colors -イロカゲ -

雨木良

文字の大きさ
上 下
34 / 55
第4章 父親と黒色

(7)

しおりを挟む
「…ご、ごめん。変な…こと、言っちゃって…。」

無言で固まる夏音を見て、小島は思わず謝ってしまった。その言葉で、夏音は我に返り、焦ってしまった。

「え…いえ、すみません!そんなんじゃなくて…その…びっくりしちゃって…。…先輩は、てっきり片倉先輩と…って。」

「だから違うって昨日も言ったじゃん!」

小島は苦笑いで、両手を振って全力で否定した。

「それに、縁はちゃんと彼氏いるみたいだし。詳しくは教えてくれないから知らないけどさ。…それで…。」

小島は夏音の返事を聞きたそうに会話のボールを夏音に投げた。

「…え、えっと…。」

「こら君たち。皆の邪魔だからこんなど真ん中で立ち止まって話し込んじゃダメじゃないか。」

夏音が、答えを探しながらたどたどしく話し始めたところで、通行人の初老の男性に注意を受け、二人はすみませんと謝り、走って小田原城の方へと向かった。

走りながら夏音は、小島の表情を見ると、とても楽しそうな子どもの様な表情をしていた。

「プッ、ハハハハ。」

走りながらも急に笑い出した夏音に、小島は不思議そうな表情を浮かべた。

「ど、どうしたの?」

「なんか、人に怒られたの久々だったから…びっくりしちゃって。けど、先輩は楽しそうな表情で、なんか面白くって。」

さっきまで困り顔ばかりしていた夏音は、ニッコリと笑って小島を見た。小島は、その笑顔の可愛さにドキっとしてしまった。

「ハハハハハ、俺もだよ。真剣に注意されたのは久しぶり。思わず逃げるように走り出しちゃったけど、俺たち何やってるんだろうね。ハハハハハハ。」

息が上がってきた夏音は、ゆっくりスピードを落とした。小島も夏音に合わせるように走るスピードを落とし、二人はゆっくり歩き出した。

「…今日暑いですね。ちょっと走っただけで汗だく…。」

夏音はそう言うと、鞄からタオルを取り出し額の汗を拭いた。

「ホントだね。…あ、ここ涼しいな。」

それは、小田原城の公園内の天守閣に通じる緩い坂道、緑々した木々が茂る木陰だった。小島は、木々の間をすり抜ける木漏れ日に照らされた夏音を見て、立ち止まった。

「…キレイだな。」

ぼそりと呟いた小島の言葉。夏音には、聞き取れず、首を傾げた。

「今…何か言いました?」

「ん?い、いや。ほら、小田原城!」

小島は、ストレートな言葉を言うのが恥ずかしく思い、話を反らした。二人は、天守閣のある広場に着くと、天守閣を正面に見れるベンチに腰掛けた。

「…なんか新鮮だな。夏音ちゃんと小田原城に来るなんて。」

「ホントですね。…私、小学生以来、中に入ってないかもしれないです。」

夏音のこの言葉に、小島は少し考え込み、震えた声で言った。

「確かに俺も。…は、入ってみる?」


「え?…そうですね、行きますか。」

勇気を振り絞って誘った小島は、夏音の答えに満面の笑みを浮かべた。

二人は、天守閣へと通じる数十段の石段をゆっくり登り始めた。

「…ね、ねぇ。これって…その…デートかな?」

小島が、夏音の表情を見ないように正面を見ながら聞いた。小島の胸中は、激しく鼓動していた。

「……私、今まで男の人とお付き合いしたことなくて…。…小島先輩は良い人だし、でも…自分の気持ちがまだ…。」

「い、いいんだよ!今日のこれはそういうんじゃないから!今の話は忘れて!」

余り良い答えが返ってこない気がした小島は、調子に乗ってしまった自分を反省しつつ、勢いで夏音のセリフを途中で消し去った。

急に、ボリュームを上げた小島に、夏音は少しびっくりしたが、慌ててる姿が面白くて、クスクスと笑ってしまった。

「…え?俺変なことしちゃった…かな?」

小島が暑さとは違う汗をかきながら恐る恐る聞いた。

「何でもないですよ!ほら、行きましょー!」

夏音は笑顔で答え、石段を駆け上がっていった。小島は、また夏音の笑顔に胸打たれ、ニンマリとした表情で、夏音を追い掛けて駆け上がった。 

【神奈川県横浜市内某出版社】

同時刻。

「長谷川(はせがわ)、ちょっといいか?」

編集長の小澤(おざわ)が新人の長谷川を大声で自席に呼んだ。小澤の席から一番離れた席に座っている長谷川は、急いで小澤の席に向かった。

「お呼びですか、編集長。」

すると、小澤は手に持っていた企画書をポンと投げるように机に置いた。それは、長谷川が書いた企画書だった。長谷川は、何も言わずに、無造作に置かれた企画書を見つめていた。

「なぁんだ、この企画は?お前の頭の中はメルヘンなのか?」

小澤は、大分ボルテージが上がってるようだったが、長谷川は怯む(ひるむ)ことなく、企画書を手に取って、小澤に言った。

「妄想や夢じゃないです!本当なんです。」

新人が編集長に言い返すことは、御法度の慣例なのか、長谷川の言葉に執務室内はざわめいた。

「ば、馬鹿!す、すみません、編集長。」

長谷川の上司にあたる係長の早野(はやの)が、慌てて自席から駆け寄り、長谷川の腕を掴んで、自席へと引っ張るように連れ戻そうとした。

「か、係長!痛いですって。何でですか、この企画書、本当なのに…。」

長谷川は、少し抵抗したが、女性の長谷川は男性の力に敵うわけがなく、渋々執務室の外へと連れ出された。

まさか言い返されるとは思ってもみなかった小澤は呆気に取られ、その様子をポカンと眺めていた。

廊下に出ると、早野は、調度空いていた会議室に長谷川を連れ込み、椅子に座らせた。

「…長谷川さん、頼むよ。」

早野は長谷川の正面に座りながら、困り顔で言った。

「…す、すみません。でも、この企画書は本当に…。」

「その企画書だって、僕に内緒で直接編集長に持ち込んだみたいだし!僕は君の上司なんだから、僕を通して貰わないと困るよ!ちょっと反省して!」

早野はイライラが募り、一方的に言葉を吐くと、会議室を出ていった。

「…はぁ、またやっちゃったか…。」

長谷川は手に持ったままだった企画書を見つめながら呟いた。

コンコン。

会議室のドアをノックする音が聞こえ、目を向けるとドアが開き、同期で長谷川以外の唯一の女性である向井(むかい)が顔を出した。

「…深雪(みゆき)。なぁに、またからかいに来たの?」

長谷川は、不機嫌そうに聞いた。

「またって、私は一回もそんなこと考えたことないのに。大丈夫?」

向井はそう言いながら、さっき早野が座っていた椅子に腰掛けた。

「大丈夫って、別に病んだり滅入ったりはしてないわよ。」

「ふーん。なら良かった。もうちょい新人らしくしとけば?変に目を付けられても困るでしょ?」

向井の言葉に、長谷川は頬を膨らませながらそっぽを向いた。

「まぁたそんな態度して。普通にしてれば可愛いのにさ、愛弓は。」

向井は、愛弓の頬をつつきながら言った。 
しおりを挟む

処理中です...