つ彼の背中が、どこか遠くに思えて。どこか離れて行ってしまう気がして。中々会えない日々を送るのは、結構辛かった。
 でも陽太さんだって頑張っているから。尊敬すべきことだから。絶対に寂しいなんて口にしないと決めていた。
 電話だけで十分だと。メールだけで満足だと。我儘をこれ以上望んではいけないと自分に必死で言い聞かせていたんだ。

「クリスマスだとか、バレンタインだとか。記念日は関係ありません。私は、陽太さんに会えるだけですごく嬉しかった。服は何を着ようかずっと悩んで……。どんなことを話そうか、どんなことをして過ごそうか。考えるだけでワクワクして、ドキドキして……夜は全然眠れないことが多かったんですよ。でも実際は一日しか一緒にいることができなくて。あっという間に時間は経過して、また数週間会えない日々がやってきて……」

 私はグッと唇を噛み、息を少しだけ取り込んだ。

「もっと色んな話がしたくて。もっとくっつく時間が欲しくて。でも体を重ねちゃうと……私は体力がないから気が付いたら途中で寝ちゃうんです。次の日だって腰も立たなくて……そんな時間が、すごく勿体ない気がして……。それに私、今まで男性と付き合ったことがないから、どうすれば喜んでもらえるのか正直わかんなくて……身長低いし、足は短いし。顔だって丸いし。体だって自信がないんです」

 体を重ねることは嫌じゃない。
 だが、私は体力がないのだ。少しでも陽太さんの顔が見たいのに。もっと話がしたいのに。寝てしまう時間すら惜しく感じて。セックスばかりでは不安だった。もっと一緒にいたいと欲が出るのだ。
 陽太さんに身を任せることしかできないし、こんなことではいつか飽きられてしまうかもしれないと、そんな不安が過った。
 私の顔に熱が集中し、視界がジワリと滲んできた。

「猫になった時は……こんな変な体になったことで、もっと不安が募りました。一生猫のままだったらどうしようって毎日怖くて。私が猫として陽太さんに飼われる夢を見て……そこでは陽太さんは新しい女の人と一緒に暮らしてて。キスしてて……ひっぐ。陽太さんが誰かと一緒にいるとこなんて……見るだけで胸が張り裂けそうなくらい苦しくて……」

 瞳から抑えていた涙が零れた。
 私はボロボロ泣きながら嗚咽を繰り返す。

「ひっぐ……ひっく。猫みたいな……ひぐ……化け物みたいな体になったら……陽太さん、私のことを見てくれなくなる気がして……。私なんか魅力を感じなくなるような気がして……。いつもならいっぱい触ってくれるのに……一緒に寝てくれないし。避けてるし。……お酒飲んで頑張って甘えたって……全然私のこと見てくれなかったじゃないですかぁ」

 アルコールの力がなければ、私は素直に甘えることができないのだ。インターネットで調べた「男性が喜ぶこと」をとことん試してみようと思った。積極的に抱き付いたり。違う名前で呼んでみたり。彼の好物を作ってみたり。お風呂を沸かしてみたり。ただそれだけなのに、消極的な私は実行を移すことに勇気が出ないのだ。
 不器用だから。思考が幼いから。こんな自分が好きじゃなかった。
 溢れる涙を乱暴に拭えば、もうそれ以上言葉は続かなかった。
 鼻水を啜り、必死で息を殺していると優しく両手を掴まれた。自分の指により遮られていた視界が開いた瞬間、陽太さんが私の頭に手を回し唇を奪った。
 グッと近づいた顔に驚き、私は思わず身を固くする。陽太さんが顔の角度を変えてゆっくりと唇を啄んだ。

「ん……む……ん……」
「ん……」

 吐息が混ざり、軽いリップ音と共に陽太さんが少しだけ顔を離した。男らしい凛々しい眉。今は優しく、穏やかな色を映す瞳が視界に入り、私は胸が鳴った。

「馬鹿」

 陽太さんが呆れたように呟き、コツンッと私の額と自分の額を軽く寄せた。

「んな複雑すぎる感情……俺がわかるわけねえだろ」

 大きく溜息をついたかと思うと、今度はギュッと体を強く抱きしめられた。痛いぐらい腕を私の体に巻き付け、陽太さんは私の肩に顔を埋める。

「あー……参った。わかったよ……俺の負けだ」
「ふえ?」

 陽太さんが低く唸った。

「そっか、そういうことか。何だよお前、本当に面倒くさい女だな」
「え? 何を……」
「俺が悪かったよ。淋しい思いをさせた俺が悪かった。ごめんな」
「陽太さ……」

 困惑すると、陽太さんはそのまま続けた。

「陽菜子……俺さぁ。拾ってきた猫がお前だってわかった後、お前が家で待っててくれるって思ったらすげえ嬉しかったんだ」
「え?」
「ほら、俺ずっと一人だったからさ。颯しか家族がいなくて……仕事に行く時や帰ってきた時に誰かがいるって感覚が良くわかんなかったんだよ」

 私は仕事から帰ってくる陽太さんを思い出す。

「一緒に風呂入ったり。ソファでまったりしたり。朝飯作ってくれたり。夕飯作ってくれたり。洗濯してくれたり。帰ったら俺の部屋にお前が待っててくれてるって思うとさ……今までで一番幸せを感じてたんだよな」
「え? あんなことで……ですか?」
「あんなことって言っても、俺には特別だったんだよ」

 料理や洗濯なんて、言ってくれればいつだってやれるのだ。ただ陽太さんと私はすれ違ってばかりで、そういう機会が作れなかった。
 些細なことを喜ぶ彼を不思議に思うと、陽太さんは私を抱きしめる腕に力を込めた。

「だいたい俺が他の女を選ぶわけねえだろ。お前を振り向かせるのに、俺がどれだけ苦労したと思ってるんだ」
「……へ?」

 陽太さんが少しだけ私の体を離したかと思うと、彼に顎をクイッと上に向けられた。陽太さんの瞳に私の顔が映った。

「俺が先にお前を好きになったんだ。人間だろうが、猫だろうが……今更お前を離す気なんかさらさらねえからな」

 私が首を傾げると同時に、再び唇を塞がれた。

「ん……!」
「ちゅっ……ん」

 グッとお尻を引き寄せられ、私は思わず陽太さんの胸板に手を置いた。彼の服の裾をギュッと掴めば、陽太さんが深いキスへと変えてくる。唇を吸われ、舌が侵入してきた。
 熱い吐息を交えると、私の下肢が疼き始める。本能的に、思わず陽太さんの首に腕を回した。全身を押し付けるように陽太さんに体を摺り寄せると、陽太さんの手が私の尻尾の付け根を撫でる。

「んむ……にゃあ!」
「ふはっ……。悪い、今日はもう我慢しねえつもりだから。たっぷり可愛がってやんよ」 

 耳元で息を吹きかけられ、私は背筋がゾクゾクと反応した。
 陽太さんは私の瞼に残った涙をペロッと舐めると、膝下と脇の下に手を滑らせて立ち上がる。姫抱きをされた私は慌てて陽太さんの首に腕を回せば、陽太さんが私の耳を甘噛みした。

「お前が不安にならないよう……時間をかける。今日は寝かせるつもりねえから」
「ふえ……あ、あの……」
「ベッド行くぞ」

 陽太さんは甘い言葉を囁くと、私を抱いたまま寝室へと向かった。
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