最期の時間(とき)

雨木良

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榊 祐太郎 4

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ガチャ。

「紗希…。」

祐太郎の声に、紗希が振り返った。

「ゆうちゃん。…ゆうちゃん、良かったぁ!」

紗希は祐太郎の顔を見るなり、鞄を床に落とし、祐太郎に抱き付いた。

「ほんっとに心配してたんだから。返事の一つくらいしてよ。…そんな状態じゃ無かったの?」

紗希は潤んだ瞳で祐太郎を見つめた。祐太郎は、心苦しくなり、つい目を逸らしてしまった。

「と、とりあえず中に入ろう。こんなとこ誰かに見られたらさ。」

祐太郎は、紗希を会議室の中に引き入れ、椅子に座らせ、自分は対面に座った。

紗希はじっと祐太郎の表情を伺っていた。祐太郎は、潤んだ瞳で見つめられると中々話し出し辛く感じて、目線を下に向けながら、口を開いた。

「…その…まずは謝らせてくれ。返事もしないでごめんな。それから…もう一つ謝らせて欲しいことがあって…。」

黙り込む祐太郎に、紗希は良からぬ話だと察し、自然と涙が溢れてきた。祐太郎はしっかり伝えないといけないと思い、顔を上げた。

「…紗希…何で泣いてんだ…?」

「わかんない。わかんないけど、なんか…良くない話だと勝手に思っちゃって…そしたら自然と…。」

祐太郎は紗希の涙を見て、話そうと思っていた言葉を引っ込めてまた下を向いた。

どう言ったら良いのだろうか。何て言ったら紗希は傷付かないのだろうか。悩む祐太郎は、困っていることが表情に表れていた。それを見た紗希は、涙を拭って背筋を伸ばし、祐太郎の顔を見つめて言った。

「…ツラいのはゆうちゃんだよね…話しづらい雰囲気にしちゃってごめんなさい。ちゃんと、今のゆうちゃんが考えていることを全部話して。」

祐太郎は顔を上げ、少し震えているようにも見える紗希の目をじっと見つめて、重い口を開いた。

「…紗希、僕は君とは結婚出来なくなった。…病気なんだ。余命一ヶ月だって…さっき病院で宣告された。」

紗希は頭が真っ白になった。想像していた内容よりずっとずっと悪い内容だった。 

「………………。」

紗希は掛ける言葉が見当たらなかった。

余命一ヶ月ってどういうこと?一ヶ月後にゆうちゃんが死んじゃうってこと?…え、そんなの嫌だよ。だから、私と結婚できないってこと?私に気を遣って…?

「…紗希?」

何も反応を示さない紗希を心配して祐太郎が声を掛けると、紗希は急に立ち上がって頭を下げた。

「ゆうちゃん、お願いします!私と結婚してください!」

紗希は両手を差し出した。

祐太郎は予想外の回答に、答えを用意できていなかった。

でも、ただただ嬉しかった。嬉しくて涙が溢れてきた。紗希がゆっくり顔を上げ、ぐしゃぐしゃの顔で祐太郎を見つめた。

祐太郎はニコリと笑うと、首をゆっくり二回横に振った。

「紗希。君を不幸にはしたくない。僕が一生君を支えることが出来ないと分かった今、君と結婚させてもらう権利は僕からは無くなったんだ。…僕の考えを分かってくれると嬉し…。」
「分からない!!」

紗希は祐太郎の言葉に重なるように声を上げた。

「分からないよ!私はゆうちゃんが好き。ゆうちゃんを愛してる。どんな状況になったって、それは変わらないよ!ゆうちゃんは違うの?」

紗希は溢れる涙で祐太郎が滲んで見えた。

「…馬鹿。そんな質問…愚問だろ。」

「だったら結婚して!私はゆうちゃんと結婚したいの!…私を蚊帳の外にはしないで。一心同体なんだよ、ゆうちゃんと私は…。」

紗希は祐太郎を強く抱き締めた。祐太郎は、紗希の気持ちが心の底から嬉しかった。

「…ゆうちゃん…死んじゃやだよぉ…うぅ、ゆうちゃん…。」

祐太郎は紗希を抱き締めながら、頭を優しく撫でた。

「…紗希、僕の最期まで…側にいて欲しい。」

「うん。うん。当たり前だよ。…側にいる。…だからお願い、一秒でも長く生きて。」

ガチャッ。ズザァァァ。

「うわぁぁぁ。」
「いってー。」
「…危ないなぁ。」

急に会議室の扉が開き、雪崩のように皆が倒れた。祐太郎たちは驚いて、パッと互いを離した。

祐太郎が倒れている連中を確認すると、皆同じフロアの職員だと分かり、ため息をついて、誰にでもなく質問した。

「…一体何してるんですか?」

すると、一番下敷きになっている人物が、身体を揺さぶり、上に乗っかってる人たちをどけながら答えた。

「…すまん。君たちの姿が見えたから気になって見ていたら、いつの間にか人が集まってしまって…。」

「…課長!?」

それは営業課長の山本(やまもと)だった。
他には祐太郎と紗希の班の班長や平職の先輩や後輩がいた。

祐太郎は自分のことについて言うべき人間の九割が集まっていることに、驚愕しながらも幸運に感じた。

「…僕らの話、聞いてました?」

すると、皆慌てた様子で起きあがり、首を横に振った。

その様子がおかしくて、祐太郎と紗希はクスクスと笑った。

「いや、いいんですよ。課長や皆さんにはこれから話をしようとしてましたから。」

「…じゃあ、今話してた内容は本当なのか?…榊くんが余命一ヶ月って話は…。」

山本の質問に、祐太郎はゆっくりと頷いた。すると、山本意外の連中もざわめいた。

「…あの、榊先輩。」

手を挙げて発したのは、祐太郎が仕事を教えている直属の後輩・天野みあき(あまのみあき)だ。天野は、この春に入社したばかりの新卒の社員で、日々、祐太郎から仕事のイロハを学んでいた。

そんな天野は、瞳を潤わせながら、祐太郎を見つめた。

「…天野。…君に負担を掛けてしまうことになってしまうかもしれない。でも、僕が仕事で学んだ全てを君に教えるよ。それまで仕事にも来るつもりだ。」

「…身体は大丈夫なのか?」

山本が心配そうに聞いた。

「今はとりあえず大丈夫です。急に休むことになったらすみません。家でぼーっとしてても、嫌なことを考えてしまいそうで…皆や紗希のいるこの職場が好きなんで…身体に限界がくるまで居させてください。」

祐太郎は山本に向かって頭を下げた。山本は、慌てて頭を上げるように促した。

「君みたいな優秀な人材が欠けてしまうなんて…考えたくもない。…いいか、無理だけはしないで欲しい。…後でまた、ゆっくり話そう。…ほら、皆!職場に戻った戻った!」

山本は皆を職場に誘導しながら、自分も会議室を出ていった。

静かになった二人きりの会議室の中、祐太郎は紗希を見つめた。

「…紗希。結婚の話はまた話そう。とにかく紗希と一緒にいたい。心からそう思ってるよ。」

祐太郎は優しく紗希を抱き締めた。
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