最期の時間(とき)

雨木良

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杉崎 瑞枝・圭司 3

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「大丈夫ですか?」

頭を抱えて項垂れている直樹は、声を掛けられて頭を上げた。目の前には片野医師が立っていた。白衣の姿を見て医師だと理解した直樹は、立ち上がって頭を軽く下げた。

「す、すみません。…今朝まで普通に話していた母親が急に倒れて、今週がヤマだとさっき言われまして。…延命措置をどうするかをずっと悩んでいるんです。母親の意思通りに延命措置はしないという結論で良いか…。」

片野医師は、直樹に座るように促し、自分も横に腰掛けた。

「今から私がお話しするのは医師としてではなく、個人の言葉として聞いてください。」

優しく話す片野医師に直樹は頷いた。

「私もね…自分に万が一のことがあった時には延命措置はしないでくれって息子たちには言ってるんですよ。息子たちは真面目に捉えているかは分かりませんが、親としては、中々真面目な雰囲気で面と向かって話す機会もないですからね。何ともない会話の中でポロっと伝えることしか無いんですよ。…情けない話ですがね。」

直樹は、溢れ出てくる涙を拭いながら片野医師の話を聞いていた。

「ですから、あなたのお母さんもそういう話をしていたのであれば、それがどんな会話の中で出た言葉であっても本心なんじゃないかな。…すみませんね、急にこんな話して。…では失礼します。」 

片野医師はそう言うとゆっくり立ち上がった。去ろうとする片野医師に直樹が声を掛けた。

「先生、ありがとうございました。…先生の話が母に重なって…まるで母に直接言われてるような気がして、なんだかスッキリしました。」

片野医師は振り返らず手を振って去っていった。 


コンコン。

「失礼します。」

ガラガラガラ。直樹は診察室の扉を開けた。

「…結論出たようですね。目を見たら分かりました、何かを決意された目をしてますよ。」

「えぇ。やはり母には特に延命措置をせずに、このまま見守りたいと思います。」

「そうですか、分かりました。…ありがとうございます、結論を出していただいて。」

その後、直樹は瑞枝の入院の手続きを済ませ、眠っている瑞枝の顔を見てから、一度自宅へと帰ることにし、タクシーで帰路に着いた。


集中治療室で瑞枝の容態の確認を終えた日比野医師が部屋から廊下に出ると、調度目線の先に片野医師の姿を見つけた。

「片野先生ー!」

声を掛けられ、片野医師が振り返った。

「おっ、日比野先生、急患は落ち着きましたか?」

「…いえ、完治する患者さんじゃないので安心できる状態では無いんですが。私も今日、急患のご家族に今週がヤマと伝えまして…やはり命の終わりを宣告するのは、神経疲れますよね。ご家族の感情に流されてしまいそうで、医師としてはキリッとしてなきゃいけないのに…。」

「そんなことないですよ、私も泣いてしまうこともあります。医者だって人間なんですから。感情で生きていないとロボットと一緒ですよ。…それにしても、今週がヤマの患者さんのご家族…なるほど、あの方は日比野先生の患者さんでしたか。」

日比野医師は何のことだか分からず首を傾げた。

「いやいや、気になされないで。…で、そのご家族は母親の延命措置はしない結論に達しましたか?」

「…え?…え、えぇ。」

「そうですか、それはそれは。延命措置を断ると自分が命を奪ったと勘違いされるご家族も多いですからね。…延命措置をしないということが、時には患者さんのためになることもある。まぁ、命の考え方なんて人によりますし、ケースバイケースですがね。引き続き頑張ってください。…ではまた。」

片野医師は、微笑んで自分の病棟へと向かって歩き出した。

「…私、患者が母親って言ったかしら…。」

日比野医師は、不思議そうな表情で小さくなっていく片野医師を見つめた。


タクシーが家の前に到着すると、直樹は降りて隣の家に直行した。玄関を二回ノックし、扉を開けた。

「橋本(はしもと)さん。杉崎です、ありがとうございました。」

すると、奥から家主の妻が出てきた。

「直樹くん、お疲れ様。瑞枝さん、どうなの?」

直樹は首を横に振りながら答えた。

「…それが…今週がヤマですって。医者の感じだともう長くは無さそうです。」

「…そんな…。瑞枝さん、昨日はあんなに元気だったのに。圭司さんは居間にいるわ。約束通り救急車で運ばれたことは伏せてあるけど。…瑞枝さん心配よね…直樹くん、病院に戻るなら圭司さんまだ預かるけど。」

「直樹かぁ?」

すると、二人の声を聞き付けたのか、奥から圭司がヨボヨボと姿を現した。どう伝えたら良いか、まだ頭の中で結論が出ていなかった直樹は、何も考えずに口を開いた。

「…親父、急に出掛けて悪かったな。」

「びっくりしたよ。帰ってきたら橋本さんが俺を迎えに来たからよ。表情が暗いから、ウチで殺人事件でもあったのかと思っちまったよ、ハーハッハッ!」

上機嫌で話す圭司に対して、『死』を連想させる言葉の冗談に、直樹は笑うことができずに固まってしまった。

「…どしたんだ、直樹。母さんは?」

圭司がキョロキョロと見回しながら言った。

「あ…母さんな…ちょっと…。」

言葉が出てこない直樹を、橋本は心配そうに見つめた。

「ちょっと…だけ、入院することになった。」

「入院!?どっか悪ぃのか?」

「あ、いや…検査入院だよ。ほら、もう85だろ?今は国からの助成で検査費用が出るから、受けさせたんだよ。」

どんどん嘘を膨らませる直樹は、自分が嫌になってきていた。

「あの病院嫌いの母さんがね。まぁ、あの女は健康だけが取り柄だからな。今朝も元気に口喧嘩したばかりだ!どこも悪ぃことはねぇべや、ハーハッハッ!」

「…あ、あぁそうだといいな。」

直樹が橋本をチラ見すると、苦笑いを浮かべていた。

直樹は、とりあえず橋本に礼を言って、圭司を自宅に連れ帰ることにした。玄関を出る際、橋本が直樹に囁いた。

「ちゃんと伝えることは難しいかもしれないけど、圭司さんが後悔しないようにしてあげて。直樹くんが来るまでの間、圭司さん、瑞枝さんの話ばかりしてたわ。…大変だと思うけど、協力できることはするから、何かあったら遠慮なく言ってね。」

直樹はペコリと頭を下げて、家に入った。

圭司は居間に直行し、いつもの定位置に腰を下ろした。

「ふぅ、母さんいないと茶も出てこないなぁ。ウチのメイドさんがいないとなぁ、ハーハッハッ!」

直樹は苦笑いしながらも、真実を告げることがこんなにも苦しいのかと、頭を悩ませた。
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